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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーと、なぜかですね、昨日アップしたにも関わらずアップされておりませんで、
あのー、ポッドキャスト実はこういうことがドキドキ起こるんですよ。
で、えー、最近、私ですね、ゼフ腸なんですね。
なんかこう、やることなすこと恨めに出る感じで、
えー、というイリュージョンの真っ只中にあってですね、
あのー、こう、いろいろあるんだなと。
えー、倉澤慶三さんが言う、そうきたかってやつだけど、
本当にいろいろあるなと思い知らされます。
あのー、もう大丈夫だろうみたいに、あのー、よく言うじゃないですか、運転とかで、
あのー、もう自分運転できるようになったなと思うと事故を起こすって、
まあ、イリュージョンみたいなもんだと思うんですけどね、
そういうお話ってあって、そういうのがまた大好きな、
そういう話をするのがすごい好きな人ってもいらっしゃいますよね。
私は、だから信じないことにしてるんですけれども、
そういう、こう、油断の法則みたいなやつは。
ただ、あのー、本当に、このポッドキャストが上がらないことも含めてですね、
えー、最近、そうきたか間の連発なんですよ。
で、えー、一つ一つ見ていきますと、
あのー、まあ、あの、あれですよ、要するにゼフ腸というのは何かというと、
えー、イリュージョンに、こう、イリュージョンの渦にこう、
えー、ぐるぐる、あれですね、なんか、棚にですね、
服いっぱい洗ってる洗濯機の中に入れられてる感じですね、精神が。
で、ぐわーって回っていて、あーってなってる感じですね。
イリュージョンなんですけれども、
えー、まずこの返答タイムモードって僕がよく読んでるやつですね。
えーと、つまり、恐れと不安の、まあ、あれですね、
やっぱ、こう、お化け屋敷にたたき込む、
さっきのやっぱり、あの、汚い洗濯機がいいですかね、
ぐるぐる回ってるときに、えー、一つ学んだことが、
あのー、抹消の毛細血管が、たぶん、えー、機能が弱り始める。
あの、心拍は上がるから、血流がなぜこれでダメになるのか、
ちょっといろいろ、後で調べてみようと思うんですけど、
とにかく、手先が僕、冷たくなるんですよ。
で、先日ですね、これは数学ガールとかかな、
僕、ちゃんと読んでないんですけど、えー、ゆうきひろしさんって方が、
Twitterで、えー、えー、なんかですね、調子が悪くなったら、
ぬるいドライヤーを腹に当てろ、みたいなこと書いてあって、
面白いなと思ってやってみたら、少し回復したんですよ。
あんまりこの種のこともやりたくないんですけど、
というのはですね、えーと、この種のことに頼り始めると、
えー、結局こう、自分の調子は外的な条件次第ってことになっていくじゃないですか。
まあ、こんな厳密なこと考えなくてもいいんですが、
あのー、調子よくなりゃいいって考え方もあるんですけども、
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やっぱりこう、えー、自分は、えー、いろんなことが起こるわけですよね。
今私に起こっているように。
あのー、バッシングの渦に巻き込まれようと何が起ころうと、
えーと、勝ちMAXってところから、揺るぎない状態になきゃいけないよなと。
これなきゃいけないって言っても無理だろうって話もありますが、
えー、これですね、やっぱりあのー、親になってみると少しね、自覚が入るんですね。
今までは自分の気持ちのためだったんですよね、最終的には。
でも、えっと、人の親になってみるとやっぱりこう、
そういうことで本当にメンタルがやられちゃいましたっていうのは、
ある意味許されないなというか、自分に許したくないなっていうのが発生するんですよね。
これはあのー、一つの経験です。
えー、そうはならないということもあると思いますし、
そうなっても無理って話もあると思うんですけど、
えーと、あ、それでですね、私このGood Morning Vibesというのは、
うーんと、自分の性域だという風に思ってます。
あのー、この話をそのまま他人のパターン、他人のスタイルに当てはめられるとかいう、
人生とかにね、当てはめられるというもんではないんですよ。
えー、これは私の主観的な世界なんです。
えーと、そういう話を昨日したような気もするんですけど、
何しろこう、上がってない上に、元ファイルまでどっか行ったらしいんで、
えー、あるいはどっかに上がっちゃってるかもしれませんけど、
それはそれでいいんですけどね。
もう、何を喋ったかもおおむね忘れましたので、
えーと、昨日の話は置いといて、
えー、つまり、これは私の一種、性域なんだなと。
えー、ここでは何でも喋るぞみたいなところがあります。
で、あのー、一つですね、今日の話もそうなんですけど、
主観と客観っていうのが、僕の中ではいつもリフレインがありまして、
あのー、マトリックスってあるじゃないですか、映画が。
で、あれは全部主観だみたいなところがあるじゃないですか。
まあ、独画論みたいな話で。
あるいは、みんなで夢を見ているみたいな話でもあるんですけどね。
で、私もこの全部主観だっていうのは、一つ信じちゃってるんですよ。
人は誰も客観的な立場には立ってない。
で、だから、あのー、だから、程度の問題っていう処理の仕方はできないっていう風に思うんですね。
えー、ここは説明がいるかもですけれども、
ここのところあったいろいろな出来事の中に、えーと、
まあ、詳細は言いませんけれども、
えーと、要するに奥さんがすごく怒ったんですよ。
で、なぜかというと、えー、私が、えー、人に便宜を測ったんですけど、
その便宜の測り方の中には、えー、私たちに危険をもたらしかねないことが、
しかもその便宜を測られた人たちの間にも起こっている。
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つまり、あんたはそういう非常に愚かつなところがあって、
要するにアホだと、えーと、言われていたんですね。
で、これはイリュージョンなんですよ。
えー、妻のね。
で、それは手に取るようにわかるんだけれども、
えーと、手に取るようにわかる以上、
えー、何を言われても大丈夫じゃないですか。
人が見えないものを見て恐れているということがわかっているのに、
えー、その人の振る舞いに傷つくっていうのは、えー、
ロジカルじゃないって話を先日したと思うんですね。
これに対して、えーと、反論がありまして、
この反論はそのうち、えーと、違うところで、
ぶっちゃけ相談で上がると思うんですけれども、
えーとですね、
意図があろうとなかろうと傷ついたという事実は残るって話なんですよね。
だから僕さっきの性域だって話をしたんですけど、
私はそうは思わないんですよ。
えーと、つまりですね、これは意図があろうとなかろうと、
えーと、意図があろうとなかろうとその人に罪はないって思うんですね。
えー、意図がないから罪がないではないんですよ。
意図があっても罪は多分ないと思うんです。
えーと、意図がなければないと思うんですけど私は、
意図があっても罪はないと思ってるんですね。
この件について、えーと、この件について、えーと、
実は他の人全てに納得してほしいとまでは思わないんですよ。
えー、ケースによっては、それは受け入れられないというケースは、
私になってもあると思うんですけど、
私の体験している限りにおいては、
えー、相手に意図があろうとなかろうと、
えー、私がもしそのことで傷つくことがあるとすれば、
それは私が良くないって私は思うんですね。
グッドバイブスではそこまでは言ってないと思う。
良くないという言葉は使わないですからね、倉園さんは。
ただ、私はそう思ってるんです。
どうしてかっていうと、主観だからなんですよ。
えーと、グッドバイブスでどういうふうに言うっていうのは、
厳密には倉園さんのお話を伺わないとわからないと思います。
これは僕の番組なので、僕の中では主観と客観ということで、
この問題は果たしているんです。
割と昔からそうなんですよ。
グッドバイブスより前からも、たとえ傷つくことがあっても、
傷つけた人が悪いわけではないとはずっと思ってたんです。
それに対して私が反論し、喧嘩をすることがあったとしても、
相手にが悪いわけではないとはずっと思ってたんですよ。
たぶんこの考えがあったから、
例えばですけど、仕事の農橋さんと長らくやってこられたんじゃないかと思う。
彼が喧嘩っ早いとかじゃないですよ。
彼は大変穏やか、内面は知りませんけれども、
私は内面の選択をしないことに決めてるんで知りませんが、
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大変できた人です。大人な人ですよね。
だから何の摩擦もないとは言わないんですけど、
普通の人間関係で考える限りでは、
15年の長さに関して言うと、
目察はすっごい少ない方だと思うんですけど、
一つには私の考え方に、たとえ喧嘩をすることがあっても、
基本的に悪いのは全部自分だと。
悪いというのが、責任があるというようなことではないんですよ。
傷つく必要がないことで傷ついているというふうに思うんですね。
さっきの妻の例で言うと、私に対する攻撃、
攻撃と言ったら言い過ぎながら、
罵倒も同じか。
失績は意図的なものです。当然ですよね。
意図的でない失績などというのはないから。
私がそれについて結局傷ついちゃったのは事実です。
この構図であれば、妻が良くないってことになるのかもしれない。
見る人によってはですね。あそこまでやるのは良くないとかね。
私はそうは思わないんですよ。
なぜならそれはその人の主観じゃないですか。客観ではないですよね。
いや、ここまでやれば誰もがそう思うっていうのが客観ってやつですよね。
これが何たたないって私は思うんです。
誰もが主観だと思ってるんですよ。
客観的に判断できる人は誰もいない。
だからここで1億人が私には非がないって言ったとしても
それは客観ではないと思うんですよね。
1億人の主観だと思うんです。
だから誤りがあるとか間違いがあるとかいう話ではないですよ。
決定しないってことなんです。決定できないということ。
つまりそれぞれの人のそこには過去の思いとか
親が言った正しさとかいろんなものが必ず含まれているはずで
出来事そのものについて正確に間違いなく
この出来事がこの人の心にこのように傷をつけたということが
厳密に精査できる人はいないと僕は思ってるんですね。
これは僕の推測です。
この世に客観があるのかないのかは分からないから
私には私が見る世界しか見えないので
そういう意味ではマトリックスだと思うんですよ。
あれとは全然違いますよ。
私が何かに繋がれていて夢見ているというのではないんですけど
結局現実そのものは見えない。
だから何が本当に客観的に私の勝手な思いから独立して
事実としてそこにあったのかは永遠に分からないので
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したがって何かされた、だから傷つけられたという運びは
絶対に成り立たないと思うんですよ。
この話が一見何の関係もない話と結びついているんですよ、私の中では。
前のこの番組で申し上げましたけど
目の前にミワの木がありますがないかもしれないんですよ、本当にね。
私がただ幻覚を見ているのかもしれないんですよ。
でも私の目にはミワの木が映ってしまっている。
これは多分消しされない。
でもないかもしれないんですよ。
1億人があるよと言っても
1億人がみんなで夢を見ているかもしれないんですよ。
ここを私は譲る気になれないんですね。
これは確かに存在しますと客観的にはっきり言い切れる。
間違いなくこういうふうに存在しているんですと言い切れる存在はないと。
これと全く同じところに妻がこう言ったから
それは良くないんだと言い切れる人はましてやいないと思うんです。
ミワの木の方がよっぽどまだ現実感が
現実として解釈の余地は少ないと思うんでね。
良い悪いは解釈の余地がふんだんに入り込むので
何人が言おうとダメだと思っているんです。客観ではない。
何万人何千万人の主観であると思うんですね。
ここを僕はどうしても譲る気になれないんですよね。
これだけは何と言われようとこうじゃないとは思えないんですよ。
長くこう思ってきたんで。
僕が最初にこう思ったのは多分5歳の時なんです。
これを完全に覆したっていう話に出会ったことがないんですよ。
5歳の時からもう今では40年以上
人は主観的に現実を見るんだと思ってきているので
それは正しさがないとか客観的に何かが間違っているわけじゃないとか
いう話ではないんですよ。それは分からないんです。
客観的に聖者があるかないかは分からないんですよ。
私の中で永遠に分かることがない。死も分かるかもしれませんが
少なくとも生きている限りは分からない。
だから私が傷つくということは主観であると思うんですね。
傷つけた現実が害罪はしないと思っているんです。
だから害罪しないものは責めようがないじゃないですか。
害罪しないんで。目の前にある美輪の木を切ろうとしてもですね。
ないとすれば切れないですよね。どうやったって切れないですよね。なければ。
ないかもしれないんですよ。そこが問題なんですよ。
もう一つ美輪じゃないかもしれないって問題が別途あるんですけど
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この可能性は十分あるとは思っています。
100%美輪だと私は信じてますけど、でも美輪じゃない可能性はありますよ。
これについても同じなんですね。
攻撃じゃないかもしれない。
攻撃じゃないものを責めることはできないと僕は思うんですね。
そういうことなんです。
ただこれをグッドワイブス的に説明すると違う説明になりうる。
その分についてはYouTubeの方で確認いただければと思う。
最近何が良くないかと。調子良くないというのはですね。
要は私が恐れと不安を抱くせいなんです。
一つの件について考えてみると。
奥さんがなぜ怒ったかというのは私が弁儀を図ったからなんですけど
じゃあなぜ弁儀を図ったと奥さんが知ったかというと
私が喋ったからなんですよ。
なぜ喋ったか。
喋っても何の問題もないと思ったから喋ったんですが
なぜ喋ったか。
よく考えてみると恐れがあるからなんですよ。
こういうことなんだなと思うんです。
この恐れは完全にイリュージョンです。
どういう恐れかというと
これを喋っておけば奥さんの機嫌が少し良くなるだろうと。
一つ、これを喋っておかないと
万が一このことについて何らかの形で露見をすると
後で面倒なことになるかもしれないという恐れです。
いずれも間違っているんですよ。完全にイリュージョンです。
なぜなら喋ることによって事態を爆発させたので
これは喋るということによって安全だろうという
私のイリュージョンなんですよ。
こういうことなんだなと思うんです。
イリュージョンが現実をイリュージョン的に悪化させることが
頻繁に世の中では起こっていることなので
元がイリュージョンである以上
これはもう原因はイリュージョンだから
きっと結果もイリュージョンに近いものであって
それを真に受けて私が傷つくということは
やっぱり完全に目の前で起きていることが
間違いなく何もないというわけではないんですけど
何か起こっているんだけど
それは私が考えているようなものでは
断じてないはずだと思っているんですよ。
傷ついたという事実はありますよ。
嫌な気分になったというのはあります。
長らくなりました。
これをならないようにしなきゃいけないと
思っているんですよ。
何て言えばいいんですかね。
さっきの変動体だから
ドライヤーで体を温めると
こういうものにセンサーが働くというのは
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弱っている証拠なんだろうなと思うんですけれども
脳細血管が
多分血が何かこう
どこか独特の部分だけ滞るみたいな現象が起きて
こういうものに巻き込まれると
現実からだんだん遊びに離れるんですけど
乖離していく感じっていうのがあって
長らく、久しぶりだったんですよ。
この長い時間ここに叩き込まれると
しかも他のことまで起きたんですよね。
全部やっぱり僕の恐れと不安なんですけれども
この感覚がまず嫌だっていうのがあるんだなっていうのが分かりました。
この感覚自体がイリュージョンだから
この感覚から抜け出したければ
ここは非常に無量にしているんですけど
この感覚から抜け出したければ
この感覚を恐怖しなければいいんですが
この感覚を恐怖している間は
ずっとこの感覚は現実的な感じがするっていうのから
抜け出せなくなるんですね。
そこに失跡が飛んでくるから
抜け出せないんですよ。
でも、そもそも奥さんを恐れているわけだから
少なくとも私に言わせれば
恐れは目に見えるように分かるんで
その失跡を僕が受け止める必要はないんですね。
しかも元を作ったのは私だから
結局私の恐れだから
私の恐れが巡り巡って私を恐れさせてるんですよ。
ここまで分かっているのに
ここから抜け出せないんですよ。
ドライヤーとかブワーってやってるわけですよ。
これは出だしは何なんだろうと思ったんですね。
出だしは恐れなんですけど
この恐れはさらに大元は何なんだろうと
水曜日にグラズノさんとお会いして
少しヒントがあったのが
焦りなんですね。
私は焦るんですよ。
この焦りは私にとっては相当なじみ深いもので
やっぱり5歳ぐらいの時からあって
ずーっと焦ってるんですね。
気が焦ってるんです。
これの原因は分かってるんですよ。
母なんです。
私を焦らせるのが大好きだったんですね、母は。
大好きっちゅうなおかしい語弊がある。
焦らせなければいけないと思ってた。
とにかくあんたは焦りが足りない。
母から見ると全ての人は焦りが足りないんで
全ての人を焦らせたかったわけですよ。
それと一番勝ち合っちゃったのが妹なんですね。
非常に可哀想だと思って。
妹は非常にのんびりするのが好きっていうタイプなんで
本当にそういう意味では勝ち合いやすい。
僕は焦るのがわりと好きだったんで
すぐ焦ることに成功してしまって
母は結構私を見てるとごまんやつだったと思うんですけど
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私はこれが私の生涯に大きな面倒くささを生んでるわけです。
ちなみに焦ったからこそ
こういう焦りの気持ちが強い人間だからこそ
やっぱりタスクシュートにスパッと飛びつけたんですね。
非常に面白いことに焦りがちな人には
とっても合ってるところがあります。
何しろ時間をつぶさに管理するツール。
だけれどもその中である程度
焦らなくなるという効能をもたらすんですよ。
ここが大きいツールなんですね。
ずっと焦りまくってたら何もできないじゃないですか。
焦りまくると本当は何もできなくなるんで
焦ればいいってもんではないんで
焦りはするけれども
焦ってはいるけれども腰は落ち着けられるみたいな
そういう独特の心理状態にタスクシュートは入れてくれるツール。
それは良いんですが
僕はそれで焦ってるんです結局。
急いで何か結果を出したいと。
グッドバイブスでも同じなんですよ。
急いでイリュージョンを抜け出したいと。
この気持ちがそもそもイリュージョンを作り出さないような現実を
急いで構築したいという気持ちにどうしてもつながってしまう。
なぜこれが生まれたかは簡単で
母が常にさっさとしなさいと。
さっさとしないと。さっさとしないとだめ。
とにかくさっさとしなさいと。
こればっかりなんですよ。ずっと言ってるんですね。
特に油断して遅れて失敗したってことになると
ものすごい怒られるわけです。
別に僕は母が悪い人間だとか毒があるとか
言いたいわけではないんですよ。
私は母が嫌いなわけでもないんで
恨んでるわけでもないんだけれども
もともと母は焦るタイプだったんですね。
なぜかというと母の父がすごくDVだったんですよ。
殴る蹴るですよね。
ちっちゃい女の子なのにね。
ひどい話なんで。
それは結局のところ急いで物を片付けなければいけないんだ
という気持ちを強めたんでしょうね。
これがですね、母はDVではなかったけど
人を焦らせるという癖がついたんだと。
そして私は心の中に焦るという癖がついてるんですね。
これを払拭しないとなと思いつつですね
気が付くと焦ってるんですね。
頭の中で人の気持ちを忖度したり
いろんなことをしたがるのも結局
現実を先に打ちつけておこう。
先回りして人が文句を言わない現実を実現しておこうという
これが仕事室とかビジネス書とかに
しかも合ってるじゃないですか。
これをする必要があるんですって言うじゃないですか。
いい気になってそういうのを書いて進めてたものだから
自分の中でここから脱却するのが
すごい難しくなってしまったという側面があるわけです。
で、ドライヤーでもいいんだけど
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ここからそれでも出さなきゃいけないと。
まずとにかく落ち着かなきゃいけないんだけど
出席飛んでくると。
どうしたもんかなと思ってたんですね。
もうどうしようもないなと。
とにかくこの洗濯機にぐるぐるだなと思いながら
ゴミ捨てに行ったんですよ。
もうほとんど飲まれるようにゴミ捨てに行ったわけですよ。
家の外に出たかったから。
そしたらですね、この話
ちっとも納得されないと思うんですが
事実これしか、これが起きたんで
これを喋っておきますが
カラスが鳴いたんですよ。
コロコロ辺カラスだらけでですね
いつも鳴いてますけれども、鳴いたんですよ。
ゴミ捨てに行くときって
生おみをカラス狙ってるから鳴くんですよ。
鳴いたんですよね。
それ聞いた瞬間に全部溶けたんです。
えーと、あれですよ。
一種のケージってやつで
あーって思ったんです。
カラスが本当に鳴いたって思ったんですよ。
いつも見てる、今も見てる
ビワの木とは違うんですね。
本当に鳴いたと思ったんですよ。
話がすごい飛んだと思うんですけど
今日はもうこの話しかしませんが
えーと、なぜなら
これにいろんな理屈をつけようとしても
私の能力では無理なので
えーと、つまりこれが現実なんだなと
いう感じがしたんです。
えーと、いつもはイリュージョンを見てるんですよ。
カラスの。
そこにカラスいないって話じゃないですよ。
ここはややこしいんですが
いつもは私の主観性たっぷりのカラスを
見てるだけなんですよ。
無視してます。
泣いてるなぐらいな感じで。
でも、その時は違ったんです。
イリュージョンから脱しようとしてましたから
カラスが本当に鳴いたのを
見たんですよ。
聞いたのかな。
で、この話には背景があって
昔、倉田のけいぞうさんがですね
なんかのスクールなのかな
えーと
このあの、カーラースって歌あるじゃないですか
ここばっかり歌わされたという
話を聞いたんです。
ここばっかりっていうのがなんかもう
何回も何回もっていうレベルじゃなくて
何日も何日も
みたいなレベルらしく
一種の狂気なんじゃないかと
ていうか私は
それできないなと思ったんですけれども
ていうか、できる人って
それだけでもすごいなと
何にもならなくてもすごいなと思うんですが
要するにそういう
話なんですね。時々耳にしますよね。
でもね、なんか素振りだけ
3年やらされましたみたいな
そういう話ですよ
坂本龍馬がしたんでしたっけ
ということになってますよね
で、えー
つまりそういうことなんですけれども
その話が背景にあったのは
あったんですけど
あ、カラスだなと
あの、倉田さんが歌わされてたやつだなと思ったら泣いたんです
泣いた途端に
あ、って思ったんですよ
いきなり目が覚めた感じがしたんです
これが現実だと
いう感じがしたんですよね
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すごい声だなと思いました
で、カラスは
いつも同じように
泣いてるじゃないですか
あー泣こう、こう泣こうとするノール持ってないから
いつもあー泣いてるはず
私はあれを聞いたの、生まれて初めてだと思ったんです
これで
全部解けたんですよ
えー、全くそれからは大丈夫
って感じが急にしたんですね
これが現実
なんだなってことなんですね
イリュージョンじゃないんだと
イリュージョンにいたんだと