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Speaker 1
二番経営 No.2の悲喜こもごも、この番組では、なかなか表に出ない会社の二番、No.2をテーマに、トップのビジョンの実現の仕方や、この仕事の面白さ、大変さなど、No.2の悲喜こもごも、リスナーの皆さんにお届けします。
Speaker 2
こんにちは、株式会社オーツーパートナーズ、取締役の勝宮聖出です。
Speaker 1
現当社新しい経済編集長の滋谷裕介です。
二番経営第28回、今回のテーマはですね、この長く続いたシリーズですね、世界のソニーを作った、森田亜紀夫に見るNo.2論の第8回目、最終回になります。
Speaker 2
はい、よろしくお願いします。
Speaker 1
よろしくお願いします。
Speaker 2
前回までですね、最後の方はちょっと駆け足になりましたけれども、ソニーっていう会社の特殊性ですとか、海外を意識したところだったり、お話をさせていただきました。
実はですね、ちょっとお話ししながら気づかれたかもしれないんですけども、二番経営的に言うと、トップとどう絡んでいったNo.2かみたいな話とかっていうのが、あんまり多くなかったんですね、実は今回。
ですので、最終回はですね、改めてトップ、井深勝さんとNo.2でありトップでもあった森田亜紀夫さんのですね、人物像と二人の関係っていうのをですね、
実際にその社員の方たちの言葉なんかも引用しながらお話をしていければと思います。
まずトップの井深勝さんですね、この方こういうふうに表されています。
夢を持った天才技術者、天才発明家であると。オリジナリティと新しいものへのこだわりと貪欲さ、気取りがない、誰からも愛されていたいと。
井深イズムっていうのがあってですね、この井深イズムっていうのは何かっていうと、個性の尊重と人格主義っていう、なんかもうちょっと聖人君主みたいな感じなんですけども、
井深さんっていうのはクリスチャンでもいらっしゃいまして、そういう意味で本当に無思無欲で、何かを得るためにっていうよりも愛ある経営者という言い方がちょっと陳腐かもしれないですけども、
そんな印象を持つような方だったように思いますね。
で、もう一人のトップでもありナンバー2であった森武雄さんなんですけども、冒頭のところでもあったようにですね、その森武で天王学を身につけてきてですね、ある意味天才でありましたと、経営者として天王学を身につけた物理学者っていう面を最初に持っていて、
その物理学の世界ですね、井深勝て天才と出会って、その思いを実現していくのは俺ができることだっていうふうに思ってですね、どんどんどんどんそれを実行していったと。
で、実務的な国際的ビジネスパーソンの本当に最初の方と申し上げていいかなというふうに思います。
で、この東京通信工業ソニーっていう会社なんですけども、創業するまでにいろんな偶然が重なっていたと思うんですね。
戦時にその2人の出会い方、再会の仕方もそうですし、あとは双方の出自っていうのが関係あったと思います。
森武がすごいって話は散々出てきましたけれども、井深さんの義理のお父さんが初代社長、前田太郎さんだったわけですし、井深さんのその家の流れですね、生きてきたっていうところも当然影響をしていきます。
それから周りの家族の方、政治経済界、いろんな住人の方たちが後押しをしてくださったような形でいっています。
そうすると人脈に恵まれて出たその天才たちが作った会社ということで、何もかもが成功が約束されたかっていうと、これまであったいろんな紛争だったりとか失敗もあったようですね。
別にスマートじゃないんですよね。地味に壁にぶつかって一生懸命越えてきたっていうことが拭えなくてですね。
Speaker 2
このあたりが森田さんだけで例えばいうと森田家の御蔵氏が天才経営者として何かやって結果残しただけじゃなくて、
おそらく普通のビジネスマンも壁にぶつかってもがき苦しんで何か頑張って、確かにかっこいいことをおっしゃってるんですけども、
それも後に後世におっしゃられた言葉ですので、その時には本当に必死で目の前のことで精一杯だったっていうのを感じられるような四肢不振ぶりというかですね、思いました。
確かに。
そんな二人の人物像というかがあるんですけども、この二人の関係というか周りからどんなふうに見られてたかと言いますと、技術のいぶか、販売の森田。
これはわかりやすく定義されてますよね。研究開発がいぶかさんで、それ以外経営全般は森田さんだと。
このあたりは本田総一郎さんと藤沢孝さんの関係にもちょっと似通ったところがあるかもしれないですよね。
ちなみに、いぶか勝さんと本田総一郎さんは親友同士でお互いすごく交流があって、本田総一郎さんが亡くなられた時にはいぶか勝さんが本を出されるぐらいの関係でいらっしゃいます。
あとはですね、いぶかさんの構想を森田さんが実行しているとか、哲学的なコンセプト志がいぶかさんで、みんなが食べていけるようにする。
実際の実業として落とし込むのが森田さんだったとおっしゃる方もいらっしゃいました。
とにかく森田さんはその思いを実現するために世界中を駆け回っていたっていう感じですね。
実際に社内のことっていうのはほとんど森田さんが仕切られていたと。海外にいらっしゃってもですね、社内を回すっていうことはもう全部森田さんがされていたそうです。
新製品を出すか出さないかの最終判断も森田さんがしていたそうです。
いぶかさんはGOだけど森田さんがNGで潰れた話もよくあったそうです。
社内でも社外でも森田さんが悪役比喩で一貫していぶかさんの責任にしなかった。
とにかく悪いのは全部俺ということで、ただいぶかさんこれやりたいとこれを出すって言ったところで、いやこれ売れないんでダメですっていうこともしっかりとおっしゃられる。
でも絶対にいぶかさんの悪口不満っていうのは言わなかったのが森田さんだったということだそうですね。
ここはいぶかさんって本当に夢を持っているオリジナリティにこだわられた天才技術者であったと思うんですけども、やっぱりその夢って全て実現できるわけではないので、
そのタイミングビジネスっていうのをいろいろ勘案しながらやっぱり取捨選択っていうのがどうしても必要になってくると、その役割を森田さんがしっかりと果たされていたと。
それがいぶかさんもご存知だったので、自分はゴーだけど森田さんがNGっていうことに関して納得を言って、信頼してその判断というのを任せていただくことだそうですね。
2人で揉めたら必ず森田さんが来れてですね、いぶかさんを立てるっていうふうにもされていたということだそうです。
ある幹部は生き方をいぶかさんに、働き方を森田さんに教わったっていう言葉も残されています。
Speaker 1
ゾクッとするような言葉ですね。
来ますよね。
すごいなあ。
Speaker 2
これはある幹部の方、本当に役員をされた方のセリフが生き方と働き方っていうのでおっしゃられているんですけども、似たようなことを言ってる方がもう一人社外にいてですね、みんな大好きスティーブ・ジョブスさんがこんなこと言ってます。
スティーブ・ジョブスさんはソニーを尊敬して、ビジネスマンとしては森田さんに憧れたが、開発の真髄はいぶかまさるの発想そのもの。
Speaker 1
はあ、そうなんだ。
Speaker 2
これちょっと遡って言うとですね、いぶかまさるさんっていうのは、俺が欲しいものは世界中の人も欲しがるだろうっていう発想だったんですね。
つまりそこにニーズとマーケティングの話はあったんですけども、マーケットがなかろうがいいもの、俺が欲しいってみんな欲しがるでしょって出す。
それってやっぱりスティーブ・ジョブスさんが生み出してきたプロダクトの考えですよね。
源流はやっぱりソニーさんにあったっていうのがいいぐらいじゃないかなって気がする。
Speaker 1
はあ、すごいなあ。
Speaker 2
ここは何ですかね、やっぱり日本の誇りって言っていい会社であり創業者でありっていう感じだと思うんですよね。
やっぱりずっとソニーっていう会社を経営として切り紋にされてきたのはやっぱり森田さんだっていうのは、いろんなものを拝見してもですね、そういうふうに理解できます。
おそらくなんですけども森田競さんという方は、下業の株式会社森田というかその手造メーカーだけに限らず何をやってもですね、経営者として成功されたんじゃないかなって気がしてならないんですよ。