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2024-09-10 24:01

#5-1 ゲスト・詩人 / 真名井大介さん【読書のまにまに】

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詩人の真名井大介さんをゲストに迎えて、トークセッション。中学生時代に本に救われた話から、詩人として生きる今のことまで。ここに至る道をつくってきた本たちについて聴いていきます。

 

【今回のゲスト】

詩人 / 真名井大介さん
1988年島根県生まれ / 詩人。「わたしたちを生かしているものの正体とは」を主題に、詩集刊行、インスタレーション作品の制作、ポエトリーリーディングの3つの活動を行う。2024年にアンビエント音楽家・北航平とのコラボレーション・アルバム『八万光年の手紙』をリリース。第6回永瀬清子現代詩賞・入選。詩集に『生きとし生けるあなたに』。


オフィシャルサイト:https://daisukemanai.com/
Instagram:https://www.instagram.com/daisukemanai

 

【登場した本】

『アルケミスト』パウロ・コエーリョ

『モモ』ミヒャエル・エンデ

『はてしない物語』ミヒャエル・エンデ

『生きとし生けるあなたへ』真名井大介

『まど・みちお全詩集』まど・みちお

『沈黙の世界』マックス・ピカート

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今日も始めていこうと思っております、読書のまにまに。この番組は、あらしろゆうきがナビゲートしてお届けいたします。
この番組、読書のまにまには、読書の途中で生まれてくるいろんな声を聞いていこうとする番組です。
本体、読み切ることが念頭に置かれることが多いなと個人的に思っていたりします。
ただ、やっぱり読むって難しいなと思っています。読み切ることに意識を向けて読み終えると、あんまり覚えていなかったりもするなぁとか思っています。
この番組では、読み切るとか読み終えることには重点を置かず、今読んだ10ページとかでもいいし、1ページでもいいし、もはや手で触れただけでもいいかなと。
もはや遥か昔に読み途中になったものでもいいと思っています。
ゲストの方に思い出す本の感覚とか、感じていること、思っていることを聞いていこうとするお時間にしていきたいなと思っています。
さて、今回は第5回ということで、今回ゲストでですね、詩人の間奈井大輔さんにお越しいただきました。
大輔さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。間奈井です。お願いします。
お願いします。ちょっと大輔さん、自己紹介みたいなものお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、もちろんです。
詩人ということで活動している間奈井大輔と言います。
主に活動としては三本柱で、自分の書いた詩の詩集の出版。
2つ目がインスタレーション作品ということで、空間展示をやっているというのと、
あと最後、詩の朗読のライブパフォーマンスというのを3つ目やっていて、
出版とインスタレーションとライブパフォーマンスというこの三本柱で活動しております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。今、おっしゃっていただいて初めて、三本柱なんだって今思いました。
最近、わかりやすく三本柱って言いようとね。
そうなんですね。なるほどな。今、それこそ詩集みたいな話、出版とかお話されてましたけど、
僕の今手元にもですね、大輔さんが以前出された生きとし生けるあなたに、ちょうど昨日読み返しておりまして。
ありがとうございます。2年前の本ですね。
そうか、もう2年前なんですね。
今、それこそ第2週目、第2作目の本を今まさに制作中でございますので、年明けには出せるんじゃないかなと思います。
そうか、すごい。いやもう最近、そうだな、確かこのお手キャストに大輔さん呼ぼうって思った瞬間のことをちょっと今思い出したんですけど。
大輔さんに、ここに大輔さんの詩集あるよってなんかメッセージ送った瞬間があったなと思って。
ああ、そうだ。その沖縄の浜干が自慢のある日って本屋さんの。
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そうだそうだそうだ。浜干がの本と飽きないある日か。
前大輔さんが個展をやってたので、たまたま僕も近くに行ったので行こうと思って行ってみたよみたいな時と、あとあれだ、京都の景文社さんに大輔さんの本があって、ここにあるんだっていうことを思った。
京都のね、市城寺っていう町の本屋さん。
京都関西圏でかなり有名な本屋さんですね。
結構プッシュいただいてありがたい感じです。
ありがとうございます。
どんなところから話していこうかなーみたいなことを思ったりしたんですが、さっきほら、この収録を始める前に大輔さんにこのポッドキャストの背景はね、みたいなお話をしたときに話したいことがいくつかあるっていうお話をしたんですけど。
たぶんありますよ。
そのときって、どんな役者が歌ってたのかっていうと、あたりから聞き始めたいなと思ったんですけど。
いかがですか。
すごく自分にとって本というものは、一個人としても救われたっていうものですし、あと今大人になった今でも、本というものとの付け合いは生活の中の一部っていう感じで、
それは読むっていう立場でもそうだし、自分が作品を書いて読んでもらうっていう立場でもそうだし、本がない自分の一生って考えられねえなっていう感じがすごくあるので、
もうこの会話を通して自分の中でもまだ言語ができてないことを偏在化して言葉になって意識できると嬉しいなと思って、そういうまず楽しみがあります。
そうなんですね。そっかそっか。ありがとうございます。
今お話いただいている中に、本に救われたっていうふうなお話されてましたけど、もし差し支えなければ、救われたってどんなふうに救われた感覚があったのかとかって聞いてもよかったんでしょうか。
ありがとうございます。
今ね、その話を振られて、これちょっと着せずして繋がるなと思ったんですけど、結論、親父が読み終わっていない本っていうのが本棚に置いてあって、僕がそれと出会ったっていう話なんですけど、
中学校くらいの時に、当時僕は部活テニスをしてたんですね。結構その伸び悩んでた時期がありまして、その時にやっぱり練習でできてるのに本番で力出せないみたいなすごい悩んでたんですよ。
そういう時に、僕それまで本当に本、ましてや詩なんて谷川俊太郎の教科書に載ってるやつ以外見たことないし、エッセイ小説なんてまあ読書感想文書くためにいやいや読んだくらいなもんだったんですよね。
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なんですけど、本当にどうしようもなくて落ち込んでて、休日部活がない昼下がり夕方くらいってもう時刻も覚えてるんですけど、親の寝室に本棚がちょこんとだけあって、そこである一冊の、それは秋元康さんのエッセイ集だったんですけど、
それがふっと目に目があって、結構読まれてない感じだった。これは絶対親父読んでないだろうなみたいな感じで手に取ったんですよね。そこでパッと開いたページにあった言葉が、ちょっと今具体的にそのフレーズは言えないんですけど、すごい救われたっていう体験だったんですよ。
今にしてカッコつけて言うと、この言葉はずっと僕のために待ってくれてたんだなって感覚があったんですよね。
救われたっていう感じとともに。それが自分もこういう誰かのある瞬間を待っているような、そういうもの、それは具体的に言えば本という形になるかもしれないし何になるかわからないんですけど、
そういうものを自分も作り出せて、そういうパッと救われるような瞬間を人に何か分かち合えたら、作れたらいいなっていうのは明確にその時思ったんですよね。っていう意味で救われたエピソードでした。
そういうことがあったんですか。中学生の頃なんですね。
まさか14歳間もない夕方の秋元康の言葉に救われた。
秋元康さんですね。それもいいですね。
そうなんだ。その後何かその大介さんとしてのテニスとの関わり方だったりとかつながり方とかはそれは変化したんですか。
テニスはもちろんプレーはプレーでやってはいたんですけど、やっぱり自分で書くようになったんですよね。
なるほどね。
そうなんです。それが一番のシフトで、その時は秋元康の言葉が本棚に埃かぶって待ってくれてたっていうことだったんですけど、やっぱり言いながら面白いなと思うんですけど、待ってくれてる言葉もきっとこれからもあるんだろうか、そういうものに出会えたらと思うし、
同時にやっぱり自分の内側から、自分に必要な言葉を汲み出すみたいな、挑むみたいに、そういうことがしてみたいなって本当に思ったんですよね、中学校の時。
なので、まあ思春期ポエムじゃないんですけど、そういうのをやっぱりずっと書いてて、別に文芸誌に投稿とかしなかったんですけどね。
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だから本当に自分の心を潤すために、励ますために、自分で書くみたいな行為が、なんか生まれたっていうきっかけじゃないかな。
そうなんですね。なんか今の伺っていたときに、ポエムかわかんないけど、確かにそういうのなんか書いたかわかんないけど、そういう感覚みたいなものをなんか久々に思い出した気がして。
14歳、15歳だな。
書けますよね。すごく僕はそれが続いたっていう感じですかね。
それってそっか、14、15とかそれ以外の時だけとかじゃなくて、これまでずっと続いてきてるんですか。
そうですね、日記ブログみたいなのを書くのも好きで、誰に公開するわけでもなく、自分のために書いてて。
それを書くなって言われたら、たぶん死んじゃうんじゃないかなくらい、時間がやっぱ救いになってしまう。それは今もですね。
ああ、そうなんだ。
今も救われたっていうふうな言葉も使われてましたけど、それこそたぶん14歳のときの大輔さんの救われたっていう事柄と、今これまでも日々その言葉を書くこととかに向き合いながら救われてるってのって、
救われてるっていう概念の意味合いがどんどん変化していったりしてるのかな、どうなんだろうな、みたいなことを今伺いながら思ったりしたんですけど、
大輔さんのときの救われるとか救うみたいなものって、どんなふうに認識が変わっているのか変わってないのかとかってそこら辺聞いてもいいですか。
今パッと浮かんだのは、自分にとっての救いってすごいスピリチュアルなものになるかと思うんですけど、
自分の命が流れたがっている方向が常にあるっていう感覚があって、そこと健在意識が不一致のときって、そこに健在意識が追いついてなくて置いてけぼりになっているときってあるなと思ってて、
言葉を僕の場合は書き出すことで、そのズレを一致させているような感じで、そのときにすごく安心するんですよね。
自分の本質が流れたがっている方向と今の意識が一致して、追いついたときにすごく安心するし、その安堵感が救われたっていう感覚だなと思って。
それ自体はあんまり今の昔も変わってない感じがしてますね。
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そうなんですね。今の伺いつつ思い出すのが、大介さんが、とはいえ今は詩人として取り組まれて日々過ごされていると思うんですけど、
昔、企業の中でゴリゴリ働いた時期とかもあったようなことを思い返しておったんですけど。
そういう何か働いている、会社で働く的なことをされている時とかも、今の命が流れたがっている方向にとか、言葉を書き出すことでズレを一致させている感じみたいなものっていうのは、
その働くという場の中、生きている中でも、結構同じような感覚を持ちながら生きてたんですか?
いやそれは言われると本当そうかなって感じはしますね。そのゴリゴリそのビジネスマンやっていた時は、やっぱりそのギャップが大きくて苦しんでたっていう感じはありません。
本当はもう何メートルも先に川の流れは流れようとしているのに、肝心の自分の健在意識が追いついていなくて、そのズレにさえも気づいていないから、なんで今こんな気持ち落ちちゃうんだろうとか、なんで川の調子が悪いんだろうみたいな。
常に命っていう言い方しちゃうんですけど、命は先にずっと行っていて、そこに自分の意識、健在意識が追いついていくっていう順番っていう感覚はずっとありますね。それが本当にギャップが大きかったのが、その当時だったなと思ってますね。
そうなんだ。そっか。
そういう家庭のいくつかの中で、さっき本がない一生は考えられないみたいな話もされてましたけど、人生の所々で思い返される本みたいなものとかってあったりするんですか?定義のタイミングなのかどうなのか。
めちゃめちゃありますね。常に常にそういう一冊はあるんですけど、結構その読んだ本とその時代が結構もう、僕の自分史みたいな人生を衝立てするんだとしたら、最初はこの本みたいな感じは結構あるかもしれないですね。
へー、そうなんだ、そうなんだ。
めっちゃたくさんあるんですね。
めっちゃありますね。
なんかすごいありきたりな質問をしちゃうんですけど、仮に人生で随一の一冊はこれって何?って聞かれたら、どんな言葉を返しますか?
きついなー。きついなーっていうのがまず第一性なんで。今これ話してる真後ろに本棚あるんで、ちょっと本棚を温めると。
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まあでもベタですけど、ベタになるかわかんないですけど、アルケミストっていう北上小英霊っていうブラジル人作家、僕彼と誕生日実は同じなんですけど、そういう縁も勝手に感じながら大切な一冊なんですけど、
やっぱり路頭に迷った人生の転換点がいくつか過去あって、その時にはやっぱり傍らにあった本ですね。
アルケミスト、僕も何回か読んだことあるなーって思いながら今すごく読みたい気持ちがフツフツとしてきたんですけど、アルケミストと大輔さんが最初に出会ったのは何歳ぐらい?
最初に会ったのは20くらいだと思うんですよね。20前後だと思って。でもその時に衝撃を受けて、もうドッグイヤーと赤線引きすぎてむしろどこが大事なのかわかんないくらいだった。それでもう一冊別に書き直したっていう本なんですけど。
すごく自分の命の流れっていう言い方はさっきからしてるんですけど、その流れに気づかせてくれる本っていうのをその時々出会ってる感じがしますね。
命の流れに気づかせてくれる本。
これが今、視点を変えるとこれが今次に訪れようとしてるんだな、人生にみたいな。扉になるような本っていう出会っている感じがあって。
それが自分にとって顕著なわかりやすい文学スタイルは詩だったんですけど、物語でいうとアルケミストとかミヒャイル・エルの作品とか、その辺はすごい思いますね。
なるほどな。アルケミストを最初見た時のインパクトっていうのはどんなインパクトがあったのかお記憶あったりします?
なんかもう血流がすごい巡る感じがあって、俺一体何見てたんだろうって目が覚める感じ。
その時点ではここまでの言葉を使うと、命がすでに行ってる数歩先と自分とのギャップがあるってこと自体に気づいてない時に、実はずれてるやんみたいな。
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気づかされたっていう感じが本当にあって、血流めっちゃ体駆け巡ったっていう体感は覚えてるな。
読んだ頃の大輔さんはどんなことに打ち込んでいたりした人だったんですか?
その時は結構その都城国支援みたいな、都城国の子どもたちとかの生き方にすごく関心があって、何か力になれたらっていうところだったんですよね。
自分の無力感みたいなのを感じたりして、どうしようっていう時期だったんですけど、その時は学生みたいな。
そうかそうか、そういう時に読んで血流に、そうなんですね。
落ち込んでた体になんか電気が走るような感じ。
そうなんだ。ミハイル・エンデさんの方はそのぐらいの時期ですか?
ミハイル・エンデはもうちょっと後なんですけど、結構僕も一人の作家に出会ったらその作家を深掘りしまくるタイプなんですよね。
そうなんだ、そうなんだ。
かつその作家が影響を受けた作家を読んでいくみたいな読み方を僕はするんですよ。
20代のその時期はひたすらファウロ・コエイリョーを読んでましたね。ボールヘッドとかも読んでたし。
そっかそっか。
いわゆる小難しいやつからわかりやすい。
もちろんその時も詩集は読んでありましたけど、その辺の時期は物語熱がありましたね。
なるほどな。ミハイル・エンデさんだと桃とか果てしない物語とか。
そうですね、ミハイル・エンデの話でいうと桃、果てしない物語とか。
彼の短編集とかもありますけど、あと完全にミハイル・エンデのエッセイというか、そっちにもガツンとやられてました。
そうなんだ、ちょっとエッセイ読んだことないな。
本当ですか。もうね、物語の余白っていう本とかがちょっと同化してますよね。
すごい。
読み返しかな。
そっかそっか、なるほどな。
本格的に書くようになって、やっぱりより読み返しになりました。
そう聞いてみると、大輔さんが、それこそは本をずっと読まれてもいるし、言葉を書いていくってことをずっとされていたことを今言ってましたけど、
大輔さんとしてその書いている言葉を外に出すというか、他の人に渡すというか、見てもらうというか。
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今回で、この2年前に刺繍たされたこともありますけど、出していこうとしたのって、どういうきっかけでそっち側に行ったんですか。
それもですね、結構唐突な感じで、自分にとっては。
それも時間帯を覚えていて、結構深夜0時前後だった記憶があって、その時は沖縄に住んでた時だったんですけど、
なんかね、このままじゃダメだって急に思った。
後ろ向きな意味というか、何かこう、まさに自分は今健在意識としてはつかめてないけど、
命の流れ的に今の状態じゃないところに行きたがってるなっていうのがすごくわかった瞬間があって、
ハッと。
目が開いて、ベランダから月でも行ってたのかな。
ぼーっとしてる時間だったんですけど、ハッとして。
で、その時に結構な量は書き溜めて原稿にはなってたんですよ。
そうなんですね。
なんかもう、人に分かち合いたいとかじゃないですよ。
なんかもう刺繍という本という生き物の生きた形に、
僕女性じゃないんで妊娠した体験はもちろんないんですけども、
命が生まれて自分の中に、これは生まなきゃいけないみたいな。
生まないと自分が死んでしまうし、お産ってそうじゃなくてずっと赤ちゃんの胎児になったら自分が死んでしまうわけ、死ぬっていうかダメなわけで、
それにある意味例えとしては近い感じで、なんかもうできちゃったみたいな。
刺繍がイメージあったわけじゃなくて、刺繍という本の形の輪郭がなんか生まれたっていう感じがあって、
これをもう生み落とさないと自分が死んでしまうし、先に行けないみたいな。
こんな話で大丈夫ですか?
いやー、もちろんもちろん。めちゃめちゃ面白いですよ。
そっかー、できちゃったんですね。
できちゃったっていう感じですね。生まれちゃってるみたいな。
だから僕の健在意識では、そこからもう2年後ぐらいでいいんじゃないかなと思ったんですよ。
誰に頼まれて出す本でもねえなと思って。
なんかこう、あ、今作んないとやばいぞみたいな。
そうなんだー。
じゃあちょっと真に受けてみるかと思って、半分渋々手を動かし始めたら乗ってきたみたいな感じ。
そうだったんですねー、そうなんだ。
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