2024-04-15 38:09

仕事の開始を宣言する【GMV 964】

移行空間で人はつまずく。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
4月15日、月曜日ですね。朝7時9分です。
このところ、昨日だけか、ちょっと立て続けに出しているので、
そろそろネタがまたまとまらないモードに、昨日はそこそこまとまってた気がするんですね。
何喋ったかは、グッドバイブスについて何か喋ったなぐらいにしか覚えてないんですけどね。
これですね。まずその前に、昨日もお話しした通りだと思いますが、
タスクシュートジャーニー、20日土曜日の16時から18時の2時間、
プラス、高梨さんをゲストにお招きしますけれども、
懇親会やりますので、30分ぐらいオンラインだけなので、
よろしければ、J松崎もいつも通り参加してですね。
彼がいろいろと引っ張っていってくれると、ちょっとね、そういうのにオンブに抱っこ感がありますが、
でも高梨さんは、すごいたくさん実は持論をお持ちでね、結構勉強になるって言いますか、
発達障害って非常に曖昧というか、幅が広がりすぎちゃった概念だと思うんですよ。
実はね、1900年代からすでにアメリカなんかでは言われてまして、私結構早いうちに、
まあ趣味でね、僕なんでもその辺は趣味なんですけど、趣味で追っかけてたんですよ。
まだアメリカ留学する前の時なんですけど、すごくやっぱ自分には感じるところがありまして、
何しろ僕、物を置き忘れるっていうの、当時はほんとそれが多くて、
しかも僕はその当時は精神力度にあまり具体的な期待はしていなかったものですから、
かわいはやおとか読んでましたけどね、すげー読んでたんだけど、
いやでも物置き忘れる話をグリム童話で説明されてもなぁみたいなところがあって、説明してなかったしね。
フロイトの日常生活の過後みたいなやつも、なんていうのかな、
まあはっきり言ってその読みが浅かったと言うべきなんですよね、私なんかは。
もっとそっちに興味を持つべきだったんだけど、やっぱこう古臭いなぁみたいな感じでスルーしていたというところがあって、
今思うともったいなかったんですけど、まあでもしょうがないですよね。
当時20代でまだ私は大学生でしたよね、頭の中身は、うん、あんなもんですよ。
なのでよくね、西部池袋の上の方の回に、発達障害について、
独自のね、なんていうのかな、必ずしも学術書ではないですよ、独自の見解を、
まあアメリカではそれほど違和感なくもう始まってた意見だったと思うんですけど、
いろんなの画像を撮ってみたりしている本を立ち読みしておりまして、
うわぁ俺だわみたいに思ってた時代があったのを懐かしく感じるわけですよ。
03:07
というわけで、
すいません、なんかちょっと途切れちゃいまして、
あの、ついでになんか書評を済ませてきたわけですね。
の続きです。何を喋ってたんだっけ、
今週の土曜にやりますということで、よろしくお願いします。
こんな話をした気がします。
で、本題にもう入っちゃおうと思うんですけれども、
どこから行けばいいのかな。
毎回こういうところでまず悩んでいますけれども、
あの、そうですね。
えー、
昨日は怒りについて喋った気がするんですよ。
で、その前に、
日曜日だったんでね、グッドバイブスファクトリーのグループセッションと、
大橋さんのフォローアップ会というのに参加したんですね。日曜だったから。
で、その前の土曜に3ヶ月チャレンジというので、グループセッションというのをやっているんですよ。
これは私が主催、独自にやっているものなんですけれども、
こうやって立て続けにやったから、まあいろんなそのお話が入ってきて、
で、その中でやっぱりこう、私たちのようにですね、要するにこう、
まあ神経症水準ですよ。もうちょっとさらに健常な人が多い。
中で問題になりやすいのは、基本的にはね、
まあこれも当然なんですけれどもね、なんていうんですかね、
まあ無理を言われることだったなっていうのがまずあったわけですね。
何らかの形でやっぱり無理を言われなければならない。
ただそれは、せいぜい無理を言われているという、ここをやっぱり捉え方なんですよね。
これも昨日お話した通りですね。
その環境が本当にそこまで私たちに無理事しているんだろうかというのを、
まず疑う価値があるといった話だったと思いますね。
これが昨日したわけです。
で、今日は全然違うところに行きそうな気がしているんだけれども、
まあ、で、私はどうしてるんだろうと思ったんですね。
私はもうその環境が私に無理を強いてくると考えるのは、
考えるような環境に生きてないなっていうのはもう、
その点についてはほぼ自明。
まあもちろんね、極端なケースは日々時々ありますよ。
06:00
めちゃくちゃ寒いとかね。
でもそういう日はもう別にグッドバイブスで頑張ろうとしなくても、
クラスの3は別かもしれませんけど、私だったら別に布団被って寝とけばいいわけですよ。
そういう日は早々ないのは知っているわけだから。
で、気温を見ればわかるじゃないですか。
まあね、今なんかむしろ逆ですけど、春とは思えないほど暑いとか、
そういう日に別に頑張らなくてもいい、私の場合は。
そういうシチュエーションに今や生きてないので。
娘とかだとね、中学生だからまだそこを頑張らねばならんみたいなところあるんだけど、
娘は娘で非常に元気にやってるんで、
別にここであえてグッドバイブスでみたいなことを頑張る必要があまりないわけですよ。
環境とよく適応しているといえばいいわけですね、それで。
で、私はどうしてるんだろうかというふうにちょっと考えてみたわけですが、
私は最近タスクシュート手帳とか教会での活動も増えてきておりますので、
改めて考えてみるとやっぱり、
対人関係とか無理事という話を取り除いていくとですね、
私はタスクシュートをやっていることで、
いろいろなところを、際どいところっていうのかな、
際どくなってきたらそっちを回すんだなっていうのが一つあるなと。
政治分析はもう絶対的にあるんですよ、グッドバイブスもね。
これはもう私のデフォルトの状態が良いものだと認識するためみたいな感じかな、
にはもう欠かせない。
やっぱり人間関係というのはですね、本当日々なんで、日々微妙に動いていくんでね、
非常に有効だった人間関係も一夜にしてコロッとそうではなくなるということも経験してきているわけですね。
こればっかりは大概誤解の産物なんですけど、
ここでもね、非常にグッドバイブス的でイリュージョンなんですけど、
過去そういうことが起こっちゃったらもうある意味どうにもならない部分もあるわけですね。
そもそも今、例えば昔誤解で生き違ったなみたいなんだけど、
あの人今一体どこにいるのかもわかんないみたいな人もいるわけで、
それをグッドバイブスでこうしておくべきだったとか考えるのがすでにグッドバイブスじゃないみたいな、しょうがないですよね。
そういうのはね、そこをさらに改善していこうみたいな感じではないので、
人間関係というのは本当日々に気をつけておくということしかできないなっていうのはあります。
やっぱ大脳でかいんだなって感じがします。
大脳がでかいというのは影響力が大きいという意味の他に、
大脳というのはそもそも人を誤解させる力が大変強いので、
これじゃあ誤解してもしょうがない面はあるなと。
つまりイリュージョンの敵が良すぎるってことなんですよね。
これも昨日お話ししたマトリックスがすごすぎる話です。
で、私はここからさらに人間関係の機微みたいなものも含んでね、
09:00
やっていくとなるとやっぱり、僕の場合はGood Vibesがベースにあるから、
あとはもうタスクシュートを、何と言うんですかね、
最近よく言ってる言葉なんですけどね、これも誤解を招きそうで嫌なんだけど、
ミニマムに回すということなんですね。
ちょっとね、もう3つルール、ちょっと違うな。
でもまあ2つ少なくとも確実にあるのがあって、
1つはですね、宣言するっていうやつなんですよね。
これも割とタスクシュート界隈では昔から言われてきたことで、
古くはというのかな、佐藤圭司さんかな、
とにかく仕事は宣言するんだっていうね、
本ですよ、電子書籍ですけど書かれた方がいらっしゃっていて、
名前間違ってる可能性が高いんで申し訳ないんですけど、
佐藤さんであることは確かだった気がする。
顔は思い浮かぶんだけどね。
仕事は宣言するという趣旨の本なんですね。
これタスクシュートユーザーに非常に簡単に分かるんですよ、
開始時刻入れるから。
でも宣言して何になるんだろうっていうふうに普通の人考えますよね。
あるいはタスクシュートをそこまでガチガチにやってない人には
そう思われると思うんだけど、
これもですね、私宣言にすごい意味があると思ってるわけではないんですよ。
ただ宣言するぐらいしかできることがないという感覚はあるんですね。
将棋とかもそうじゃないですか。
必ず開始の宣言みたいなの、あるいは開始の一例みたいなのってやりますよね。
何でかっていうと、いつ開始したかがまず結構大事だからってあるんですよ。
サッカーってそうじゃないですか。
45分ハーフって言うけど、あれ1秒でも結果が逆転することがあるんで、
何時に開始したかっていうのをはっきりさせておくっていうのは非常に
双方にはっきりさせておくっていうのは大事なわけですね。
あといつもよく思うんですけど、
空間が特に、例えばワンルームマンションですって時になってくると、
その部屋で全部するわけですよね。
ご飯食べるし、勉強するし、仕事もするし、寝もするしっていうことになってくると
やっぱり空間に意味をつけるためには、
時間の、時刻の概念が一番便利なんですよ。
これが始まったのは大体いつ頃ってやつですよね。
これがないと、この空間、結局僕ら空間の中にいますから、
これ環境としての母親みたいな話になってくると思うんだけど、
今ならこういうことが言えるんですけどね。
昔はこういう概念を投入するっていう気持ちがゼロだったから難しかったんですよね。
今の僕にとっては割と簡単なんですよ。
環境としての母親が移行しちゃうわけですよね。
移行空間っていう言葉通りに。
つまりその空間が一瞬何でもない空間になった時が僕らの危機なんですよ。
これがミニコットが新種って呼んだ、
12:01
こういう話をしたかったんだ、自分は。
そうそう、こういう話なんですよ。
つまり食事をしていますって時は、環境としての母親は絶大な、
食事一番有効だと思うんですよね。
赤ちゃんがおっぱい飲むように。
我々はその場にお母さんが来てくれてるって話じゃないですよ。
食事の用意したのは自分だっていう可能性の方が、
ワンルームワンションとかでは絶対高いと思うんだけど、
それでも食事を用意するということができるということはですね、
誰かが世話してくれているわけですよ。
だってね、食べている肉とか自分でちょっとゲットしてきましたってことはないじゃないですか。
まちで肉屋から買ってきたのは確かでしょうけれども、
そこら辺の牛さん引っ張ってきたわけじゃないですよね。
自分で鶏を占めたとかじゃないわけですよ。
絶対にそこには環境としての母親というものがいるわけですね。
この環境としての母親はいるんだけど、
さすがに我々は万能空想の世界には生きていないわけで、
万能空想の世界に生きているんだけど、
いわゆる母子一体の万能観の中にはさすがに浸ってないわけですよ。
何もしなくてもご飯が口に運ばれてきますってことは起きないわけですね。
未来では起きるかもしれません。
そういう変なロボット出てくるSF漫画っていっぱいあるじゃないですか。
なんかにょいーんて伸びてきて口に物を運んでくれる。
私あれやってほしいと思ったことないんですけどね、まだね。
でもまあそういうことですよ。
自分でケアする部分があるにしても、
旧アニガタは環境の方がある意味、
環境を私たち向けて設定してくれるわけですね。
だからこの環境としての母親とどう結びつくかっていうのが変わっていくわけですね。
食事が始まるということは、
食事をしたいというニードに答えてくれるようなニーズが用意されてくるっていう環境になるわけですよ。
これが食事が終わると、次は勉強ですってことになった場合、
今度は勉強向けにその机が予想位を変えると言いますか、
吹いたりしますよね。
そういうことによって移行していくわけですよ。
この空間の感激が問題なんですね。
さあスタートできますっていう時は、
もうすでに事態は正常に進行しているわけです。
問題なのは、食事の片付けきらないのに勉強を始めちゃうという、
そういう条件もあるわけじゃないですか。
何かがうまくいっていない部分があるわけですよ。
環境としての母親が用意しきれないという時、
その時に移行というのが危ういわけですよ。
赤ちゃんはおっぱい吸い終わって、ずっと寝ればいいんですけど、
そうはなかなかいかないですよね。
おっぱい離した途端にお腹いっぱいのはずなのに、
泣き出すとかぐずるとかいうことが起こるわけ。
これはつまり移行しきれないんですね。
15:02
でも移行はしなきゃならないわけですよ。
ずっと同じ状態を続けていたのでは、
肉体は万能じゃない。
お腹が空いたりいっぱいになったりと変遷をたどるわけですね。
だからその間には必ずタイムラグみたいなものが起きて、
これが大事なんですけどね。
これが起きないと、ある意味ここがウィニコットの話の面白いところで、
これが起きないと我々は万能感に浸りきってしまうので、
ナルシムが肥大化していくとそういう問題が起こるわけですよ。
だから外部に出会わなきゃいけない。
つまり環境というのは私たちに向かって用意し続けてくれるわけじゃない。
これが外部ですよね。現実ということなんだけど。
あまりにも良くできたニーズを提供してくれる世界は、
非現実的になってくるわけですよ。
寝てれば何でもしてくれたら、その人は現実と遭遇しないわけですよね。
自分の空想通りに世界が進んでいると思ってしまうから。
自分が食べようと思えば食べられるんだっていうのは幻想じゃないです。
本当はそうじゃないですよね。
そのために他の動物死んだりしてるわけだから。
それが現実ってものですよ。
でもウィニコットの言ったことはすごい僕は大事だと思うんですよ。
とはいえ現実にあまりにも過酷にバーンと直面して、
例えばご飯なくなりましたみたいなね。
それは現実かもしれないけど、そんなほどになってしまったら
要するにトラウマになってしまうわけですよ。
私たちは過酷すぎる現実の真正面から向き合っちゃダメだっていうのが
ウィニコットがすごい強調したところなんですね。
それをさせられてしまったら精神病になっちゃうんだよっていうか
精神病水準というもののポジションですね。
昨日もこれはお話ししましたけど、
精神病的なポジションというものにいる、
居続ける場面になったりする。
そういうのが真宗というよくない働きをするんだけど、
でも現実と開口っていう言い方するのかなと思うんだけど、
現実と出会わなきゃいけない。
出会わないと今度は一時なる沈む世界に自分、
自分しかいない世界というものに閉じ込められる。
環境としての母親って要するに見えませんからね。
そうですよね。
我々はどこで牛さんがパックされてるのか見ないですよね、基本的に。
環境ってそういうもんだって思っちゃいますよね。
それは非常にナルシシスティックな世界なんだけど、
普通ですよね、それがね。
ナルシシスティックな世界だからダメだとかって誰も思わないですよね。
むしろそんなホラーみたいな世界に住もうとしたらダメじゃないですか。
毎日毎日現実現実みたいなところにバンバンバンバン打ち当たっていたら、
多分人間というのはなかなか正気を保つのが難しいまして、
子供は無理なんですよね。
だから移行空間という言い方とか移行対象、
この移行するタイミングというのは非常にリスクを負う。
で、子供ってよくそうなってるじゃないですか。
さっきまで静かに本読んでたのにいきなり騒ぎ出すみたいな。
先日この話、フォトキャストでした気がするんだけど、
18:02
お餅を用いて一生懸命騒いでいたお子さんがいらっしゃったわけですよ。
私が花の飛行機に乗ったら後ろの席でお餅って言ってたわけですよ。
この人は移行対象がお餅なんですけど、
なかなか移行対象が手に入らないために環境としてのお母さんがいなくなっちゃった。
環境としてのお母さんいなくなるんですよ。
対象なんで実際には現実というものはその人の都合があるので、
お餅は出せませんという都合があったりして、
そうすると子供にとってはあれはもうトラウマになってるんじゃないかと思うぐらい悲惨な泣き方をしていたわけですね。
出してやれよって多分周りの人は思ってたと思うんだけど、
出せない事情があるんでしょうねやっぱりね。
これが移行という現象、移行という現象なんですね。
だからこの移行の時に混乱するわけです。
私たちは多かれ少なかれ。
僕はそのことをよく思うんですよ。
タスクシュートにおいてこのタスクをやってますってタスクは
時々重たいタスクとか言うんだけどそんなものはないと思う。
何がないかっていうとタスクに手がけられているということはですね、
環境都市の母親と私、私は赤ちゃんですけど一体となってるんで、
ここではもう混乱しないんですよ。
タスクが重いとか軽いとか、
赤ちゃんにとってもハイハイするっていうのはおっぱい飲むよりは重いのかもしれないけど、
ハイハイするっていうことになってればもうこれはいいんですよ。
赤ちゃんは大体ご機嫌ですよね。
時によっては寝るっていうのが赤ちゃんにとっては重たいタスクなのかもしれないけど、
寝ちゃったらもうOKですよ。
問題なのはその間、開始できない状態の時。
この時に僕らはトラウマに遭遇しやすい。
でもこの時間が大事なんですよ。
そうですよね。
ワンルームマンションの食卓が食卓でもなく勉強机でもない。
それが現実の机ってもんじゃないですか。
この時間は大事なんだと僕は思うんですね。
だから開始を宣言しまくればいいってもんではないと思うんですね。
開始を宣言する前に一旦現実に放り出される。
この時間を十分持ちこたえられるようになればですね、
割と何だってできると思うんですよ、私たちは。
それぐらい、やってみればなんていうのかな、独立してきているんでね。
これって独立の問題ですよね。
自立でもいいですけれども。
要するに環境としての母親というものと一緒に何かをしていれば、
いろんなことができるっていう風になるのが独立だと思うんです。
環境としての母親、抜きで生きていけるよって思おうとする人っていうのは、
要するに酸素がなくても俺は大丈夫って言おうとして、
死んじゃいそうになっているってことになりやすい。
これは要するに僕は自立のこじれだと思うんですけれども。
全然こう、それはリアリティがないわけですね。
宇宙空間の中でも私は一人で生きていけます。
すぐダメになってしまいますよね。
マイナス280度とか全然ダメですよね。
21:00
だからそういう風にはできてないんですよね、私たちは。
必ず環境としての母親と一体じゃないと。
つまりそれだけべったりに近いところが、
つまり人間っていうのはそういう風にすごく他者依存的であるところがあると。
これはもう精神分析にのみならずですね。
カウンセリングとかでは常識中の常識みたいになってますよね。
いろんな言い方ありますけど、基本的信頼とか、規定的信頼とか、
そういういろんなのが言い回しとしてありますけど、
要はそういうのがいるよねってことです。
一人じゃ生きていけません、よしっていうことだし、
そもそも一人で生まれてきてないだろう、あんたってことだし、
そもそも一人で育ってきてもいないよね。
これが悔しいっていうのが思春期のこじれなんだと思うんですよ。
でもこれが悔しいのは僕の感じではせぜ30前ぐらいですね。
それ以降はこれは悔しくないだろうって感じはするんですよ。
どう考えてもそれでいいはずなんでね。
自分が子供を育てるとよく分かるんですね。
子供がこのことに悔しがるとか、追い目を追うってのはおかしいよなんて感じがする。
人間っていう動物はそういう風にできてますからね。
生まれたときは自分じゃ座れもしないっていう生き物なんで、
馬とは違うってことですね。馬30分で立つわけじゃないですか。
でもそれは馬はすぐそばにライオンとかがいるからそういう風でないとまずいわけですよ。
人間はそうじゃないようにできてしまっているわけだから、
このことで追い目を回るんですけどそういうのってあんまり意味ないと。
本当のところ30過ぎて40になればもう完全に僕の感じではここについてあれこれ考えるってことはしないな。
だいたい親が今度はそうじゃなくなってきますからね。
親が明らかに一人じゃ生きていけなくなっていく。
うちの実家もそうですけどもう一人では生きていけないだろうなって感じになっていくんでそれこそね。
一人で生きていけるっていうのは本当に宇宙空間の中でも一人で生きていける的な話なんですよ。
今話が盛大に脱線してるんで、開始時刻を押すっていうことの意味ですね。
私はだから今は開始と開始の間だなと。
タスク仕事でも一番何と記録をすればいいのか。
アイドリングタイムって昔言ってたんですけどまさにアイドリング的なんですよ。
アイドリング的っていうのは現実的ってことですよね。
この空間に意味がついてない。
意味つけるのは時刻じゃないですか。
多くの場合そうだと思う。
例えば寝室に寝るって意味をつけるのはやっぱり夜。
朝って人もいるかもしれないけど夜。
暗くなった。
それは時刻が空間に意味をつけてるっていうふうにも捉えられるかなっていうふうに自分は思っているので。
それが寝るっていうこと。
寝るまでの間ってあるじゃないですか。なんだかよくわからない。
この時僕らは現実というものに遭遇しやすいと思うんですね。
もう一つが、これもミニコットになっちゃうんだけども、孤立って話なんですよ。
24:02
ミニコットの言葉の使い方は極端に変なんですぐわけわかんなくなるんですけど、孤立ってのはとてもいい意味なんですよ。
つまり一人でいられる能力。
一人でいられるってのはあれですからね。
これもこの番組ではお馴染みのつもりなんだけど、一人で大丈夫だもんって話じゃないですからね。
一人で寂しくないもんって話とは全然関係ないんで。
本当にここはね、私はミニコットが悪いと思ってるんだけど、彼はすごい大事なことを大事な使い方してるから、しゃあないなと思うんですよ。
これは私の例で言うとね、野球場に行っても一人でいられる能力ですよ。
周りに3万人の観衆がいて、わーってやってても一人でいられる能力なんですよ。
これが大事なんです。
やべえ、周りに3万人もいて、気になって野球に集中できないっていう人は一人でいられないんですよ。
周りに邪魔されてしまう、そういう人って結構いらっしゃるじゃないですか。
例えば病院の待ち合わせで、うちの親父が割とそういうところがあってね、あれよくないなって子供の時思ってたんですけど、なんかうるさい奴がいるみたいなことを言い出すんですよ。
なんかね、煩わされるんですよ。
で、病室で静かに本読んでいるおばあさんとかいらっしゃったりするやつ、あれが一人でいる能力なんです。
病室に人がいっぱいいて、子供もわーって泣いてたり、なんか大声でそれこそ携帯電話とか喋ったりしている若い人とかいても、
静かに自分の世界で本を読んでいられる。
よくシャットダウンって言うんですけど、僕は全然違うと思うんですよ。
ミニコットはすごい正しい。シャットアウトしようとすると無理なんですよ。
あれはそうじゃなくて、環境としての母親としてみなしてしまって、そこと一体化していくんです。
だから野球場って言ったんですよ。野球場でわーってやってても、あれ不思議なんですけどね。
ものすっごく野球のゲームに面白くて熱中すると、周りの音聞こえなくなっていくんですよ。
これシャットアウトじゃないですよね。
そういう映画とかの効果ってあれなんですか、シーンとさせておいて、急にまた歓声とかが聞こえてきて、現実に戻るみたいな。
ああいう感じ。ああいう感じを一人でいる能力って言うわけ。
人と一緒にいることによって一人でいるんですね。
やっぱりこれもさっきの赤ちゃんの環境としての母親と赤ちゃんっていう環境としての母親ですよね。
赤ちゃんがおっぱい飲んでるときってのは、おっぱいを持っているお母さんという人がいるっていう赤ちゃんは認識ができないんですよ。
だから人と一緒にいるっていう観念を持てないんですね。
一人でいるんですよ。一人でいるんだけど畳から見ると二人でいる。
これが一人でいる能力なんです。
一人でも寂しくないとか言ってる話とは全く違うんだけど、そこに孤立って言葉を、アイソレーション、アイソレートだっけな。
与えるから訳わかんなくなるんだけど、でもこれは大事なんですよ。
何が孤立って言ってるかというと、他から侵襲されてない、つまり交わされてない。
27:03
一人きりの世界がそこにある。ある意味でね。
一人きりの世界どこにもないんだけど、でも一人きりの世界がそこにあるって。
なんかちょっと神秘的な雰囲気があるんですね、そこにはね。
これは私、非常に大事だと思う。
つまり開始ボタンを押してしばらくしたら、ここに入れるべきだって僕はよく思うんですよね。
もう他のことは一切忘れて、特に物を書くとき、
これは倉野の圭三さんがよくですね、書き上げ塾なんかで、
クリエイション、クリエイターはって言ってるときに続いて出てくる話は、基本全部これだって僕はよく思っていて、
ここのところはすごい意見が合うなって思うんですよ。
つまり、彼は他の何かに煩わされるようではクリエイションできないっていうふうによくおっしゃるんだけど、
ここはすごい詰めたんだろうなって思うんですよね。やっぱりこう、音楽やってて詰めたんだろうなって思うんですよ。
僕はそこまで詰めきれてないけれど、同じものを理想的なものとしては感じてるなとは思うんですね。
だからこれがどう人に思われるだろうとか、
この間のレビューでこう書かれたなとか、頭をよぎるようであったらダメなんです。それはもう孤立ではないからね。
孤立なんですよ。赤ちゃんはそういうことに絶対煩わされずにミルクグッグッグッって飲むじゃないですか。
あの、非力な割にああいうときは力強いんですよ。グッグッグッって飲みますよね。
集中しきってますよね。それしかない世界みたいなところに入って。
僕はやっぱり野球思い出すんだけどね。
去年のしつこいようで申し訳ないですけど、藤岡さんが3-0から同点スリーラー打った瞬間は音消えました。
で、周りの世界も消えるんですよ。
これはシャットダウンでは全然ないんですよね。一体化って感じがするんですよ。
あの感じで原稿を書かなきゃなっていつも思ってます。
締め切りはいつだとか、このテーマはどうしたとか、編集さんああ言ってたとか、一切消えて。
それらはあるんですよ。それらがあるから書いてるのは確かなんですよ。
ここにね、ミニゴッドが矛盾しているよねっていう、つまり逆説的だよねってよく言われるポイントなんだけど、
私が作った世界でありながら、この世界は外から提供された世界であるっていう言い方をするんだけど、
全くその通りだと思うんですよ。
そもそもこの本を書いてるのはなぜかというと、編集さんがこの企画作ってくれたからだし、
だからテーマから逸脱しちゃダメだし、そもそも今なぜ書いてるのかというと、
外視ですれば締め切りがあるからに決まってるんですよ。締め切りなきゃ僕は書けない人間ですね。
締め切りがあるからなんですよ。そして生活のためなんですよ。
全て外から来てる理由なんですよ。
でも、やってる時はもう私が私だけの世界に入って書くんですよ。
これは一致するんですよね、不思議なことに。不思議ではないんだけど、説明すると変な感じになっちゃうんです。
でも野球なんてそうじゃないですか。
僕が見てようと見てまいと野球は試合やってるわけですよ、素晴らしい試合を。
30:01
それは全て作り出されたものです。僕が作ってるものは一個もないですよね。
でも、あの私が見ている野球の世界は私しか見てないんです。
それも事実ですよね。だからオーバーラップするんです。
そういう風に私が作るものと世界によって作ってもらうものがオーバーラップしてくる。
どっちが本当とはもう言えないっていう、そういう感じ。
これが一人になる能力なんだと思うんですよね。
やっぱり一人にならなきゃダメだなと。
だってね、横で編集さんが、なんかよく漫画にあるじゃないですか、後ろでバッと持って早く書けみたいな感じ。
あんなんじゃ書けるわけないと僕は思うんですよ。
なんか漫画道でそういうシーンあったけど、僕これでフジコフジを。
その人たちやっぱすごいなって思うんですよね。
後ろに怖い編集さんがあいつらを寝させるなみたいなことを言って。
なんかこうバッとこそ持ってないけれども、なんかもうバッと持ち出しかねない雰囲気で。
なんかおじさんが何人もね、あんな若者二人を囲んじゃって。
君たちは迷惑をかけているんだ。
絶対書けねえな俺はこれだったらって思うんだけど。
彼ら結構ね、漫画にのめり込んで書けていく。
あれが一人になる能力ですよ。
後ろになんだっけ、忘れましたけど。
なんかおじさんがいるってことを忘れてしまう。
でもいるから書くわけですよね。
いなきゃ彼ら寝ちゃいますよね、完全に。
だからこの2つって矛盾しないんです。
私が開始ボタンを押したら、いつもいつも絶対どんなことでもそうできるとは言いませんけど、
これを目指すべきだなって思うんですよね。
つまり開始ボタンを押す間のギャップ。
それが最初に言ったやつですけど。
この現実に開口するってことと、
開始ボタンを押してしまってから、
そこに集中的にのめり込んでいって。
この時間も長ければ長いほどいいと私は思うんで。
過集中とかいう人がいらっしゃるんだけど、
僕はすごいとんでもないなって思うんですよ。
過集中×1万ぐらいいったいじゃないですか。
これが生きる意味じゃって思うんですよね。
これ以外にここに何時間使っちゃったとかいうのは、
結果でしかない。
2,3分で終わっちゃうことだって予定あるわけですから、
何分使おうと別に構わないわけですよ。
この日全部それに使っちゃったって全然、
それが幸せってもんだと私は思うんですけどね。
もちろんその後の後始末は出てきますけど、
それはそれですよ。
で、こういうふうに考えていくとですね、
開始時刻を押すってのはタスクシュートだなっていうふうに、
私は毎度このことを考えながら一応やっていて、
もう一つは今日はまた次の機会に回しますけど、
並べ替えるってことかなって。
つまりこれが終わったらやっぱり現実に放り出されるわけですよ。
一人でいる能力は終了。
現実というものがやってきて、
しかもそれは環境としての母親もどっか通り過ぎると。
私がニーズを満たしてしまったから。
33:00
ニードを満たしてしまうからなんですね。
あと新しい私に生まれてくるニードと、
環境というものの設置を考えていかなければいけない。
だからこそここで並べ替えということをする。
私は1タスク終わったら必ず並べ替えてもいいぐらいなんじゃないかなと。
しないときありますよ、もちろんね。
でも1タスク終わったら並べ替えてもいいぐらいなんじゃないかなというふうに、
思わなくはないですよね、タスクシュートでは。
この2つかな。
この2つ。並べ替えと開始ボタン。
あと確認ということがあるんですけどね。
記録が残るしね。
確認ってことはあるんだけど、その3つですかね。
この話、実は全然どこにも対してしていないような気もする。
しょっちゅうしてるじゃんって言われれば、
ありがたいっちゃありがたいんですけどね。
やっぱりこれは僕のすごく独自の、
全然この中に、
私はJさんとか大橋さんの言うことと矛盾はないと思うんだけど、
どういうつもりでやってるかは別として、
結局結果としてはこれをやると、
開始と終了の記録をリアルタイムにつけます。
その記録がログとして残っていきます。
朝にはルーチンが並びます。
べき機器並べ替えます。
やってることは何も変わらないですね。
プランログルーチンの説明と一致すると思うんですよ。
どういうつもりでやってるかというのと、
どこにやたらと重点を置いてるのかというのと、
レビューをいつもきっちりはやらないとか、
ルーチンが最初からきちんと並んでるかどうかには、
ほぼ何の興味もないみたいなのは、
温度差ありますよ、それは。
私はもう毎度並べ替えをするぐらいでいいと思って、
なぜならそこで現実と遭遇するか、
っていう考え方を持ってるせいなんだけど、
別にしないことはあるし、
しなくたっていいと思うんですよ。
その並びでいいっていうことであればいいわけですからね。
だから、この何で有効なんだろうって話に、
僕は過剰に興味を持っていて、
つまり何で有効なのかは、
まだ完全には解き明かされてもいないし、
きちんと説明されてもいないと、
僕は思っているからなんですけれども、
ここがね、私はオリジナルに、
オリジナル信仰なんですよ。
大橋哲夫はやや別格だと思ってるわけですね。
なぜなら彼はこういうことを一切説明せずとも、
これを作り出せたからね。
オリジナルの人ってそういうところあるんですよ。
フロイドが全くそうなんですよね。
彼はどうして精神分析は有効なのっていうことを、
完全な形で説明しないまま、
お亡くなりになっちゃってるわけですよ。
いろんな話だけはしておいて、
なんていうのかな、
全てがこう、
途中で投げ出されているというのか、
途中までなんですよね。
建築中なんですよ。
でも彼は精神分析を創始したし、
このシステムはとりあえず完成させたというところまで
思ってたわけですよね。
だから、
有効である理由の説明が、
有効であるものを作り出したのに、
追いつかなかったわけです。
でもこういうことが本当によくあることだと、
36:00
自分は思いますね。
話が結局フロイドに行っちゃったんですけど。
でもやっぱりすごい、
いろんなところで既に述べられているわけですよ。
どの弟子たちが完成させていった理論の、
法がみたいなものがやたらと置いてあるんだけど、
法がばっかりなんですよ。
でも彼は、
技法のそのものは、
彼がいきなり創始しちゃっていますからね。
これらの理論が確立する、
うんと前から、
技法だけは確立したわけですよね。
この辺がやっぱり創始者の、
独特なところだなっていう感じがします。
僕らだったら、
僕なんかまさにそうなんだけど、
なんでなんでっていう風になりやすいわけですよ。
なんでこれできただけで済ませてもいいんだけど、
外してそうはならないですよね。
なぜ有効なんだろう。
今回本に書いちゃったんですけど、
でもなぜ有効なのかは、
この際、ある意味どうでもいいよな。
おかしいじゃないですか。
だいたい仕事術なんかでも、
ハーバード大学の何とか教授によれば、
こうこうこうだから、
この方法は有効なんだってやると、
みんな納得するんだけど、
それっておかしいじゃないですか。
その人が何と言おうと、
有効でない方法は有効じゃないし、
有効な方法は有効なんですよ。
誰も何も言ってなくても。
人々はそうは考えないんですね。
ハーバード大学の何とかが、
おすみつきくれた有効でない方法は、
有効だって言われると納得するんだけど、
有効なんだけど、
大学も出ていない朝日が言いましたらと、
ケッと思うわけですよ。
これ非常に面白い現象なんですよ。
しかも薬の場合プラシーブ効果ってあるから、
どっちの方が効くかって、
本当に微妙な問題になってくるわけですね。
だからこういうエビデンスが云々とか、
薬中にやたらと参考文献を置いておくっていう、
やり方を取るんだけど、
誰も読みませんよね。
この話もまた盛大に脱線しているんだけれども、
そんな感じで、
私はタスクシュートを使うことは、
最後まで多分使うだろうなっていう話。
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