ポッドキャスト配信の喜び
プチ鹿島
やあ、みちさん。どうもどうも。嬉しいですよ。遠距離おじさん、2回目でございます。
みち
2回目になりましたね。
プチ鹿島
こうやって場を作って、みちさんとお話しできるっていうのが便利になりましたね、リモートとかね。
みち
本当にありがたいことでね、取り留めのないお話をこんな形で配信できるようになって嬉しいです。
プチ鹿島
7月の19日ですか、大阪行って打ち上げでね、みちさんとわいわい話して1年ぶりで嬉しいなと思ったら、
ポッドキャストが今、別に有名無名問わず、なんとなく聞けるものが流行ってるよっていうのをみちさんが教えてくれて。
みち
面白いのいっぱいあります。
プチ鹿島
ねえ。じゃあ、時事系のもやるのもいいんだけど、そういう場を作ってみちさんと話したいなと思って。
みち
そうですね、1回ね、この間配信させていただいたおかげさまで、たくさんの方に、柏さんのファンの方にたくさん聞いていただいて。
プチ鹿島
いやいや、みちさんファンですよ。
みち
いやいやいや、本当にね、50代60代の方が中心に聞いていただけてるようで。
プチ鹿島
ありがたいね。
みち
こういったぬるいおじさんの話も、ポッドキャストでまだ需要が少しあるんじゃないかというところで、光が見えましたね。
プチ鹿島
ねえ、もちろんこれ聞いていただくっていうのもいいんですけど、僕は正直こうやってみちさんと週に一度話せる、これ自体は嬉しいんでね。
みち
ということで、私もね、こういったお話できるのと、あと皆さんからお便りとかいただいて、いろいろ情報をね、そういうことありましたねみたいな話が聞けたらすごく嬉しいなと思ってます。
こういった柏さんと話して、答えが出なくてもいいのかななんて皆さんとね。
これ、例えばお気づきの方、音も良くなってるんですよね。
多分ですね、音良くなって、まだ私も編集がおっかなびっくりでですね、音も良くなりました。
プチ鹿島
みちさんの導きによって、僕はパソコンの前に今、初めてこのリモート用のマイクをですね、この1週間で買いました。
こうやってどんどんアップデートしていくっていうね。
みち
そうですね、こういうことだと思います。おじさんのアップデートオーロン、なんかありましたっけね。
プチ鹿島
おじさん同士手取り足取りしながらね。
みち
そうなんです。少しずつ変わっていこうみたいな。
いや、そうですよ。
そうなんです。音が良いとね、やっぱりね、皆さん聞いていただけるそうなんですよ。
昔はそういうのはあんまりこだわってなかったんですけど、私も。
プチ鹿島
だから僕はこの件だけでも、この1週間で、おじさんだけどちょっと一つ成長したなと思って。
みち
これちょっと自慢できるでしょ。マイクがあるんだっていうね。
だから取材なんかで、例えばリモートでお話しする機会もあると思うんですよ、鹿島さん。
おじさんのお母ちゃんの闘病生活
プチ鹿島
もう完全にリスクジョッキーのマイクみたいなので、僕今喋ってますからね。
小学生のときの遊びを思い出しますよね、ラジオとか。
みち
ほんとそうなんですよ。今皆さんほんとどんなラジオを聞いても、皆さん音めちゃくちゃ良いですから。
プチ鹿島
良いですね、そういう側から。
みち
今すごいんだなってびっくりします。
プチ鹿島
そうなるともうパンとか雨とか関係ないですもんね。
みち
そうなんですよ。外なんかでも公演で撮ってるやつでもあるんですけどね、すごいみんな音が良くて非常に心地いいですね、聞いててね。
プチ鹿島
よく言いますけど、誰が話すかっていうより何が話されてるかっていうのはね、特にこの音声コンテンツは。
みち
そうですよね。
我々のおじさん、おじさんのボイスでね、皆さんお時間を少し頂ければなと。
プチ鹿島
まあそうは言っても今日2回目なんですけど、みっつさんあれじゃないですか、この間会ったって言っても結局1年ぶりでしょ。
みち
そうです。
プチ鹿島
去年は七夕の日に会いましたけど。
みち
七夕の日に会いましたね。
プチ鹿島
久しぶりだと楽しい、目先の今日のライブについてとか、そういう話で盛り上がって、それはいいんですけど、
そういえば1年間とか2年間とか、近況報告みたいなのはね、じっくり話してないと思って。
みち
そうなんです。鹿島さんのお話はいろんなところで聞けるんですけど。
プチ鹿島
みっさんは?
みち
そう、私も出すとこなくて。
プチ鹿島
何がどうありました?
みち
今年はね、結構いろいろ怒涛の年になりましてですね。
3年ぐらいですね、母はちょっと闘病生活というか、
はっきり言うと認知症の症状がこのコロナ禍でかなり進んで、なかなかいろいろ病院も行ってくれなくて、
あれもこれやと、いろいろ地域の包括センターっていうところをね、
市の役員みたいな人の方といろいろ揉みながらですね、いろいろやってたんですけど、
ゆっくり最近この7月にですね、いろいろあって、母が亡くなると。
プチ鹿島
そうなんですか。
みち
そうなんです。この3年ぐらいね、コロナでなかなかお会いできないとかもあったんですけど、
私ちょうど大阪に、前回もお話ししましたけど、仕事も含めて6年ぐらい前に戻って、
長男で私一人っ子なんですけど、父母だけはちゃんと面倒見なきゃな、みたいなのも思ってたんですけど、
いろいろあってですね、このたび7月に、母が亡くなったと。
プチ鹿島
そうですか。
みち
結構ね。
プチ鹿島
もうね、お悔え申し訳ない。
いやいやいや。
みち
大変だった。
本当にありがとうございます。気遣いいただいて。
いやだけどね、本当に一人でそういったことやったことないっていうか、やったことある方もおられると思うんですけど、
私自体は経験値がなくて当然なんですよ。
プチ鹿島
それは本当僕も共感できます。
みち
ねえ、なかなか難しいでしょ。なんかあります?
プチ鹿島
僕もありがたいことに、うちはまだ両親健在なんですけど、そうは言っても80過ぎてますから、
明日どうなるっていう事態もあり得るわけじゃないですか。
みち
見えますね、そうなんですよ。
プチ鹿島
でも一方で、僕も長男なんですよ。
その時って何をどうすればいいのかって、ふっと頭をよぎるんですけども、
なんかこう、ゾッとしちゃって、あ、もう違うこと考えようみたいな感じで、
5年10年過ごしてきてるんですけど。
みち
私も同じです。5年10年過ごしてきています。
それこそ、霊福っていう表現がよろしく。
プチ鹿島
いや、そっからそっからそっから。
みち
そっからもうね、実は準備してなかったです。
プチ鹿島
手配からとかね。
亡くなった後の準備
みち
そうなんです。ただね、長いこと一緒にそうやって、
いつ死ぬかというか、いろいろな収穫的な話っていうんですかね。
ここに連絡しろとかね、ここにお金が入ってるんだよみたいなことが、
毎月のように実家に帰ってはですね、やり取りができてたとはできてたんですよ。
プチ鹿島
そうなんですか。
みち
最後の方はね、もうボケにボケ倒して、もう誰か誰だお前はっていう感じだったんですけど、
それは面白かったんですけどね。
プチ鹿島
そういう話をまさしくできる人が、やっぱりみつさんここにいたわ。
みち
そうなんですよ。結構ね、周りに。
大変だったですね。
いやまあだけどね、本当にね、掃除ってね、良かったですね。
どうしても死とか葬式とかっていうのはちょっとやっぱり、
プチ鹿島
考えたくない。先延ばしにしようと。
みち
少し日本人で隠されてるものみたいなところはあると思うんですけど、
いざ目の前で起こるとね、もちろんその前6月は結構、
怒涛の転院も含めていろいろ闘病生活も、一ヶ月怒涛のごとく進んでったんですけど。
プチ鹿島
闘病生活のことだってね、介護のことは大変だったと思う。
みち
そうなんです。それも含めてね、最終的に亡くなって、
それこそ葬式的なものって言ってもそんな大げさなものじゃなくて、
いわゆる今の家族葬的なやつでやってですね、
最終的に骨になって、
プチ鹿島
ちゃんと送り出せたんですね。
みち
送り出せたっていうところまでやるとね、意外と死も悪いもんじゃないなと。
プチ鹿島
ちゃんと向き合う。
みち
それこそ母っていうのはね、父母皆さんそうだと思うんですけど、
プチ鹿島
なんだかんだ血が繋がってる感が母の方が、これ勝手な言い方ですけどね。
みち
母が強いって言ったらいいんですけど、
そういう意味ではね、
自分といなくなって亡くなったから、それで終わりっていうわけでもないというか、
それこそすぴってるわけじゃないんですけど、
それぞれ心地がいいものも、単純に悲しいとか、
悔やまれるとか、後悔とかもね、ゼロではないでしょうけど、
いろいろ入り混ざるんでしょうけど、そんな単純なものじゃなくて、
なんか良かったですね。
プチ鹿島
ちゃんと関わって思い出せたの?
みち
そうなんですよ。それはもちろんこういうことできてなかったなとか、
あの時にああだったらなみたいなことは思い返す。
プチ鹿島
特に息子なんかみんなそうですよ。
みち
なんですよね。だから柏さんにお伝えしたいのはね、
そんなにね、いざなってみると、
これはこれで別に悪いことじゃないというか、
プチ鹿島
いつかも来る日だからね。
みち
皆さんもそうです。私たちもね、いつか亡くなることもあるでしょうけど、
なんかそれにはね、こういうの経験していくから、
いろいろな、まあいいのかなみたいなお迎えが自分の来た時も、
それはそれでいいのかなみたいなふうに思えるのかな。
プチ鹿島
ちゃんと受け止めるってことですね。
みち
そうなんですよ。
プチ鹿島
こういう話ってほら20代30代はまだちょっと先のことじゃないですか。
みち
そうなんですよ。
プチ鹿島
でも僕らおじさんになるともう節日で、
明日そうなったらどうすればいいんだろうって、
一方ですごくさっきも言ったけど、
考える日もあるんですよね。
みち
はいはい、そうですよね。
プチ鹿島
で、みつさんがもうその経験をされたと。
みち
はい。
プチ鹿島
もう当然あれでしょう。
当然みつさんだって何の知識もなく、ノウハウもなく。
みち
全くなかったですね。全くなかったです。
プチ鹿島
大変だったですね。
みち
けどね、あれでしたよ。
本当に意外といろいろ面白いって言ったら変なんですけど、
興味深いところが多くて、
システム的に手続き的なことももちろんそんなに難しくなかった。
思った以上に難しくなかった。
難しい方もおられると思うんですけど、
遺言状があるとかたくさん家族が多いとかね、
資産をたくさん持ってるとかまだ違うんですけど、
うちは結構シンプルだったので、
非常に意外と思った以上に市役所の方とかとやり取りとか、
葬式やるにあたってね、いろいろそういうのがありますけど、
仮葬場の方とか、
全部うまいことルーティーンというか、
綺麗にまとまっていって、
乗っかっていったらどんどん進んでいくという感じです。
プチ鹿島
周りがね、教えてくれる。
みち
そうなんですね。
だからそこは安心した方がよろしいかなというところ。
プチ鹿島
これ、例えばですよ。
僕みたいにまだ健在でね、
元気に暮らしているんですけど一方で、
今この時点で何を準備しとけばいいのかなと。
何がいいですか。
いろいろ話しとくこと?
みち
そうですね。かなりメモは取ってました。
もちろん糖病というか、認知症のこともあったというのもあるんだけど、
父も母もやっぱり家に帰ってはね、
もう本当に向こうは話したい。
犬市場にこれをメモれみたいなことが多かったですね。
それがいいのか悪いのかわからないですけど、
どこにお金を置いてるとか。
それを勝手に下ろしたらいろいろまずいんですけど、
ここにあるからとかっていうのは知らないと困るじゃないですか。
それこそガス代はここに。
プチ鹿島
それこそ犬戸さんも、やっぱりちょっと切実にこれ、
ちゃんと伝えとかないとやばいなと思ったからでしょ。
みち
収穫の一部というかね、ここに墓買ったからとか。
向こうから結構率先して、そういう話はしてましたね。
プチ鹿島
その前の段階だと、結構そういう話出すの気まずくないですか?
みち
気まずいんですけどね。やっぱり結構してましたね。
プチ鹿島
言わなくちゃいけないんだな。
みち
どんどん言ってました。
ボケ倒す前から、冗談も半分でボケてきたなとか言ってるときから言ってましたね。
それもお互いやって。
お互いやってました。
全部向こうも教えようとする。
こっちもそういう気で、いつか安心して亡くなってもいいよぐらいの感じのことは。
プチ鹿島
正しく就活ですよね。
みち
そうなんですよね。お互いそういう話はしてました。
プチ鹿島
あと断捨離とかもあるじゃないですか。
家のものとか、どこまでどう片付けていいのかとか。
お墓の移動
みち
そうですね。
プチ鹿島
うちもそれなりにやり始めたらしいんですけど。
そうですか。
みち
ノートとかいっぱいありますね。
プチ鹿島
明日そうなっちゃうと、何をどう片付けていいのか。
みち
だからある程度は情報をいただいてた方がいいと思います。
やっぱり。
最低限の。言いにくいですけどね。
プチ鹿島
言いにくいを超えないといけないよね。
だって実際通帳がどうだったとか、土地のあれがどうだったとかってわかんないですもんね。
みち
わかんないですね。本当に。
プチ鹿島
これ必要だな。やっぱりもう30、40とは違うな。
みち
私の場合はそんな母がシンプルな生活だったので、あまり難しくなかった。
人に聞いた話だと、やっぱり戸籍等本っていうんですか。
本当に奥の奥地まで、おばあちゃんおじいちゃんまでどんどん攻めていくようなやつを出さないと、
いわゆる相続とかね。
そういう時に相続する人がいないですか?みたいに証明するときは、
結構ね、たとえばうちは最終的にもっと知りたかったら京都の方に行ってくださいとか言われましたね。
プチ鹿島
そうなんですか。
みち
そうなんですよ。そういうのも今まで知らなくて。
おばあちゃんは岡山までだったんだとかね。
いろいろ知らないことがあったり。
結構ね、母が闘病生活の時にずっとほぼ、
もう24時間そこにいていいですよっていうような形でずっと張り付いてたんですけど、
その中で戸籍のやつももらってきてですね、ちょっと練習がてら。
見てたらすごい面白いというかね、いろいろやりだしたらすごいね。
プチ鹿島
ファミリーヒストリーですね。
みち
しかも知り合いの方はそれを全部追ってって、広島まで行って取ってきたとか言ってたので、
そういう方もおられるんだなと思いながら。
プチ鹿島
そうなると、もうちょっと前からある種楽しんどけばよかったなみたいなもんね、家族のことを。
みち
そうなんですよ。だからね、いろいろ母のことを思い出したりもしてたんです、一緒に。
ずっとおついやなんかももう二人っきりでしたから、あんまり動けないもので。
だから結構ね、もっと話してたらよかったなとかね、思いながら。
もうね、振り返っても仕方ないですけど。
手紙をたくさんもらってたんですよ、実は。
手紙ずっと取ってたんです。
東京でほら、前回も話してた。僕東京でJALで仕事してたんですよ。
だから18歳で高校卒業と同時に東京で就職だったので。
だから要は遠距離親子なわけです。
プチ鹿島
お母さんがね、失敗して手紙ね。
みち
手紙も、いろいろ引っ越しするじゃないですか、どこどこ住んでる。
法蘭町住んでるじゃないですけどね。
封筒と一緒に取ってたもんですから、
どのタイミングで引っ越ししてっていう時に連絡きたものかっていうのがね、
プチ鹿島
全部わかるようになってて。
メールとかLINEもあれだけど、昔はその手紙が来ましたよね。
みち
そうなんですよ。結構それがよかったです。
母親とかからね。
何も残ってないとかもあるんですけど、
単純記憶でいうと東京に遊びに来て一緒に鳩バス乗ったりとか
1回や2回ぐらいなので、
もうちょっと時間一緒にいたらよかったなとか思いながら
高校6年ぐらいですか。
6年は入れたので、コロナちょっと置いといてっていうところなんですけど。
コロナがね。
まあまあまあ、いろいろありましたけど。
宗教的なものも含めてね、意外といいなと思う。
内容はあまりそういうの深くないんですけど。
プチ鹿島
まあでも元気なうちはね。
なるほどね。
みち
だからこれはね、どんどん取り入れていくっておかしいですね。
プチ鹿島
そうなんです。だって娘ができてから顔見せるために
年に数回は帰るようにはしてるんですけど、
そうは言ってもトータルで言うと、
1年に1週間ぐらいじゃないですか。
みち
そうですね。そんなもんだと思いますよ、皆さんだけど。
プチ鹿島
でもこれゾッとしたら1年に1週間だけですよ。
それがこれから5年って言っても、
それ5週間ぐらいじゃないですか。
みち
5週間ぐらい、そうなんです。
プチ鹿島
これものすごいもったいないことをしてるのかなって。
みち
それぐらいがちょうどいいんじゃないかなと勝手なあれもありますけどね。
だから僕なんかも子育てていただいて、
18で飛び出てからはどんどん1年に1回ぐらい年に3日帰るだけだから、
ほとんどそこからはもう何十年つっても。
プチ鹿島
そうなると実は親とは会ってないっていうのがしみじみしますよね。
トータルの日数で。
特にその18、20以降を考えるとね。
みち
そうですね。だから今から無理して毎日会いに行きなさいっていうことじゃないと思うんですけど、
機会があれば会って話したりとかね。
プチ鹿島
いろいろ話したほうがいいよってことですよね。
みち
父母の出会いとかもあんまり聞いたことないです。
プチ鹿島
確かに。
みち
そういうのも実は聞いたりとかできてたので、
今の父もまだ一応健在なので聞けるんですけど、
母サイドからのどういうふうな出会いだったかとか、
あんまり知らないじゃないですか。
大人になってからいいと聞こえてから聞くとね、
なかなか考え深いものもあるなとか思いながら。
プチ鹿島
あとうち、これもそうなんですけど、
例えばですよ、2人ともまだいる場合、
どっちが残るバージョンかって考えると、
それでまたいろんなシミュレーションが大変じゃないですか。
みち
そうなんですね。僕は想定は母が残って、
父が先に亡くなると思ってました。
プチ鹿島
普通そんな感じじゃないですか。
みち
全然逆でしたね。
逆パターン。
だから父は本当に子供の頃、
そんなに僕もおしゃべりというか、
ちょっと厳格なというか、
短期な父親だったので、
あまり仲良くはなかったんです。
母子というかね、
いつも仲良くしてるのは母だったので、
だから今は逆に父と仲いいですね。
なるほど。
こうなっちゃうと。
プチ鹿島
そういうパターンになるんですね。
みち
だからちょっと嫌だな、
父が残ったら嫌だなって勝手に思ってたんですけど、
そんなことでもねえのかと思いながらね。
プチ鹿島
それ考えるとやっぱり、
うちは長野に住んでるんでね、
万が一どっちか一人ってなったとき、
どう対応すればいいのかなって、
それも考えると、
うわ、考えるの良そうとか思っちゃうんですね。
みち
そうですね。
確かに一緒に暮らそうっていうことは、
僕もできなかったですね。
味が悪かったとかもあったりとか、
私も団地の誤解とかなので、
なかなか厳しいっていうところもあったんですけど、
そういうところに入ってもらいたいなとかね、
いろいろやったけど、
そういうのも嫌がったりとかもするし、
今はもう父もそろそろなんですけど、
ヘルパーさん来てもらったりとか、
そういうところまではやって、
もう入ってもいいんじゃないとは思うんですけど、
そういう感じのほうがね、
もうほんまに全部就活じゃないけど、
さっぱりしてもらってっていうね、
本当に思うんですけど、
なかなか話してみるのがいいと思いますね。
逆にお父さんお母さんも考えられてたりすると思いますよ。
ああ私こうするわとか、
いやいいからいいからって言いがちなところもあるんじゃないですか。
一緒にもうそっちに済ませてくれなんていうのは、
なかなかないのかなと。
プチ鹿島
今日のまたいい話。
これ、もう三木さんが大人に見えたよ本当に。
みち
いやいやいや、だけど本当に皆さん、
よくすることなくって言い方変かもしれませんけど、
誰しにでもね、訪れることだと思うので、
面白かったというふうに私は。
プチ鹿島
もっと当事者通り明けっぴろぎに話してもいいのかなと思うんですけどね。
みち
最後やっぱり亡くなる瞬間とかまで見てて、
どうだっていうときは辛い部分もありましたけど、
だけどやっぱりなんだかんだ言ってね、
この人の俺、子供なんだなと思ったからね。
今骨が一緒に家にあるんだなと思う。
これはこれでね、まだ49日行ってないのでね。
あとのあとはお墓に入るとしても、
ずっと近くにいるようなもんで、いいもんだなって思います。
だからなんか、肉体がなくなったからとか、
死ぬ前のあれとかっていうのはちょっと難しいかもしれませんけど、
いざこうなっちゃうと意外とシステマティックというか、
いい感じにスポッと入ってきます。
プチ鹿島
どなたか誰かが教えて案内してくれるし。
みち
心の穴じゃないですけど、スロットにいい感じにね。
プチ鹿島
気が楽になりましたよ三木さん。
みち
もしよかったらお話、直接お会いする機会があれば。
いろいろどうなの?みたいなこととか聞く。
こっぱずかしいですけど。
プチ鹿島
そう、こっぱずかしいんだよね。
でもそんなこと言ってる年じゃないからもうね。
みち
そうです。
なかなかだけど、お子さんとかいて、
墓じまい
みち
3人で話すという場面もあればいいんです。
なかなかコミュニティだったらどっちかとでもいいので。
どうしても久しぶりに会うと、
プチ鹿島
遊びのテンションというか、そっちが勝っちゃうから、
落ち着いてさてとみたいな話にはなかなかならなかったりするんですよね。
みち
私の場合はもう大丈夫かとか、生きてるかぐらいで変えてたので。
心配すんなぐらいのことを言いながらやってたところはあるので、
ネタにしつつというかね。
プチ鹿島
うちで言うとね、そういえばここ数年でも大きな出来事が一つあって、
墓じまいをしましたね。
墓じまい。聞いたことあります。
うちも実家の方の車で15分ぐらい行って、
山のふもとみたいなところにお寺さんの墓地があったんですよ。
みち
ダンカさんの。
プチ鹿島
結構それが急すぎるんですよね、山道がね。
お墓自体も古いし、これみんな年取っていく中どうすればいいんだっていう中で、
お墓掃除も大変じゃないですか。
みち
そうですね。
プチ鹿島
墓石を新しいものにするのか、もしくはここの場所から移動するのかみたいなので、
うちにしては思い切ったなと思うのが5年ぐらい前かな。
長野に禅小寺ってあるじゃないですか。
みち
はいはい、大きいところ。
プチ鹿島
今は共同墓地みたいなのあるじゃないですか。
みち
ありますあります。
プチ鹿島
そこでいいって言い始めたんですよ。
みち
うちもそこでいいって母が言い始めてやりましたね。
プチ鹿島
そこで地元のお寺の方にお話しして、
ちゃんと手続き整えて、そこをなくして移したんですよ。
みち
そうすると年寄りがね、お墓掃除とか、もうすぐお盆とかもありますけど、
プチ鹿島
結構大変なんですよね。
冬場の間もね、草木も伸びるし。
それがなくなって、長野に行って禅小寺にお参りすれば、
それがイコールお墓参りになるっていう。
みち
だいぶ気が楽になったみたいですね。
そういうところですからですね。
第一弾的なところじゃないですかね。
最後の階段
プチ鹿島
正直僕もかなり気が楽になった。
やっぱりお墓掃除とかいかなくて、
必ず長野に帰るときは禅小寺に一回寄って、
それでよくなったから。
みち
ちょっとご飯食べてとか、いいじゃないですか。
プチ鹿島
だからその分はすっきりは良心をしたのかもしれないですけど、
これからいざみたいなことになると、
さっきのミスさんの話がすごく。
みち
いや本当にね、いい経験させてもらいました。
プチ鹿島
誰もがね、いつか迎える僕を見出すっていう状況ですからね。
みち
そういうのってこれから増えるっていうかね、
その変なご友人とかも含めてね。
ゼロじゃないじゃないですか。
もうおじさんの今本当に一番の階段の一段目に上ったぐらいの。
プチ鹿島
そうですね。
みち
おじさんのレベルが少し上がったかなと思いながらね。
やっぱりこういうのを経験して、
どんどんどんどん自分のね、最後に向かっていくんだな。
プチ鹿島
真のおじさんになる。
みち
そうそう、最後の。
孫ごとなきおじさんになるんだよね。
だから牧田さんはこういうの分かってから話してたんだな。
プチ鹿島
牧田さんはあれ、ポッドキャスト時代の時から
もう逃走に来てましたもんね。
逃走してきて、実は大変だみたいな。
みち
そういうのって今、自分でも分かるようになった。
やっとね。
やっとその年になれたと言いますか、変な言い方をするとね。
プチ鹿島
でもこうやって、なんかこう語りをシェアすることで、
もうちょっと気軽くなったし。
みち
だから本当、なんか助け舟までは出せないですけど、
安心していただければなと思いますのでね。
おじさんの賑やかさ
プチ鹿島
考えてみればさ、子供の頃、親戚とかで、
法事とかあると、お葬式とかあると、
必ずあの、賑やかすしきるおじさんって登場しましたよね。
そうですね。
そういうなんか、宴会が大好きな感じ。
その人がいれば、まあなんとかなるわみたいな。
みち
そうなんですよ。
プチ鹿島
あの人はあの人で大人の階段を踏んでたんだよね、当時ね。
そうです。
酒飲んで、カンカンカンなって。
みち
そうなんです。無理してね。
プチ鹿島
翌日ドローで会うと、シュンとした顔してるんだけど。
なんかおじさんがあえて賑やかしてくれたのかなって、
今になると思うんですね。
みち
そうかもしれませんね。
おじさんは、私なりの立ち回りをちゃんとやってたかもしれませんね。
プチ鹿島
そう。で、いろんな親戚方々行って賑やかして、
賑やかして、大丈夫大丈夫みたいな明るい顔で酒飲んでね。
子供からすれば楽しかったもん。
そういう恐ろしきこととか、大人たちがみんな集まる場所とかって。
みち
普段とまた違う空気が伝わりますよね、ちゃんとね。
プチ鹿島
もしかしたらそういうのを演じてくれたのかなって、
今お話聞いてて思いましたね。
みち
そうですね。だんだんそういった大きな会とかなくなってくるかもしれませんけど、
やっぱり小さな家族であっても。
そういうのは大切だなと思いますけどね、会合といいますか。
めんどくさいですけどね、父母がね。
プチ鹿島
ちょっと待ってください、三井さん。
2回目は、おじさんがおじさんにあげるお土産何なのっていう話から。
みち
あれも答えなかったですけどね、申し訳ない。
プチ鹿島
今日が本番ですよ、これ。いい話聞いたわ。
人との結びつき
みち
これもね、あんまり大したことは言ってませんので、
細かいこと言い出すときりがないんですけど。
プチ鹿島
でもこういう話が一瞬できるっていうのは大事じゃない?
みち
そうですね。私もこういった取り留めがないことを言うっていうのは大切じゃないかなと最近。
プチ鹿島
もしかしたら三井さんもある種すっきりしたかもしれないし。
みち
そうですね。パーソナルストーリーとしてはだいぶすっきりしましたね。
プチ鹿島
7月ですか、大変だったですね、三井さんね。
みち
それもね、本当に変な話ね。
僕7月10日が誕生日で、7月1日入って朝過ぎてからね、
気持ちよいぐらいに亡くなってたんですけど、
それとかもね、なかなかやりよるなと。
分かりやすく亡くなったというか。
プチ鹿島
そういうのに合わせてね。
みち
合わせてとかね。
プチ鹿島
合わせて親はやってくるっていうね。
みち
そうなんです。しかもですね、ちょっとこれはほんとすっぴっちゃいますけど、
いろいろ症状が変わっていく中で、3回ぐらい転院をするわけですよ。
最終的にはICUみたいなところに入るんですけど、
それをうちではこれ以上治療できないから、そういうのできるところを探してますねって、
お医者さんというかね、看護師さんみたいなケアマネージャーみたいな人が言ってくれて、
見つけたところが、昔母が、私が子供時代のときにパートで働いてた病院なんですよ。
めぐりめぐってね、自分の昔働いてた病院に。
プチ鹿島
三井さん、それ言ってますよ。
みち
言ってますよね。
言ってますよ。
プチ鹿島
泣いちゃう、それ。
みち
そうなんです。それで僕の電話を受けて、
あ、そこの病院は昔母が働いてたところなんですね。
奇遇ですね、そんな想像もしてなかったので。
だからですか、なんかデータが残ってるって電話したら言ってたんですよねって話をして。
まさにそこに入って、1週間くらいたくさんいろいろお世話になって、
亡くなるってことになるんですけども。
だからその中で出会ったいろんな若い卵と言いますか、看護婦かな?
婦じゃなくて。
プチ鹿島
お礼参りみたいな、里帰りでもあったってことね。
みち
私はこの病院で生まれたんですみたいなこと、大先輩ですねみたいなことを言いながら、
いろんな人と関わりさせていただいたというかも嬉しかったですね。
プチ鹿島
やっぱり人との結びつきみたいなのはあるかもしれないですね。
そういう時ってね、思う機会でもあるじゃないですか。
みち
そういうのってやっぱり、ちゃんとスピラしてもらえるんだなと思いました。
プチ鹿島
大人になったな、みんな。
みち
本当に皆さんのいろんな話も聞いてみたいなと思いますけど。
プチ鹿島
でもこういう話もできるようになったのが悪くはないよね。
くだらないことばっかり話すのもいいんだけど、
ちゃんとこういう話も経験もして。
みち
みんなに迫ってきますからね、勝手にね、向こうからね。
面白いですよ、本当に。
プチ鹿島
それの上で濃いめのウーロンハイを飲んでるみっさんが大人だなっていうことでしょ、大人ってのはね。
みち
そうですね、そういうことですね。
そうですね。だから皆さんも、これからの方、経験済みの方おられると思うんですけど。
プチ鹿島
かなりスッキリした。これからどんどんこう聞いてきますよ、こうやってね。
みち
まだまだまだ。まだ父もいますから、私も頑張らなきゃいけないんですよ。
プチ鹿島
こういうのがコミュニティですからね。みんなで言い合うっていうね。
みち
ああだこうだってね。いいですよね。
おじさんがそういうのに長けてるのがよくわかりました。
おじさんというかおばさんもそうでしょうけどね。
忙しいです、多分、皆さん。
プチ鹿島
ありがとうございます。本当に。
みち
ありがとうございました。また来週も。
プチ鹿島
この回はヘビーローテで聞いてください。僕も聞くと癒されると思うから。
みち
よろしくお願いします。
プチ鹿島
頑張りましたね、みっさんね。
みち
頑張りました。柏さんもこれからぜひ頑張っていただければなと思います。
プチ鹿島
じゃあまたお話ししましょう、来週。
よろしくお願いいたします。
みち
ありがとうございました。
ありがとうございました。