2022-01-17 33:38

【GMV 536】割り込みは時間管理の問題とは限らない

良いものは壊したい
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
おとどいですね、シーズン3のグッドバイブス勉強会の第1回がオンラインでやりまして、おかげさまで結構成長でした。
これシリーズものではあるんですけども、特に前回のがなければ今回のはわからないというようなものでは全然ないので、
オンラインなのでオミクロン株がどれほど、どれほどとしても程度問題かもしれないけど、
常識の範囲内の猛威を振る、これもよくわからないな感じならば、やりますので。
たぶん2月もやると思いますので、よろしければ。
まだテーマは2月の方は決まってない。
こういう感じで、1回目は仕事だったんですけど、とにかく身の回りのテーマを1つ拾ってお伝えしていくと。
そういった内容になっています。
私直前まで、この番組でもしゃべりましたけど、直前までタスクシュートクラウドにして1ヶ月ぐらい経ったから、
その話になるだろうと思ってたら、もう1個も出てきませんでした。不思議ですよね。
しゃべることを考えたのは、その日の開始3時間ぐらい前で、買い物に行かなければどうしてもならなかったから、
おかげでちょっとあれだったんですけど、買い物に行く直前にふと、これ今日しゃべろうと思った内容をしゃべったんですね。
そしたら、タスクシュートクラウドはその中で出てくるだろうとなお思ってたんだけど、
出てくるはずのない内容で、そういう感じの話を1時間しました。
その中でですね、まず僕その時にも思ったんですけど、嘘も何もないんですけど、話が少し大げさになっちゃうなっていうのをすごく感じます。
あの日にしゃべった内容は、事実は事実なんですよね。
しかも別に思ったとかもないんだけど、心理状態しゃべるじゃないですか。
確かにそうと言えなくはないんだけど、心情って心に感情の情感なんですけど、心情ってピタリ正しくしゃべるのはそうでなくても無理があり、
しかも聞いてる人がいると思うとですね、これポッドキャストでも聞いてる人がいるんですけど、目の前にいる感じがしませんから、
いると思うとつい笑いを取りたくなるんです、僕はね。これは恐れと不安によるものなんですけどね。
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全然こう、なんて言うんですかね、何の変哲をなくしゃべるっていうのが一番いいと思うんだけど、
なかなかそうはいかなくてですね、気がつくとつい大袈裟かなみたいな、前よりはだいぶ抑制効いてるんですけど、
抑制が効くっていうのも変ですけど、盛らなくなってきたんだけど、全然そういう受けて欲しいという気持ちなくしゃべるのは困難で、
聞いていた方には良かったのか悪かったのかわかんないんですけどね、そういうことをしちゃうんですよね。
これは私の友達の会社の研修をやる人もよく言ってて、取らなくていい笑いをもう本当に無意識に取りに行っちゃうっていうことをよくおっしゃってました。
絶対取らないぞって事前に決めるし、だいぶ取らなくなったんだけど、ふとやっぱりつまんなそうな顔してる人の顔とかが目に入るともう決意が飛ぶんですよね。
そして笑いを取りに行ってしまうと。それで受けたとしてもちょっと残念だっていうね。
これはもう贅沢な悩みで、そこまで考えつつ研修できて、その人研修すごいめちゃくちゃ受け負ってる人だったから、でもそういう人でもそういう悩みってあるんだなっていうのを思ったりもしました。
これはですね、笑いが出るのがいけないはずはないし、別に取りに行くっていう職業だってあるわけだから、そういうこと自体が良くないとも思わないんですけど、そこのところでやっぱり難しいんですよね。
グッドバイブス流に言うと、要は動機の問題なんですよね。恐れと不安がどの程度そこに介在してくるのかっていうことなんだと思うんです。
で、先日の私が喋ったシチュエーションも、恐れる理由も不安になる理由も一切ないはずなんだけど、やっぱり取りに行くって、しかもそれが明らかに自分で不安がってるから取りに行ってるのがわかってるってことはそういうことなんですよね。
単に盛り上げたいなら全然いいと思うんですよ。ところが私は単に盛り上げたいという気持ちはさほど湧いてないんですよね。そういうパーソナリティじゃないんですよね、今のところ。
まあまあそういうわけで、別にそんなに事実に反するとかいうことは全くないんだけど、少し欲望をつけたがるというか、ここで持っていきたいみたいなのがあったよなと。
事前にはそういうのを盛り込んでるはずがないから、やっぱりスライドとか一個も使いませんでしたから、スライド一枚も使いませんでしたから、これはやっぱりそういう心理状態がなせる技だなっていうのを思いました。
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で、その時に出た話で、しかも今の話とはあまり関係なく、その時に出た話でですね、依頼っていうのがテーマにしてたんですけど、仕事だったですからね。
この依頼っていうのが、私がつまり依頼とはこう、つまりそういうことなんですよね。
グッダバイブスで最初に聞いた時も、僕が結局そこでつまずいたのはですね、依頼とは各こういう形を取るはずだみたいな、依頼についての正しさというのがあって、それと合致する依頼って来ないから、
依頼を待っていたら合致するんじゃないかとは言わないですが、大変まずいことが起こるんじゃないかという懸念があったのが思い出されたわけです。
依頼っていうのはそういう形を決して取らないなと、僕がイメージしているような形をですね、そもそも2年前に依頼についてどういうイメージを持っていたのかはもう思い出せないんですよ。
でも何か奇妙にカッコとしたイメージがあって、書面で来て、書面でそもそも来た試しないのにほとんど書面で来て、書く書くしかじかな依頼をして、お金はこのぐらいですっていう、全ての依頼がそうであるのがいいように思っていたんですよ。
ところが考えてみると、私ここ15年フリーランスやってて、そんな依頼の仕方が来たことはゼロじゃないぐらいの感じなんですよ。
依頼自体であれば、ミュージシャンとかまで含めれば1万とかいくと思うんですけど、うち1とか3とかそういう世界なんですよ。
全部がそうでないといけないって思うというのはキーなんですけどね。
でも人間が持っているこういう特定のイメージっていうのは強固なものですよね。
サラリーマンでもないくせに月々の収入がないと危険だみたいな考え方にもとらわれてた時期があって、今はもう全くないんですけど、全くなくなったのはグッドファイブスなんですよね。
グッドファイブス前から全くなくなっていいはずの話なんですよ。
なぜならばそういう形の収入形態になってないわけですから。
しかもそれにこだわるならサラリーマンをやれよっていう話なんだと僕は思うんですよね。
もし月々の収入の安定したものを望むなら、やっぱりフリーランスやっちゃダメだと思いますね、今だったらね。
そういうフリーランスの形にすることも可能は可能なんだけど、本当にそれが好きならば国家公務員とかが絶対いいと思うんですよ。
地方公務員でもいいですけどね。
だってそれについての保証度が全く違いますもんね。
フリーランスでそれをやるのは多種多様な工夫の結果でしかないけれども、
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公務員であればですね、もうそれは工夫するまでもなくそうなるわけですから、
絶対にそっちが本当にそれを望むということであればですね、そうした方がいいと思いますよ。
グッドワイフスって言ってようやく月々の収入が極めて波がでかいのが何とも思わなくなるっていうのは、
本当は心理的に追いつくのが遅いなって感じはします。
しますけれどもそうなると大変楽にはなりますね。
年単位で見ればいいわけですからね。
それはまた全然関係なくてですね、つまり依頼の話をしてたんですよ。
その時に依頼される時間がかぶるって話が飛び出してきて、
依頼される時間がかぶると身内の方からの依頼がその人はあって、
それよりもそれ以外の方の、多分依頼を受けて嬉しい方の依頼にかまけていると身内から攻撃されるっていうテーマで、
時間帯がかぶる問題はどうなるんだという、
これですね、割り込み問題と昔私が名付けていたサスクシュートでよく出てくる問題なんですが、
だけれどもよく話を聞いていると、これはよくあることなんですけど、
割り込み問題というやつはですね、結構カウンセリングの対象なんですよ。
実際には時間術の問題に見えるんですけど、
純粋に時間術的な、つまり時間のやりくりの問題だけがこれを構成しているケースはかなり少なくて、
以前このポッドキャストで何度も言ってますけど、僕はやっぱりあれがエポックメイキング的な出来事だったんですね。
割り込みというか、割り込みを訴えてくる人に割り込まれると。
つまり私がタスクカフェというのを橋立夫さんが主催していた月1回の土曜日の朝やっているセミナーなんですけど、
自習学習的なセミナーだったんですね。
その都度分からないことが出てきたら、あるいは少なくとも最低1人1回は講師にいろんな自分の仕事上の悩みを相談すると。
最初は習字レビューをそもそもそこでやるみたいなノリの回だったんですよ。
ある方がめちゃくちゃ頻繁に割り込みの話を私に振ってくるというか、相談してくると。
何度も何度も何度も同じ1日の中でですよ。
本当は1日1人1回割って言うような、あとみんな林番的に回っていかなきゃいけないから、
同じ人が何度も何度も何度も来るというのは微妙なんですけれども、
でもそんなにたくさんではなくなっていったから別にそれ自体は構わなかったんですけど、
何度も来るということに僕が無理だという感じを抱いたときに気がついたんですよね。
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そうなんだよ、これをやられることの無理さをこの人が体験していることなんだと。
これちょっとオカルトっぽく聞こえるかもしれませんが、この種のことは本当に普通によく起こることで、
絶対意識的にやってないんですよ。
意識的にやってないときの方がより切実に訴えている雰囲気になるんですね。
つまりその人は割り込まれるとはこういうことだよということを伝えているんだけど、
そしてその人の題名はまさにそれだったわけですけど、
これを精神分析の世界では技術的にスキルと名称として東洋同一化というわけですね。
割り込みにはこの種の問題が絶対に手につきまとうんですね。
時間がかぶるだけのことってほとんどない。
ただ全部が全部東洋同一化ではもちろんないんですよ。
とにかく割り込みというのは何か意図的な攻撃であるということが少なからずある。
これあれですよ。だからといって割り込みは全部ブロックしましょうという話にしないようにしていたいんですよ。
割り込みは急な依頼っていうふうにグッドワイブズでは言われたりしまして、
要するにこれをシャットダウンするということは結局分離になってしまうので、
あるいは反撃になってしまうので、こっちのほうが大きいケースが多いですよね。
向こうからの一定の攻撃を見て逆襲するっていう形をとる。
それだと多分結果としては今の私がその時の私がなったように終わらなくなってしまうんですね。
この攻撃は効くっていう意味になってしまうので。
その話もまさにそういう感じだったんですけど、
これは身内の方からあなた役に立たないって言われる、役立たずだって言われるっていうテーマだったんですね。
まずこの役立たずって言葉の雰囲気が私には響かないなっていうので、
一つ興味深いことが分かるんですよ。
この言葉は響かない人には発せられないはずなんですね。
これはもう別にグッドバイブスとか精神分析とか言わなくても行動両方の世界にもあるんですよ。
人は聞くこと、相手にとって痛みを与えうる言葉だけを発するように攻撃したければですね。
なぜならばこれは聞いたという成功体験を持つので聞かなかった言葉を繰り返さないんですね。
学習行動ですね。ネズミのレバー倒しなんですよ。
人は報酬のある行動を繰り返すので、役立たずだと言われて何とも感じない人には役立たずだという言葉を発することは無駄なので、
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そういう無駄玉は出ないんですよ。
必ず役立たずだと言われて怯むか怒るかとにかく何でもいいんですけど、
反応があった言葉を残していくんですね。消去法的に残っていくという表現をとるんだけど、
それは行動科学が好む言い方で、実際消去法っていうのもどうかと思うんですよね。
当たりはつけてるんですよ。こいつにはこういう言葉が聞きそうだという言葉を選ぶんですね。
だから闇雲に打って消去法っていう、ただそういう風にやっていったとしてもやっぱり響く言葉が残るよねっていうのがまずあるんですね。
あるんですが、私はその説明だと至って表面的な感じがするので、これだけでもね、
だから響かせてはいけませんというグッドバイブスの話に、
クラゾンさんがその時はそういう話をしてくださったんですけどにもできるし、
もっとややこしい話をするならば、多分いろいろややこしいことがあると思うんですけど、
そこで深入りをしていくとずっとその時間になってしまいそうだったので、
その時はまたこれは後で考えようと思ったんですね。
もうそのままで考え始めなければ追いつかないぐらい実は難しいテーマだなとは思ったんですよ。
この役立たずって言われて気になるという話だけならば簡単なんですけど、
もうちょっとややこしい話なんですね、これは。
身内の人が依頼をする。他の人の依頼の方に行っちゃって、
その身内が怒りだす。これはもう非常によくあることですよね。
家によくいてあんまりかまってもらえないお子さんがですね、
お母さんは仕事仕事で忙しいと、それですよ。仕事は依頼だし、
子どもがかまってほしいのも依頼ですね。これがぶつかるのは時間帯の問題、
あるいは時間のやりくりの問題だと我々はみんなしてしまうんですけれども、
そうではないんですよ。時間のやりくりの問題だけであれば、
タスクシュートで完璧に解決できる。完璧に解決できないけれど、
タスクシュートでかなりの面解決できるんですけれども、
多分、タスクシュートでかなりきれいに解決したと思ってもですね、
割と早い段階でほころびが出てきます。そうすると、
なんだタスクシュート時間術だめじゃんって思われちゃうんですね。
思われるかもしれないんですけど、これだから時間術の問題ではないんですね。
こういう話をタスクカフェとかでもしたかったなという気持ちがあって、
今こういうことをここで喋っているわけですけどね。
これはですね、やっぱりメラニ・クラインの本のタイトルとしては、
あんなタイトルの本がよくまだ生きているなと思うんですけど、
嫉妬と煽放ですね。これも一概には到底言えることではないんですけど、
嫉妬はいいんですよ。なぜ嫉妬はいいか。
例えば私が、しないですけど、藤井壮太さんに
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藤井壮太さんいいなと思う、慣れればよかったのにと思って、
藤井壮太さんに腹を立てるとかはいいんですよ。なぜならば、
彼のように将棋が強くなりたいって、これは前向きだということですね。
嫉妬は基本生産的なんですよ。いいものを羨むってことだから。
いいものの方に自分を持っていきたいってことだから、
これはこれで一概には言えないんですよ。一概には言えないんだけど、
嫉妬は原則としてはそうまずいことではないんですね。
嫉妬するということは自分が良くなりたいということであって、
社会的な意味で良くなりたいという方向に持っていくわけだから、
ペラニー・クラインが言った戦亡であって、もともとドイツ語なので、
日本語の戦亡とちょっと意味が違いますけれども、
この精神分析の世界における嫉妬と戦亡という言葉の戦亡は、
良いものだからぶち壊したいという問題なんですよ。
これがやっぱり精神病部分ってやつだと思うんですよね。
ビヨンという人が言った、これはクラインの弟子だと思うんですけど、
人間にはどんな人にも精神病部分と非精神病部分、
これは正気の部分なんだけど、非精神病部分があって、
非精神病部分でいかに持ちこたえていくかだよというテーマなんですよ。
これはほぼほぼグッドワイブスの平安と愛による選択、
これが非精神病部分で、精神病部分というのは恐れと不安による選択ですね。
ほぼこれに重なりますね。
その戦亡というのは、完全に精神病部分なんですね。
クラインの言う戦亡は。
良いから壊したいと。良いものはダメだと。
なんで良いものがダメなんだというのはちょっと難しいんですが、
やっぱり自立という時におけるトラウマの問題なんです。
自立するということは、つまり今までは母子が一体で完璧だった。
母子が一体なら完璧なんですよ、赤ちゃんの視点からすれば。
母がなんとかできない問題はこの世にないわけですから。
そして母なんてこの世にいないわけですからね。
お腹が空けばミルクが出てくる。
暑くなれば涼しくしてくれ。
寒くなれば毛布がやってくる。
しかもその毛布とかは毛布だとか思わないわけだから、
全部自分なんですよ。
なんて言うんですかね。自分で完璧なんですよ。
毛布も自分だし、毛布が取れるのも自分だし、
おっぱいも自分だし、ミルクも自分だし、
お母さんももちろん自分だし、お父さんも自分だし、
これ全体を環境としての母親と呼ぶんですね。
完璧なんですよ。環境と私が一体だから問題なんて起こるわけがないんですね。
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でもそこでお母さんというものが実は単なる環境ではなくて、
一個の人間で欲求を持ってて、
しかも本当は自分のことが好きじゃないかもしれませんみたいな話になって
とんでもないことが起こるわけですね。
このとんでもないことがあんまり急に起こってはいけないというか、
急に起こっちゃダメなんですね。
急に起こると何が起きるかというと、
一つが戦法が起きるわけです。
そんなに素晴らしいお母さん対全く何もできない私というものに気づいてしまったら
やばいんですよ。
このお母さんを早急にぶち壊さないと。
そのように考えないと思うんですよ、もちろん。
だけれども赤ちゃんはそのように考えないかもしれないけれども、
僕らはそういう思考にとらわれることが時々あるという話なんですね。
そんなにすごい人がいて、
例えば倉園さんみたいな人がいて、
何もかも問題を解決していて、
自分は何の問題も解決できず、
いつも倉園さんに相談しているということに腹が立つということがあったとするじゃないですか。
よし、倉園さんを亡き者にしようと。
人は思うんですよ、こういうことを。
精神分析の世界ではこれはしょっちゅう起きちゃうんですね、きっと。
僕はこれ別に精神分析の世界じゃなくて起きると思うんですね。
私は親にそういう気持ちを抱いたことがなくはない気がするんです。
あんまりよく覚えていないけれど、なくはない気がするんです。
子供が自立するときに一番理不尽な気持ちになったとするとこれだと思うんですね。
何もかも自分のためにやってくれているこいつがダメだと。
気に入らないっていう話。
これは十分やってくれないからじゃないんですよ。
十分やってくれないからならいいわけですよ。
もっとちゃんとやってよっていう。
それはわがままかもしれないけど正気じゃないですか。
十分やってくれてるから嫌だっていうことになったらどうしようもなくなりますよね。
狂気ですよね。
これがでも起こるんですよ。
しばしば心が不安定だって言われてる人は心が不安定だからこうなるというよりは
こうなることが心が不安定だって言うんだと思うんですね。
外に向かってどんどんいろいろなことができる。
こういうとても頼りになる人が自分の周りにいるのがとても許せないってことはあり得るんですよ。
小説とかにはしょっちゅう出てくるテーマではあります。
この人はあまりにも良すぎて許せない。
殺意を抱くぐらいな三島由紀夫ぐらいになってくるそういう話になってくるんですけども。
片目から見ると変ですよ。
でもこれはリアルにはいろんなところでいろんな人が直面する問題なんですね。
嫉妬ではないんですよ。
嫉妬は三者関係だから
例えばさっき私が藤井聡太さんを羨むみたいな話したとき
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将棋っていうテーマが設定されるじゃないですか。
ということは勝ち負けがそこに発生しますよね。
要は自分が勝てるようになりたいってことじゃないですか。
嫉妬は。
ところが戦法は違う。
二者関係なんですよ。
自分対相手であり相手が良いからぶち壊したいという
これはもう相手に取って帰りたいとか
何かで勝ちたいということではないんですよ。
もう良いから壊したいんですよね。
良いものは破壊にするしかない。
多分それは自分の価値というものをその対比によって
貶められているような気がするから。
もともと帽子が一体だったときには上下なんかなかったのに
ここに不意に現れる上下に極めて強い不快感と恐怖を覚えるから
これがだからさっきも言った通り
赤ちゃんだとまずそうはならないんですよ。実際には。
でもなる子はいるっていう話がやっぱりあるんですよね。
ただこれが長寿でくれば当然あるし
大人になれば一層あります。
つまり例えばグッドワイブスでも
タスクシュートだってあったと思うんですよね。
僕はそういう批判を見たことがあるような気がするんですよ。
タスクシュートだけで
タスクシュートやってる人だけが時間管理がうまくいってるわけじゃないんだから
この非難は嫉妬ではないと思うんですね。
タスクシュートやってる人だけが時間管理がうまくできてるわけじゃないんだからみたいな
非難って僕何回か見たことがある記憶があるんですけれども
当時は何という意味の分かりにくい批判だと
別にタスクシュートのことなんて気にしなきゃいいじゃないかと思ったんだけど
そうではないんですよ。
良いから壊したいっていうのはあるんですね。
こいつらだけがうまくいっていく。
しかも自分はタスクシュートをやればうまくいくって言うんだったら
それをすればいいんだけれども
お金が欲しいとかだったらしょうがないですけど
だいたいそうじゃないですよ。
うまくいくものがこの世に存在してほしくないという
意識ってあり得るんですね。
タスクシューターはいい気になっているみたいな気持ちになるんですよね。
他の方法でうまくいかせてやるみたいな
これは嫉妬が入ってきてますけれども
他の方法でうまくいかせてやる必要って別にないじゃないですか。
大橋さんがどんどんでかくなっていくのが許せないとかもあるのかもしれないけれども
だから嫉妬も混ざってるんですけどね。
戦法としては完全には分けられませんが
特に我々はもう三者関係以上の世界にいますから
嫉妬と戦法は完全に分けられないけれど
この話はすごく戦法感が強いんですよ。
タスクシュートでうまくいく連中全員許せないみたいな
もうちょっと言うとですね
そもそも時間のやりくりがうまくいっている奴ら
みんなダメだみたいな
うまくいかない世界に世界であるべきだみたいな
これってこうやって説明するとわけわかんない感じがしますよね。
これってこうやって説明するとわけわかんない感じがしますが
戦法と嫉妬が入り乱れてくると
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こういう心理は決してそうろしぎなものではないです。
おそらくはですね
環境としての母親
つまりこの世の世界全部ですよ
に上手に甘えられないという時に
だんだんフラストレーションがたまってきますよね。
要するにこの世に生きていると
生きていたいわけだけど
生きていたいこの世の中じゃないですか。
生きていたいというのはこの世の中に生きていたいということで
この世の中がしかし気に食わない
これは多々あるじゃないですか。
普通にこの世に生きていたいんですよ。我々は。
なぜならば殺すぞって言われると恐れるんだから
やっぱりこの世にいたいわけですよね。
でもこの世にいるということは
朝っ端から津波は来るわ
オウムクロンは流行るわ
そこに満員電車に乗って行くわ
上司はパンハラだわという世界じゃないですか。
なんでこんな世界がいいんだってことになるじゃないですか。
そうするとここですっごくアンビバレントで
葛藤が強い分裂した状態に置かれるわけですよね。
この世にはすごく痛いけど
この世は大嫌いだという
これはちょっとヒステリーっぽいですけど
そういう気持ちになるわけです。
そういう時にみんなでそうは言っても
このしょうがない葛藤を我慢して
こんなに生きにくいところでも
生きることが大好きだから
必死になって我慢して生きているのに
なんか上手くやってる奴がいると
許しがたい
だから上手くいっている奴らは
みんなこの同じ苦しみに
引きずり戻さなければならないと
だから一番良くないというか
一番腹が立つのが洗脳なんですよ。
洗脳されてハッピーになっているように
自分を騙せている奴は一番ダメなんですよね。
この現実のリアルな苦しみに
目覚めさせ
お前もちゃんと自分の苦しみと
みじめさを自覚しろって言ってるわけですね。
本当はこの世の中は
みんな苦しんでみじめな思いをして生きている
なんとか生きているところなのであって
だけども死ぬのは嫌だから生きているのであって
お前もそういう気持ちになれってことなんですよ。
洗脳ですね。
赤ちゃんも
赤ちゃんも急に環境としての母親だったはずが
ただの一個の肉体としての母親が登場し
自分もそうだということに気づいて
どっちが先だというのが
ラカンですごい話題になるんですけど
どっちが先かは僕にはよく分からないなと思うんですが
とにかくそういう一個の肉体同士だということになって
みじめになったわけです。
だからみんなをみじめにしたいわけですよ。
自分だけみじめで
自分だけみじめで
お母さんもどんどんうまくやっていると
その方がまさにそういうふうに見られるんですね。
身内の自分からすれば
どんどんグッドバイブスとかでうまくいって
人からの依頼も受けて危機としてやっている
30:00
そういうふうにして
勝手にパラダイスに行き始めるというのは許せないと
これは私たちにある感覚なんだと思います。
単純に言って
親習になってしまうということですね。
親習という言葉は本当にいい言葉なんですけどわけわかんないですね。
親習になってしまう。
つまりインピンジメントなんですよ。
環境であったはずのところから針が刺さってくる。
非常に嫌なわけですね。
普通の子どもが一番親習を経験するのは
親父の説教でしょうけどね。
みんな仲良くしていると思ったのに
今度くだらない説教を始める。
まさに親習なんですが
そんなにわかりやすい親習ばかりじゃないですからね。
たぶん赤ちゃんが最初に経験する親習なんてのは
やってる方もわかんないし
やられてる方もよくわかってない。
やられてる方がわかるはずがないですよね。
親習なんて言葉は私は今でもかける気がしないですから
それを赤ちゃんが理解できるはずはないんだけど
経験はしますよね。
やっぱり人間は環境そのものではないので
母親といえどもですね。
母親か環境そのものであったのは
自分がこのお腹の中にいた時だけですから
さすがにその時に親習を食らうことはないと思うんですよ。
それだってでもお母さんが
なんか超ひどい目にあってる時
自分も巻き添え食ってた。
これは親習ですよね。
これに相当するものなんですね。
心の中においては。
もちろん生まれてきた後の話ですけどね。
そういう意味で
やっぱりこれ
専門されて親習だって言われるのは
本当に言われてる側が理不尽だと感じるんですよ。
役立たずだと言われるのが
なぜ攻撃されたと響くのかというと
これが非常に理不尽に感じられるから。
だって私だってタスクシュートで
うまくタスクシュートで時間管理できてるぜと思ってる時に
タスクシュートで時間管理
タスクシューターだけが時間管理うまくいってるわけじゃないんですからねって
横から厳しく言われたら
ものすごく理不尽な感じがするじゃないですか。
だから何ですかって言いたくなるじゃないですか。
これが親習なんですね。
世の中に私は甘えていていいはずだと
少なくともこのぐらいは。
ところがそれすらダメだって言われた時に
非常に納得のいかないものを覚えてしまうわけです。
あなたもタスクシュートやったらいいじゃないですかとか
そんなことを気にしなければいいじゃないですかとか
私がうまくいっていようとうまくいってないと
あんた関係ないでしょって
全部反撃になってしまうんですよ。
グッドバイフス的に言っても。
怖いから攻撃を相手に向けて
逆転させたということになってしまう。
つまりここで例の私が言うところなんですけど
甘えを受け止めることの理不尽さというものを
人は実感するわけじゃないですか。
なぜこいつを私が甘えさせなければならないのかと。
それは私が今まで環境に甘えていたから
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環境側として見なされた時には
やっぱり母親役を勝手に出るより他
多分この事態を最も理想的に収める方法はないからなんだと思いますね。
思うんだけれども
さすがにその時はそうは感じないから
イラッとするとそういうようなことになっちゃうわけです。
役に立たないと言われれば
そういうことを感じるということですよね。
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