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こんにちは、近藤ナオです。今日は、近藤ナオという生き物の第33回の話をさせてもらえたらなと思っています。
前回から、リサーチ編の番外編っていうのかな、いろいろリサーチ、そうですね、海外編をいろいろやってみて、
僕の中でこういうふうに考えてたんだなっていうこととか、そんな話を今日はちょっと2つぐらいできたらなと思うんですけど、
不動産購入の考察
1個は、僕はオランダとジョージア、もちろん日本もそうですけど、あとタンザニアだったりとか、いろんなところに家を買ってですかね、
土地もいくつか買ったんですけど、どっちかっていうと、経済の首都だったりとか、首都に家を買うっていうことを何個かやってみて、
あるときから自分の中で家を買うときのルールというか、目のつけ方みたいなことっていうのを途中から整理できるようになってきたんですけど、
そのおかげで実際オランダも買ったとき、当時買ったときが当時のレートで言うと3300万円ぐらいだったかな、中古マンションを買ったんですけど、
今ユーロも少し高くなったっていうのもありますけど、全体的にそこのエリアの土地の金額が上がってて、今の今すぐ売れば多分6000万円ぐらいになるかなっていう感じで、
でもオランダの家も僕一人ではなくて、友達2人と3人で買ってるので、僕が6000万円の資産を持っているっていうわけではないんですけど、
そういう形で、その頃から僕が買っているのは、都市部において地下鉄みたいなものっていうんですかね、首都圏ってある程度都市化していくと、日本で言うとJRみたいなものではなくて、
地下鉄って都市と都市をまたぐっていうほど長い距離では引かれるものではないので、地下鉄っていうふうに思ってもらうといいと思うんですけど、地下鉄みたいなものが引かれてるような街で何回か家を買ってるんですけど、
その時いつも最初無意識だったんですけど、地下鉄の終点駅の不動産を買ってるんですね。地下鉄だけじゃないんですけど、多分電車を通すときってパワーのある街とパワーのある街をつなぐだなっていう感覚はすごいあるんですよね。
これはロジカルには言えないですけど、僕が自分で都市開発をしていいって言うんだったらパワーのあるところとパワー、明らかに分かりやすくメジャーな場所とローカルというか、終点の方っていうのは目立たないけど、実はその地域においてはすごい大事な拠点みたいなところまで電車を通す気がしていて、
その分かりやすいメジャーな方じゃない終点の方の土地をいつも買うようにしてました。東京とかだと全国的に分かりづらいかもしれない。東京の場合は最初千代田線っていう地下鉄の終点の代々木上原駅を買ってたんですけど、
その後オランダでもアムステルダムの中にある地下鉄の53番線っていう赤色の電車があるんですけど、その終点のカスパープラスって駅を買ってたりとか、旧ソ連のジョージアでも地下鉄の終点のアフメトルシアトルっていうところに買って、
アパートみたいなマンションみたいなものを建てるっていうことをやってたんですけど、やっぱりどこのエリアも、ジョージアとかも分かりやすかったですね。
なんでそこのポジションまで電車が行ってるんだろうと思ったんですけど、そのポジションの後ろ側っていうのかな、すごい農家さんとかそういう農家さんですかね、落農だったりとかそういう食べ物生産者みたいなのがめちゃめちゃいっぱいいて、かなり分散していて、
でもそこの人たちがアフメトルシアトルに食品を持ってきてみんなで販売するっていう巨大なマーケットというか、マーケットですねっていうものが生成されているとか作られている状態で、
なのでそこがキーになってくる場所だったっていうことですね。逆にそれ以上先まで電車を通すとどこに行っていいか分からないっていう状態だったんだなっていうのが、家を買ってそこで暮らしてみて理解していくんですけど、
なのでそういうパワーのある場所っていうのは、だんだんその後、人が集まってきたりそのエリアに新しい家が建ち始めたりとかしながら、土地としての価値は上がっていくんだなっていうのを体感していました。
すみません、これはもう絶対っていうわけじゃなくて、僕なりに電車が通っているところだとなぜか終点の駅から不動産を探すようにしてたなっていうだけの話なので、あんまりこれを参考に家を買うことは、すみません、自己責任でお願いしますっていう感じなんですけど、
タンザニアとかは地下鉄とかが通ってなかったので、地元の人たちがかなり盛んに遊んでいて、まだ新しく入ってきた欧米人だったりとか中国とかインドのお金持ちの人たちが目をつけてない、
でも真ん中に近いエリアみたいなところを狙って土地を買っていったっていうのはあるんですけど、ちょっとこれは説明すると雑になるんで、この話はやめます。
コロナと国の対応
あと、僕が世界中ぐるぐるして、特にコロナが発生する1年前ぐらいから動き始めて、コロナの最中も特に僕の中で日本にずっといても何かやりたいことがあるっていうフェーズのタイミングじゃなかったので、
コロナだけど、なんとかして世界中をぐるぐる回るっていう意気込みだったので、コロナが始まってから3年間でも多分16か17カ国ぐらいの国を3年間で50回とか60回ぐらい普通に移動して暮らしてました。
この経験も本当に非常に勉強になったんですけど、その時に思ったのが、世界中国という境界線を超えるオーガニゼーションというか共同体みたいなものっていうのは、まだないんだなっていうのをすごい感じました。
まず簡単に言うと、コロナの時に国連のWHOがコロナに対しての世界全体の対策みたいなことを出すような雰囲気になりましたけど、結局その言うことはほぼどの国も聞かず、国連って結構全然影響力ないんだなと思って。
その後、世界中で言うと、EUですかね、ヨーロッパユニオンっていうのは結構強制力があるって聞いてたんですけど、でも実際始まってみると、EUが出したダイレクションを無視して、
ドイツだったりフランスだったり、いろんな国々が結局その国のルールみたいなもので、コロナに対しての対策を作っていって、国ごとなんだなみたいな。国ごとに法律があって、その中ではしっかり守られていて、
本当に国ごとでこんなにキャラが変わるというか、国ではそれに従わざるを得ないんだなっていうのはすごい痛感しましたね。
例えばメキシコとかは、日本は結構コロナになってガチガチに国を封鎖したので、外から人が入ってこないみたいなことをすごいやってましたけど、逆にメキシコは一切封鎖するってことはしなかったんですよね。
タンザニアはもう実は、タンザニアに1ヶ月ぐらいだけしましたんですけど、国を封鎖するって言った日に僕は入国しちゃったんで、他の国の真似して14日間隔離ですみたいな。
始めた日は結構ひどくて、始めた日から1週間ぐらいは、隔離なんだけどホテル代自腹ですみたいな感じになって、タンザニア人もケニア人も日本人もヨーロッパの方々も全員隔離っていう感じで。
かつお金を落とす、国とホテルがどういう癒着だったのかわかんないんですけど、4つ星ホテルとか5つ星ホテルで隔離みたいになっちゃったんで、タンザニアなんですけど1泊1万いくらみたいな感じで、めちゃめちゃ高いお金を全員が払わされるみたいな感じになって、
全然飛行機乗れるレベルのタンザニア人なんで、そんなに貧乏ではないと思うんですけど、でもそういう人たちも14日間で、1日1万円だとしても14万円のお金をいきなり取られるっていうのは、
多分飛行機乗れるレベルの人たちでも月収で言うと5万円6万円ぐらいのお金ぐらいの人が出張で行ってるとかっていう人も多いと思うんで、そういう人からするとかなり辛かっただろうなと思うんですけど、それでめちゃめちゃ苦情が出て、
1週間後には無料というかタンザニア政府側がお金を補填して収容する場所を確保していくんですけど、いきなり何千人とかっていう人たちがどんどん入国してくるので、
タンザニアでの生活
泊まらせる場所とかって簡単にはないんで、でもその時見つかったのがダルエスサラームっていう経済の首都にある、タンザニア中の人たちが普段だったら、ダルエスサラームに大学とかに来るときにタンザニア人の学生たちが泊まるようなホステルみたいなところを強制的に半分以上空けて、そこに無料で泊まらせますみたいな感じにしたんですけど、
僕もそこ、1週間後からそこに移動させられて、14日の後半1週間は無料だったんですけど、でもめちゃめちゃ先進国の人たちからすると、めちゃ劣悪な環境というか、網でもないような状態なのでマラリアになるリスクもある感じで蚊がいっぱい入ってくるし、
シャワーとかもお湯は出なくて、ずっとチョロチョロって水が流れてるだけみたいなシャワーだったりとか、食事とかも1日2回しか提供されないみたいな感じなので、
また今度話そうと思うんですけど、僕は1日1食しかご飯を食べないみたいな暮らしを10年以上続けているのがあったので、そういうところでも食事に関しては問題はなかったですけど、でもやっぱりかなり蒸し暑くて蚊がかなり入ってくる中で睡眠を取るっていうのはなかなかレベル高いなっていう感じで、
だからその時本当に面白いなと思ったのは、もう本当に欧米人もアフリカの人たちも一緒の環境で暮らしてるんで、タンザニア人とかケニア人とかは超余裕で普通に暮らしてるわけですよね。
それよりもひどい状況で生まれて育って、今少しサラリーマンというか社会人になってきて、海外とか飛行機のレリオになったかもしれないですけど、かなりそういう状況に慣れていて、逆にヨーロッパの人とかアメリカ人の人とかがずっと1回で保健所の人とかに切れまくってるんですよね。
こんな環境では生きていけないみたいな、早く出せみたいな、どんだけ切れても14日間という国のルールなわけだから出れないのに、でももうパニックになってるというか、こんな劣悪な環境で暮らしたことがなさすぎて、
こういうところである種の弱さが出るんだなっていうのを見れたのもすごい面白かったですし、
タンザニアは一瞬だけ国を封鎖したんですけど、1ヶ月ぐらいやった結果、めちゃくちゃ金がかかるってことがわかるわけですよね。
確立して、その分の宿泊代と食費っていうのを出さなきゃいけないので、それでも1ヶ月ぐらいで大統領が急にコロナはなかったとか言い出して、
コロナはないから神に祈って働けって言い張り、コロナはなかったことにして、それでそのまま誰でも入国できるという状況に向けていって、
国民は世界中のメディアとかから情報を取っている人たちも少ないので、コロナはないんだって普通に信じて生きていって、なかなかすごい世界だなと思ったし、
その時にタンザニアは行こうと思えば世界中の人は入国できる状況だったんですけど、
タンザニアは結構、ザンジバル島とか綺麗な海はあるんですけど、まだまだ世界中のVIPというかパーティーピーポンみたいな人たちは受け入れるだけのホテルだったりとかレストランだったりとかそういう準備ができてなくて、
タンザニアにはあんまり世界中のパーティーピーポンは来なかったんですけど、その時に世界中のパーティーピーポンを受け入れまくった国があって、そこ行ったんですけどめっちゃ面白くて、面白いというかこういうことになったなと思ったのがメキシコでしたね。
メキシコの東海岸にカンクンテーリアとかトゥルムっていうエリアがあるんですけど、あの辺はかなり成熟しているので、世界中のそういうお金持ちの人たちが来ても遊べるだけの環境が整えられているので、
そこにメキシコは一回も国を封鎖しなかったので、多分順番としては世界中の感度の高いビジネスができるクリエイティブな人というのかな、そういう人たちが来て、それについてくる世界中の超美人な人たちが来て、
だからもうめちゃめちゃ綺麗な人たちがいっぱいいたんですけど、その綺麗な人たちについてくるただの金持ちたちがいるみたいな状況で、そういう人たちがもう普通にビーチ沿いのクラブだったりとかそういうところでウェイウェイ遊びまくってて、
メキシコはこのコロナの間にめちゃめちゃ火星だし、世界中の人に認知されるということに成功したんだなっていうのとかを痛感しましたね。
メキシコの成功
本当、一個一個話していくとあれなんですけど、南アフリカ共和国はこういう対応かとかオランダはこうかとか、日本はこういう対応してたなとか、本当にでも国ごとだったんですよね。
国ごとに明確な境界線があって、それ以上の境界線っていうのはまだ世界には存在しないんだっていうのを通列に感じたっていうのは、その後僕がやっていこうと思うことのすごいきっかけになるんですけど、その話はまた後日で。