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2024-09-30 21:33

v124-1 株式会社ヴォイド代表・添島慎也さん「街に開けたシェアオフィス」

今回は、株式会社ヴォイド代表取締役・添島慎也さんにお話を伺いました。
墨田区東向島でシェアオフィス・クラフトワークを運営されている添島さん。現在は空き家再生事業や民泊、シェアオフィスの運営など、多岐にわたる活動をされています。今回は、どのようにしてこれらの事業に取り組んでいるのか、その背景や思いについてお話を伺っていきます。

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Summary

株式会社ヴォイドの代表である添島慎也さんは、シェアオフィスや民泊、空き家再生事業を通じて、変化する社会に適した事業運営を行っています。特に墨田区の民泊事業では、外国人観光客を意識した取り組みを強化しています。添島さんは地域特性を考慮したシェアオフィス「クラフトワーク」の設立理念について語ります。また、ものづくりとワークを融合させたクリエイティブな空間の重要性が強調されています。

株式会社ヴォイドの事業内容
ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は株式会社ヴォイド代表取締役、添島慎也さんにお話を伺いました。 墨田区東向島でシェアオフィス、クラフトワークを運営されている添島さん。
現在は空き家再生事業や民泊、シェアオフィスの運営など多岐にわたる活動をされています。
今回はどのようにしてこれらの事業に取り組んでいるのか、その背景や思いについてお話を伺っていきます。
添島さんは今、お仕事は何をしているという感じなんですか?
お仕事は、キャリアとしては森ビル株式会社。
森ビルに17年いまして、2003年の六本木ヒルズ開業と同時に入社して、そこで六本木ヒルズの施設の管理運営をやって、2008年ぐらいから虎ノ門ヒルズの立ち上げになりました。
企画とか設計、企画マーケティングですね。そういったところで虎ノ門ヒルズ森田は開業まで行った。
その後は総務部で、森ビルの社内のファシリティ全体を見るというところの仕事で、最終的に辞める前は内装部。
森ビルのメインの業務であるオフィスのテナントさんのオフィスの設計を、デザインをやっていたというところが、当時のキャリアです。
今現在は株式会社ボイドというところで、大きく分けると3つ。1つは、偉そうなこと言うと空き家再生事業、もう1つは民泊、3つ目がシェアオフィスをやっています。
ボイドという名前の由来なんですけど、分かります?
分かんないです。
英語で、ガランドとか無の空間をボイドって言うんですね。
よくパスポートでインをされて、ボイドって言う、あれ無効って言う、執行しましたって言う。
そうなんですね。
英語でボイドって言う、使えません、執行しましたっていうのがボイド。
つまり、無のことをボイドって言って。
あと図面とかで、例えば吹き抜けとかロフトの部分、平面図上を吹き抜けになっているところを、2階部分がこう、何もないところはバッテンつけるんですけど、そこをボイドって言うんです。
知らなかったです。
建築汚てか、平面図上で。
そういった無の空間をいかに活用しようかって言ったところで、恥ずかしながらそういったのが作らせて頂いたというのが由来です。
つまり、私がやりたい仕事って、不動産というハードを活用して、少子化だったり高齢化だったりとか、いろんな社会の時代の変化によって用途っていうのは変わるじゃないですか。
それをうまく時代の変化に応じて、コンテンツを解釈し直すっていうのをうまくやっていけたらなっていうのが、今やっていることになりますね。
建築っていうのは、もともと好きというか、モリビルに入ったっていうこと自体は、建築的な文脈で入ったって感じなんですか?建築をやりたいみたいな、そういうところ。
基本はそうなんですけど、入った時は、僕は大学の話までさかのぼるけど、経営学部卒なんですよ。
ある時から建築をやりたいと思って、夜学に通おうと思ったんですね。
ただもうその頃一回卒業して、一社目の新卒で働いた会社があったんですけど、そこを辞めて、真面目に建築をやりたいなってそこから思って。
で、大学行き直したんです。建築学科にまた入るんですけど、その時にお母さんお金出してとも言えないから、
働きながらいける、要は学費稼がなきゃいけないと思って入ったのがモリビルだったんですよ。
ああ、そうなんですね。
で、それを許してくれたんで。
へー、そういうのがあったんですね。
そっかそっか。
それで、その後建築卒業して、なんとかうまく会社で動けたかなって感じ。
そっかそっか。じゃあ、やりたいっていう気持ちはあったっていうところからってことですね。
何かきっかけあったんですか?やりたいみたいな。最初、経営学部に入ったっていうのは経営のほうなのかもっていうところで入ったかもしれないですけど、どこかで建築なんだなみたいな。
一社目の会社を辞めて、その後ちょっと空白期間をつけて、ニューヨークに留学したんです。
へー、はいはいはい。
で、行くと、見るものってそういう美術館だったり建築だったりって大体決まってくるじゃないですか、どこの国行っても。
やっぱり、物を作るのをやりたいなとは思ってて。
それで行ってみて、ニューヨークの建築に感化されて、アートだったりデザインだったり、いろんな情報で感化されて、これはちょっと、一からやり直そうと、腹切れて日本に戻ってきたって感じです。
そうなんですね。じゃあ、ニューヨークがあったっていうのは一つの大きな。
大きいですね。それがなかったら、たぶんやってないと思いますよね。
あー、そっか。そっか。建築の芽みたいなものがニューヨークで何かちょっと開いて芽吹いてみたいな感じといえばそういうことですよね。
まあ、才能があるかどうかって、ともかくどうでも正直よくて、もう腹決めて俺建築やろうと思って帰ってきたっていう。
やりたいっていう、もうそこですよね。
そうです。
あ、そうなんだ。でも、そこから今、もうここの場所に至る、ここも建築の、といえば建築じゃないですか。そこはもうじゃあ貫いてずっといっているといえばそういうことですかね。
いろんなぶれ方があると思うんですよ。
例えばこの不動産に寄ってたりとか、こういったビジネスに寄ってたりっていうのは、いろいろぶれてるんですけど、やっぱり軸の建築からはずれちゃいけないっていう信念だけは偉そうなことを言うと思っていて。
だから、当然会社を起こしてやるにはある程度稼がないといけないし、一方で、その稼ぐ手段として不動産だったり、でもその中身で何ができるかっていう建築のところは僕は絶対譲らなくて。
ここのシェアオフィスも、細かい微妙な調整が必要なところは大工さんが入ってますけど、基本的にはもう自前なんですよ。
ああ、そうなんですね。自分でもやられたってことですよね。
大量仕入れて、電気も電気工事士取得したし、自分でやるのが好きで。図面も書いちゃいますんで。
ああ、そうか。じゃあ一応もう全部できると言えばできる状態で。
あと行政申請もできるんで。
ああ、そうなんですね。じゃあオールマイティにこの辺もう全部やって。
何でもやりたくなっちゃう。
やりたくなっちゃう。
ああ、そうなんだ。そういう経緯がありまして。
なるほど、恥ずかしながら。
そうなんですね。じゃあそう思うと、そうやって自分の思いがあって、長年お仕事をされていながらそこを出て、自分の会社を立ち上げて、こういう場所ができたってなると。
それはもう嬉しいのは当たり前なんですよね。
嬉しいですね。やっぱり森ビルは今も好きなんで。オフィス設計もやってましたしね。
自分の空間作るのは楽しいですね。
楽しかったですね。
確かに。だって自分のイメージというか思いがそのまま出てくる。
そのまま。
ですよね。
俺の頭の中こんな感じ。
そういうことですね。なるほど。
墨田区の民泊事業の展望
それでいくつも事業をやられていて、またこれからもそこを3つやりながら展開していこうみたいな感じなんですね。
これからもっと公室みたいなビジョンがあったりするんですか?
さっき言った3本柱があって、空き家再生というのはベースとしてあるんです。
フリー物件仕入れて直して、それを喜んで使ってくれる人がいるっていう。その流れは今も変わらないし。
一つのビジネスの柱だし、そこは引き続きやっていくと。
あともう一つ民泊。民泊は今墨田区で。
やっぱりこの墨田区っていう特性。外国人インバウンド。
たぶん来られるまでいろいろ電車とかでも外国人多かったと思うんですけど。
やっぱりここのエリアの特性は活用しつつやっていった方がいいだろうとは思うんですよね。
民泊の話していいですか?
どうぞ。
民泊でも今墨田区って民泊の許可が緩いんですよ。23区の中でも。
そういう意味で、今墨田区ってタケノコみたいに民泊物件がいっぱいできすぎて。
もうどっかで価格調整入るだろうと思います。
淘汰されていくだろうと思っていて。
その中で生き残るのも一つだし、ある一定の段階で撤退するのも良しとは思って。
それはどっちでも将来的にいいんですけど。
撤退を考えながらやってるわけじゃないんですけど。
基本は生き残ることでは考えつつも。
民泊オーナーって代行業者に丸投げの人が結構多いんですよ。
代行業者に丸投げってどういうこと?
つまりオーナーとしてその物件を取得、もしくは借り上げてやってるけど。
自分にホテル業、お客さんを入れるノウハウがないから、民泊の代行業者がいるんです。
そういうことですね。
外国人から問い合わせ対応して、客入れ、チェックイン、チェックアウトして、
中のベッドメイク、クリーニングをやって。
ホテル並みのクオリティっていうところは求められるんで。
基本そういったものを専門にやってる業者さんっていくつかあって。
大体そんな感じなんですけど。
僕はそこはあんまり好きじゃなくて。
一つはさっき話が通じるんですけど、
自分でやりたいってところに来ちゃって、それで従業員一人でやっちゃった。
それで元ビジネスホテルに勤めてる方だったんで、
ちょっとうちでこういうのやるけどやらないっていうんで、
去年来てもらったんですよ。
それで、
つまり目指してるのが、丸投げではなく自前でやりたい。
うちで理念抱えて、うちで清掃道具抱えて、ノウハウ身につけて。
それこそさっき言った旅館業の申請だったりとか、
そういったものも含めて、全部うちで。
ノウハウを得ながら、同時にサービスの向上をもっと図って。
つまりインバウンドで来てくれたゲストに対して、
喜んで帰ってもらえるっていうところが一番ベスト。
どうしてもやっぱりそういう丸投げだと、基本無人管理なんですよね。
鍵はキーパッドで。
チェックアウト後も何もしないでたいし。
うちは、うちの従業員に必ず会ったらご挨拶して、
帰りにチェックアウト後とかですけど、
どうだった?ってよく寝れた?その一言だったりとか。
今夏場なので、今日は暑いからみんなさんにお水渡したりとか。
あー、なるほど。
それとか、子供、乳幼児向けとかには、
ファミレスとかで好きなもの取っていいですよって、
シェアオフィスの理念
おもちゃあげるじゃないですか。
ありますよね。
カゴの中に。
そういうの渡したり。
オレンジジュースあげたり。
細かいことなんですけど。
要は何もそういったコミュニケーションのないまま去っていくと。
何の記憶にも残らないんですよね。
まあまあ何とか使えた猫のお宿っていうぐらいでしかないんですけど。
やっぱり泊まってよかったなっていうところは思ってほしいなと思っていて。
そういった形でやっぱり、
ちょっとしたことですけど、
人のサービスが少し開催してやれるといいかなと思って。
やってるっていうのがその民泊。
そっかそっか。
つまり今後も、
そういったエリアの特性を考えて民泊はもうちょっとやってみたいなとは思ってます。
はいはい。そっかそっか。
じゃあそこのビジネスも見ながら、
この場所も作りながら。
住みたくじゃないですか。
住みたくって住んでるとかそういう感じ?
全然縁がなくて。
あ、そうなんですか。
元々住まないと全然別というか。
全然別で。
なんで住みたくなのか。
たまたまそういった物件が流れてきたっていう。
だけです。きっかけは。
そうなんですね。
それが縁です。
それ自体が縁。
前から来てたとかそういうことでもなく。
でもなく。
へぇー。
ここだったらただ貸すより、リフォームして貸すより、
民泊ここ行けんじゃないかなっていうところから来たって。
へぇー。
順番的にはその3つどういう順番で並んでるんですか?
今されてる順番の通りです。
あーそうなんですね。
そうなんです。
空き家、古い物件を再生して貸し出すっていう。
それもベースとして並行してありつつ。
民泊も今年から始めつつ。
3つ目、ここのシェアオフィス。
そういったところが今までの経緯になっている。
建築への情熱を持ちながら、
今は新しいビジネスモデルや地域社会への貢献を模索している宗島さん。
今日のお話はシェアオフィス、クラフトワークの設立に込めた思いや、
地域に開かれた空間
そのユニークなコンセプトについても深く掘り下げていきます。
今度は3つ目のシェアオフィスですけど、
名前をクラフトワークという名前にしました。
その意味としては、
ドイツのテクノグループのクラフトワーク。
クラフトワーク、はいわかります。
それは全然書けないですけど。
ただああいうクリエイティブなオマージュも含めて、
クラフトワークという名前で。
クラフトプラスワークという形でやっているんですけど。
つまりシェアオフィスで、ワークはわかりやすいじゃないですか。
ワーカーが働きやすい環境といったところでよくあると思うんですけど、
うちはクラフトのところに軸足を若干置いてみようと思っていて。
大きく、見ての通りなんですけど、
奥がワークなんですよ。
この段差よりこっち側。
手前の方ですね。
ここをクラフト。
そういうことか。
クラフトって工作だったり、
ものづくりだったりという意味で、
こういう工具が壁に並んでたりとか。
そういったもので、
ここのテーブルもそうですけど、
そういったものづくりとか創作活動を愛している人っているじゃないですか。
そういう人たちに使ってもらいたいって思いを込めて。
当然デスクワークも含めて。
そういった人たちに使ってもらって、
うまくこのクラフトとワークのスペースっていうのを、
互いにクリエイティビティを刺激するような、
関係性の空間を目指してやっていきたいなと思って作りました。
こういうスタイルのところってあったりするんですかね。
あんまり僕はわかんないんですけど。
なくはないです。
なんとかラボとか。
ラボラトリー系の。
ありますね。
そういうのはあると思うんですけど。
ただ、東向島っていうエリアで。
もともとそういったものづくりに比較的下地があるエリアの町小原とか、
昔からの老舗のメニュー屋さんだったりっていったところで、
あと革材を作ったりとかそういうのが多いエリアで、
やっぱりそういった個人事業主ですとか、フリーランスとか、
そういうものづくりを愛してる人っていったところのエリアの特性だったりとか、
そういう人たちに使ってもらいたいなと。
そこの神話性があるっていった意味では確かにそうですよね。
この辺ってそういう工場とか工場みたいなところってある感じがするので。
そうなんですよね。
なるほどね。
僕自身もそういったものづくりが好きなので、
こういう場があったらいいなっていうのがベースにはあるんですよね。
そういうことですよね。
自分が好きだって思うところをそのまま出してきてっていう。
なるほどね。
それがクラフトワークという名前に込めた思いっていうのと、
あともう一つの要素として、
今どちらの駅から?
引き船から。
引き船から真っ直ぐ来るじゃないですか。
真っ直ぐ来ましたね。
地蔵坂通りっていうところですよね。
この地蔵坂通りって、地蔵坂商店街っていうのがあって、
いくつかお店があったんですけど、
ここって昔商店組合がきちんとあって、
歩行店になるぐらい人がいたんですよ。
へー、すごい。
歩行者店舗で車を止めちゃうぐらい。
お店がすごい並んでて賑わってたんですよ。
それがもう10年ぐらい前に商店組合解散して、
もう今こんな感じです。
そっかそっか。
そんなには。
だいぶ寂しくなる。
結構ご近所さんと仲良くさせていただいてるんですけど、
そういう話をよく聞くんですよ。
はいはいはい。
そういうのを聞くと、
少しでもこの通りとか、
やっぱり明るい方がいいよね、頑張ってっていうのをよく言われてて。
あー、なるほどなるほど。
で、ここもそういう意味で、
少し街に開けたシェアオフィスを作りたいなと。
そっかそっか。
はい。
宗島さんが手掛ける多彩な事業と、
その背後にある思いについて様々に伺いました。
やりたいことを実現するという強い意志と、
それを形にするための努力。
そしてシェアオフィスに込めた思い。
そのお話は次回に続きます。
21:33

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