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2024-12-01 12:07

#144 お釈迦様の足跡を辿る - 冬の永平寺修行譚

🌟 臘八大摂心 - お釈迦様に倣う冬の座禅修行

曹洞宗の修行僧たちが12月に行う伝統的な座禅修行「臘八大摂心」について語ります。お釈迦様の悟りの道のりと、私が永平寺で経験した極寒の修行時代の思い出をお話しします。一日15回、一週間続く厳しい座禅修行の実態とその意義、そして現代における実践についてお伝えします。

#仏教 #座禅 #臘八大摂心 #永平寺 #修行 #曹洞宗 #お釈迦様 #仏教講話 #仏教の教え #荒木弘文
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Summary

お釈迦様の教えと永平寺での修行についての思い出を語ります。この中で、座禅修行「老発大摂真」の重要性やその過程での苦労、修行の厳しさを振り返ります。

お釈迦様の教え
どうも、コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、福住宿をしております。
今日は12月1日ですね。
この12月1日という日、私にとってちょっと思い出深い日なんですよね。
というのは、永平寺というところで修行していた時に、とても重要な修行、老発大摂真というものが始まる日だったというところで、
今日はその思い出を語ってみたいなと思っております。
ではまず、老発大摂真とは何ぞやというところでございますが、
その前にお釈迦様について少しお話をしたいと思います。
お釈迦様というのは仏教お開きになった方ですね。
この方はインドの方です。
今から約2500年くらい前に実在していたとされている方ですね。
その方は、お釈迦様はですね、もともと釈迦族という王族の王子様というふうに伝えられておりまして、
釈迦族の王族ということは、とても裕福な暮らしをしていたというふうに推察はされるんですが、
そのような生活をしている上でも、お釈迦様にとって、とても苦しいこと、
例えば大切な人が病気になってしまったり、あるいは大切な人が歳をとってしまったり、
あるいは大切な人が亡くなってお別れをしなくてはならなくなったり、
そういう王族の力を持ってしてもどうすることもできなくて、
辛くて苦しいことというのがこの世の中には確かにあるんだというふうに、お釈迦様気づかれたと言われております。
そしてどうしたら、そういう苦しい思いというものをちょっとでも離れて、心だやかに暮らせないのかなというふうに思ったお釈迦様。
王族のままでは難しいというふうに思って、そして王族を辞められて出家をしたというふうに言われております。
出家というのはお坊さんになったということですね。
出家をして、王族を辞めて出家をして、そして6年間の修行をした後に、
そういう私たちの住んでいる世界にある苦しみ、そういったところから離れた心の境地、
いわゆる悟りの境地に至ったというふうに伝えているんですね。
そして悟りの境地に至った方のことを仏陀というふうに読んだんですね。
仏陀というのは日本語で言うと仏ですね。
そして話を最初に戻しまして、12月1日にお釈迦様はお悟りを開くための最後の修行、座禅の修行に入って、
1週間ぶっ続けで座禅をして、そして12月8日の朝に悟りに目覚められたというふうな伝説が残っております。
老発大摂真の修行
ですので私どもの宗派、曹洞宗、曹洞宗というのは座禅を修行の中心に据える宗派でございますから、
お釈迦様の行ったこと、そういったことに見習って、同じように1週間ぶっ続けで座禅修行をしようというのが、
それが老発大摂真という修行なんですよね。
この修行、1週間ぶっ続け、大変なんですよ、とても。
座禅というものは別に苦しいものではないんですが、でもさすがに1週間続けてってなるとやっぱり辛くなってくる、苦しくなってくるというのは実情です。
何が苦しいかというと肉体が苦しいんですね。
ずっと座っているとお尻のあたり、組んでいる足のあたっている部分とかがだんだん痛くなってくるんです。
なのでその辺が辛いというところではございますが、でも1週間ずっと座禅をできるという環境、とてもありがたいことですよね。
だって座禅というものは基本的に何にも生み出さないものですから。
ただただ座るというのは、言い方を悪くするとただただ何もしないで、動かないで過ごしているという、非生産の極みみたいなものでございますから。
そうすると永平寺というお寺を動かしていく、運営していくには、非生産の状態だとそのままずっと続けたら永平寺のお寺は潰れてしまいます。
だからそういった座禅修行をずっとできるというのはとても贅沢なことなんですよね。
1週間の座禅の修行、老発大摂止というものを少しご紹介いたしましたけれども、何が特に大変だったのかというと、
その修行の期間は特別なスケジュールになるんですよね。いつものスケジュールじゃなくて。
どういうスケジュールかというと、朝起きたら顔を洗ったりとかそういったものはするんですけれども、すぐに座禅に入るんです。
1回あたり40分。40分の座禅というのを5セットくらいするのかな。
40分の座禅を3回座って、それをトータル5セット、それくらい座るんですね。
ということは15回座禅があるということですね。1日の中でですよ。それが1週間です。
とっても大変ですよね、それだけ聞いてもね。実際大変です。
さすがにずっと座るという人というのは実は少なくて、交代交代でいろんな役割をやるんですよね。
さすがにみんなが座ったら食事もできない、お風呂も入れない、そういう状態になりますから。
それぞれ自分のやるべきことというのはありつつもなるべくそれ以外のちょっとでも空けば座禅をするというところでございます。
私はそのとき何をやっていたかというと、座禅を1週間ぐつづけで円滑に回せるように様々な準備をする部署におりました。
それがなかなか大変なんですよ。やることがいっぱいですからその期間もね。
その準備をしたりとかやっているうちにね、とても大変な日があったんです。
何が大変かというとものすごく寒い日があったんですね。おそらくそのときは寒波が来ていたんだと思いますけども。
修行中はテレビもラジオも新聞も見れませんので、その電気の状態なんていうのは肌で感じる以外わからないんですね。
ともかくものすごく寒い日があって、私がその座禅をするための準備で外にいなくちゃいけないことがあったんです。
外で待機することですね。30分ぐらい待機する時間があって、ものすごく寒くて手がかじかんでしまって、あまりの寒さに指が動かなくなっちゃったんですね。
着物を上手く着れなくなっちゃったんです。上手く着れないということはだらしない状態ですね。
永平寺というところは身だし並みというのはとても厳しいところですから、それができない状態になってしまったんです。
大ピンチですよね。どうしようと先輩に見つかったら大変だということでね。
このかじかんでいる手を何とかしなくちゃならないということで、隙を見て先輩の目をむすんで、お湯の出るところ、温かいお湯の出る水道があったんですね。
ちょうどボイラーにつながっている水道。それを使って手を温めて、そして何とか手が動く状態になって、
そして着物をきちんと整えることができたというような思い出があります。
とても大変だったなと思いました。
修行の思い出
そのような老発大摂進というものは12月1日から始まったというのがとても思い出深いです。
今でも修行道場、永平寺とか相当州の修行道場、あとは臨済州の方でも行っているみたいですね。
座禅の修行をきっちりやっているわけですが、今はそこまできっちりやっているわけではありません。
ですが、いつもよりかは多めの座禅をするように私も心を挙げております。
いつもよりというとどのくらいかと言いますと、私は毎朝座禅をしているのですが、朝の座禅は大体20分、それを倍の40分にしております。
どこが大変なんだというふうに怒られてしまいそうなわけではございますが、
一応気持ちの上では老発小摂進ぐらいの気持ちでやっております。
仲間がいないとこんなもんですね。なかなか座禅をずっと続けるというのはとても贅沢なことではありますから、
実際には小さなお寺の場合はお寺が小さいといえどずっと続けるというのはなかなか大変だったりするわけでございます。
そんなわけで私の思い出というものを今日は語らせていただきました。
今日のお話を聞いていいねと思った方はどうぞいいねボタンを押していただければ私の励みとなります。どうぞよろしくお願いいたします。
では蓮城院副住職の幸文でした。ではではまたね。
12:07

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