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はい、みなさんこんにちは。今日はですね、VOICEのトークテーマをちょっとまた話してみようかなと思ってまして、一番お金がなかった頃っていうトークテーマを話そうと思ってます。
で、その前にですね、ちょっと最初、雑談させてください。
私ですね、スタンドFMでVOICEを通してお知り合いになられた方っていうのが、ここ数ヶ月ですごく増えてまして、皆さんの配信をですね、毎日楽しみに聞かせていただいてるんですが、
日に日にですね、特に悪魔の慶長ライティングの生徒さんたちはですね、ものすごくトーク力が上がってきているなっていうふうに感じています。
私が上から目線みたいな話し方してしまって大変恐縮なんですけど、最初の放送と現状の放送とは、ビフォーアフターぐらいの状況で、皆さんすごく頑張られてるんだなっていうふうに率直にですね、応援しているような形です。
皆さんのお話を聞いていて、メモを取ってですね、ちゃんと構成を組んで話をしているようなんですよね。さすが生徒さんだなと思ってまして、私はというとですね、構成も何もなくてですね、トークテーマが決まるじゃないですか。
そうすると、頭から口まで降りてくる瞬間まで待つんですよね。何か違うことをしていて、これ降りてきたと思ったときに開始ボタンを押します。
開始ボタンを押して話し始めても、うまくいかないときは一旦消して、またっていうような形になっていて、書いて考えるのではなくですね、話しながら考えていくっていうようなスタイルでやってます。
なので多分他の方とちょっとやり方が違うと思うんですけど、こういうスタイルでやっているような人っていますかっていう、そんなお話なんですよね。
ただですね、先日ちょっと企画でやらせていただいた中厚を取り巻く女たちの話、これに関してはさすがにですね、構成と、台本までは作ってないんですけれども、過剰書きはしました。
もう過剰書きだけですね。これがポイントになって話すっていう形でやりましたので、それが最初で最後かなっていうところですね。
なのでちょっと企画みたいなものをするときは、さすがに台本みたいなものは準備しますし、本業では最近ちょっともやってないですけど、セミナーをやっていたときはガチガチの台本でやってましたね。
なので台本を書くことはできるけれども、めんどくさがって、自分の配信はただの趣味なので好きに話させていただいているというところで、間違えたり噛んだりすることはあるんですけれども、その点はご了承いただけたらと思います。
今日はですね、一番お金がなかった頃っていうところのお話なんですけれども、一番お金がなかった頃はですね、私は中学校から20歳前ぐらいまでですね。
20歳、21歳ぐらいまでですね。
22歳以降ですね、結婚したりですとか、ライフスタイルがだいぶ変わってしまったので、そこからですね、すごく食べていけなくてすごい困ったっていうことはですね、一度も実はないんですよ。
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特に困っていないっていうところと、ただ別にそんな大金持ちとかではないんですけれども、苦労はしないと思います。
一番お金がなかった頃はですね、中学校からなんですが、これはですね、もう完全に親の責任ですね。
私が自分が親になって感じるんですけれども、親が怠けてたっていうことですね。
特にですね、うちの母親は途中から父親からパートに行け、パートに行けって言われて行き始めるんですけど、一番の原因は父親ですね。
父親が途中からですね、まともな仕事をしなくなったんですよね。
よく言うですね、自分業みたいなものをやりたいって言い出して、いろんなことに手を出し始めるんですよね。
でもどれもこれも中途半端になっていて、結局そのアルバイトで食いつなぎながら、自分がやりたいことの本業みたいなものをちょこちょこやるんですけれども、表向き本業の職業を言うんですが、
本当はですね、アルバイトの金額で私たち3人の兄弟を育てたっていうような状況です。
非常にお金がなくてですね、一番困ったのが米がなくてですね、祖母から父親の母親ですね、母親から米を送ってもらっていたっていうのが多分数年続いています。
で、その間ですね、やっぱり古米って言ってですね、古い米もあるんですよね。
で、食卓にできたり来た米がですね、ちょっと黄ばんでるんですよね。
で、この米を食べさせられたりですとか、あと野菜って高騰するときってあるじゃないですか。
あの時は野菜は一切出てこないんですよ。
ですので肌がガサガサになってしまったりですとか、あとはすごく便秘とか普段ならないんですけど便秘になってしまって体調を崩すとか、そういうことは何度かありました。
で、衣類はどうしてたかというと、衣類はですね、ちょっと都市からかなり離れたいとこがいたので、アパレルに勤めてたんですよね、当時。
なのでそこで余った服とかをっていうのを大量にもらっていて、それを自分の方で雑誌を見ながらコーディネートしていくっていうそんな感じでした。
ただ結構センスのいいとこだったので、そこそこいい服はもらえていたっていう形なんですが、その服をですね、うちの母親も着ていたぐらいなので、母親も相当困ってたと思います。
で、靴も鞄もほとんどのものをですね、お古で過ごしていて、買ってもらったのはメガネとコンタクトぐらいですね。
髪を切るのもですね、途中でケチってくれと言われて、なんかすごい安いところに切りに行ったりですとか、髪伸ばしたりとかしてたぐらい、もう本当にお金がなかったんですよね。
で、もらい物ばかりです。ほとんどもらい物ですね。
で、小遣いももらえないので、祖母がですね、かわいそうだって言って、こちょこちょくれていたのを使っていたっていう感じなので、常にお金には困っていて。
で、学校で何か必要になったものっていうのも、ちょっとしぶりだしたんですよ、途中で。
その時は子供ながらすごく不安を抱えましたね。ストレスになりました。
で、子供ってやっぱり親がですね、不幸な顔をしているとすごく不安になるんですよ。
ですので、自分の子供を産んだ時にお金には絶対困らせないぞっていうのはすごく強くですね、持って。
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なのでちょっと多分会社員っていうのをずっと選んできて、何とか続けてきてるっていうのはそこが原点かなと思ってます。
お金にも執着しますし、ポイ活が好きだったりせこかったりとか、かなり節約家だったりっていうのはそういうところから来てると思いますね。
で、高校になってですね、さらに困ってきて、次はその高校上がった後に学費は一切出ない、食費も出ないっていうふうな話になってくるので、
バイトをしながら専門学校に通うという形になるんですが、専門学校の学費はすべて、すべてですね、
いくえかいに借りて、今いくえかいって言わないと思うんですけど、奨学金借りて、住むところがないので、
祖父母の家がですね、一部屋空いていたので、そこに転がり込んで何とか過ごして、そこはお風呂がないんですよね。
お風呂がないので近くのお風呂屋さんに行ったりですとか、そんなことをしてました。
生活費ですよね、やっぱりそのぐらいの年代だと欲しいものだったり、付き合いとかっていうのが結構あるわけですよ。
特に私は専門に行ったときはですね、かなり遊んでたので、付き合いは多かったんですよね。
で、それどうしようかなと思ってアルバイトですね。
で、よくですね、やっぱり水商売はすごい誘われました。
ただ祖父母ですね、住んでもいいけど文献を設けるって言われて、
御前様はダメだったんですよね。そうなるとですね、そういった夜の仕事はできないので、
時給のいい1000円以上の時給のところを何とか探そうと思って探し始めてですね、特に特徴のあったバイトだけ2つちょっと紹介しておきます。
一つ目はですね、ホテル、高級ホテルのですね、配膳と婚礼のアルバイト、これは本当にきついんですよ。
土日で10時間10時間で入れてもらえるんですが、ほぼ休みがないですね。ご飯も5分で食べるようなところでした。
ただこの土日があるからこそ、まあまあそのそこそこ金額ももらえるっていう1200円ぐらい当時で、
ものすごい高いんですよ、時給としては。当時の時給っていうのはだいたいスーパーとかでも800円900円ぐらいで1000円いくところってまあないんですよね。
今はもう1000円以上って決まってると思うんですけど、そこをですね、半年8ヶ月ぐらいかな、何とかやって、
ただちょっとですね、そこのマネージャーの一番上の方からですね、ストーカーみたいなのがちょっとあっちゃったんですよね。
でも一日何十回も電話かかってくるようになってしまったりとか、お誘いが結構頻繁でおじさんだったんですけど、
それがすごい嫌で、何か探さなきゃと思って次にアルバイトしたのが、クレジットカードのですね、コールセンターだってここがですね、時給が1200円ちょっとでかなり高かったんですね。
で、仕事内容はクレジットカードのコールセンターですって書いてあって、お客様に電話をしてもらいますっていうふうになんかトラバイか何かのですね、昔はですね、求人は雑誌だったので雑誌で見つけてですね、面接に行ったらすぐ合格ということで合格になったんですね。
で、コールセンターなのでイヤホンをつけて電話をするわけですよ。なんかすごいかっこいいなぁみたいなこと思ったんですけど、当時はですね、パソコンできない人すごい多かったんですけど、
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私はですね、これに関しては高校の時点ですでにタイピングができてきたので、これができますっていうことでですね、あの普段専門学生とか具材学生取らないけど取ってあげるということで採用されたんですよ。
で、電話をしながらですね、入力していくような仕事だったので、できない人の方がやっぱり多くて、なんかおばさんとかもやっぱりそのパートで入ってきたりするんですけど教えてたりしたんですね。
そしたらですね、途中から何の仕事かっていうのがわかるようになるんですよ。それはですね、クレジットカードの結局その特速客の方にお金を払ってくださいっていうのを電話をするっていう仕事だったんですよ。
だから時給が高いんだと思ったんですが、私はですね、特にそういう仕事に対してですね、抵抗があまりなかったので、まあやってみようかということで始めたんですね。
そしたらですね、特速客の回収率がすごい良かったということで、もう自動でこう流れてきた人に対して払ってください払ってくださいっていうのを話すんですけど、このインカムをつけるものはやめてくださいと言われてるんですよ。
その代わり時給200円あげるから、普通に一件一件電話をかけてくれって言われるんですよね。で、何のことだか全然わからないので、はいわかりましたということで時給が上がるので喜んでやったんですけども。
これがですね、すごいバイトなんですよ。結局そのすごくブラックなんですよね。で、もう払わないと、もう今後終わりだぞみたいなそういう形のですね、脅しをかけて電話をするっていうような役目だったんですよね。
で、電報を送ったり、何十台もある携帯番号。まあ携帯も着拠されるので番号を変えるんですよ。あれをこれを変えて電話をする。で、電話でつながったら怒るっていうようなそういう仕事だったんですよね。
大体の人嫌がると思います。ただ私はですね、そこに一切の感情がなかったので、朝8時から夜9時まで仕事ができるんですけど、ずっとやってました。
で、もう上京する前とかはですね、もうお金が足りないので、ほぼ毎日入ってやっていて、ただ中抜けしたりとかそういうのもできたので、やらせてもらってましたね。
その時は時給も1400円ぐらいになって、かつ回収率は結構良いということで、社員の方にすごく喜ばれたんですけど、社員の方全員目に死んでましたね。やっぱりそういう仕事なんで。
っていうのを、何とかそれをやって食いつないだというところですね。
で、まあ上京するんですけれども、上京してもですね、まだお金がないんですよ、これが。手取りがですね、12、3万で1年生活をするんですよね。
なのでもうカツカツですね。カツカツの生活でおにぎりを持っていかないと、昼なんか外で買えないし、もうお茶もですね、全部作って持っていくっていう、もう自炊自炊自炊ですね。
家具もほとんど買えないので、そういった食器類とかそういうのはですね、当時もう100均というお店があったので、100均で全部揃えて、そんな生活を1年していて、そこからちょっと結婚したりして、どんどん生活レベルが上がってくるんですけども、
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こういうですね、お金がなかった時代っていうのが結構長いです。
特にですね、これ成人になってからお金がないっていうわけじゃなくて、もう成人になる前からですね、お金に関して常に不安を抱えていたわけなんですよね。
これって結構トラウマになっていて、子供たちにですね、こういう思いをさせるのは絶対に嫌だっていうことと、毎月収入が入ってこないっていう怖さがですね、あるので、会社員が辞められないっていうのは、今現状私が思っていることなんですよね。
なので会社員だったりライスワークだったり、ライスワークは嫌ですとかっていう方もいらっしゃると思うんですけど、ライスワークほどですね、本当に大事なものはないぞっていうことなんですよ。
なので、仕事にですね、好き嫌いっていうですね、感情を中に入れて仕事をしない方がいいなと私は思っていて、淡々と今目の前にある仕事を真面目にこなすっていうところをですね、常に心がけようと思っています。
はい、今日はちょっとこういったあの一番お金がなかった頃の話からアルバイトの話などでさせていただきました。
それでは失礼いたします。