2022-07-29 42:12

【639GMV】自分だけのために何かを続けるのはなかなか難しい

ノープランは冗談ではなく
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今週は、週5回できた気がしますね。
だんだん、夏休みリズムに乗れてきた感じがあります。
たぶん、
すみません、ちょっと頭を閉めますね。
たぶんですね、部活が入るんですよね。
うちの子の。
そのリズムですごい違うんで、朝の時間が狂うんだけど、
よくよく考えてみると、僕は朝も目覚ましとかかけないんで、夏休みになると。
いつまでも寝てていいモードにしているつもりなんですけれども、
ゴミを出さなきゃならないから、結局8時より前には起きないとならないんで、
ゆっくりなんだけど、大したことはないという。
これが、たぶんこのグッドモーニング、グッドモーニングなんで一応、
GMV撮る、ポッドキャスト撮るのに一つのリズムになっているのはありますね。
もっと後で撮ってもいいと思うんですけれども、
あんまりお昼になるとみんな起きているわけだし、撮りにくいんですよね。
この辺難しいところが、人に向かって喋っているなら、人に聞かれてもまあまあいいんですけど、
自分しか喋っていないのを人に聞かれるというのは、
これは習慣の問題もあると思うんですけどね、
今のところはちょっと難しいんですね、私には。
ということで、ギリギリのラインが今かなという感じでやっています。
それで今日はですね、しかも19時から和田実さんという方と、
桃加古さんという方とポッドキャストを撮る予定になっておりますので、
できれば生でズーム配信しちゃおうかなと思っています。
ちょっと待って、ポッドキャストだからズーム配信っておかしい気もするんですよね。
載せることはできたと思うんだけど、
直接これで喋ったやつを撮るっていうのがいいのかなというふうに思いますね。
なので和田さんと19時からやる予定です。
予定なんで絶対できるぞというわけじゃないと思うんですけど、
おそらく彼と私の性格から言って、
スポかすことはないだろうお互いくらいな感じがします。
というわけで、よろしければ聞いてください。
なんとなく割と面白くなるんじゃないかなというふうな予感がしているので、
面白いというのは人それぞれですけどね。
はい、えーとですね。
はいっていう風に切るっていうのも、
プロがやるとうまくいくんだけど、
僕がやってもいまいちうまくいってないなって感じがしますね。
03:04
こういう能力って私あんまりある気がしないんですよ。
ただ喋ることはできるけど、
何ですかね、作ったように喋るのが自然にできるっていうのかな。
ああいうのってのはまた別にいるなっていう、
僕にはもういらないスキルかもしれませんが、
身につける系のものだなって感じがしていますね。
この話と関係があるような内容なのですが、
あのですね、第二領域か、
この言葉が上がってくるのは多分100日チャレンジというのを
いま一生懸命やっているからなんですが、
藤井松崎さんとタスクシュードクラウドを使っている方には漏れなく、
参加権利がついてくる、
まあ言ってみればオプションのコミュニティですね、
オンライン、これが100日やるから100日チャレンジと、
タスクシュードに挫折した方が再度チャレンジしましょうという
趣旨としては非常に単純なものです。
で、この挫折っていうのはね、
この言葉を使わないとやっぱり伝わりにくいから使っちゃってますけどね、
Jさんも私も、本当はツールに挫折とか、
時間術に挫折っていうのも変なもんだなとは思うんですけれども、
挫折ある意味してるわけですからしかし、
一つですね、乗ってみてほしいっていうのをちょっと、
これ100日チャレンジ参加してる方のうち、
マジョリティじゃないですけどこれ聞いてくださってる方もいるってことを
私は知ってるので喋って言うんですけど、
でもこのポッドキャスト一般向けです。
つまり第二領域という話には私は無理があると思ってます。
大事なのは、これは多分これを聞いてる人はみんな
またかよぐらいな感じで耳たこだと思うんですよね。
そうじゃなくて、私はこれを冗談で言ってるわけじゃないということの方を
訴えたいわけですよ。
別に第二領域をやろうとやるまいと、そんなことはいいと思うんですね。
ただ、私はそれは無理だと思う上にですね、
やんなくても何にも困ったことはないし、
むしろやらない方がいいことがあるんじゃないかっていう風に言ってるのは
これは冗談で言ってるわけじゃないんですよ。
挫折した方を励ますために言ってるとかでもないんですよ。
私のタスクシュートの中に第二領域はないんですよ。
ここが僕が言いたいことなんですね。
本当はあるんでしょうっていうニュアンスを最近感じるんですよ。
ノープランは受け入れがたいっていう話は、
06:00
まだ全然いいんですよ、私にしてみれば。
受け入れがたいと思いますからね。
ところがノープランは受け入れがたいから、きっと佐々木は冗談言ってんだろうと。
私がシュッシュ冗談言うのはいけないんでしょうけど、
冗談言ってんだろうと。
こっちの方がですね、僕にとっては問題だなと思うんですね。
つまり、密かにお前のタスクシュートには第二領域もあって、
例えば100日チャレンジのキックオフだって、
実は粛々と準備してたんでしょうっていうことになっちゃうじゃないですか。
冗談だってことは。
そうじゃないんですよ。
ここであまり強く言うと角が立つと思うから、
だからそうなんでね、冗談ってことになっちゃうんですけどね。
フロイトが言った通りなんですよ。
言い間違いとか冗談というのは、
言えないことがあるんで、
それが抑圧されてしまうとむしろ大事なところでパッと出てくるって、
あれはですね、全部が全部そうだって言わんばかりなのが
フロイトの受け入れがたかったところだと思うんですけどね。
あれはでも限定された条件ではし、割とよく出てくることだったんだから、
多分相当言えることだと思うんですよね。
あの、なんていうのかな、
就任おめでとうございますっていうべきところで、
退任おめでとうございますと言っちゃうとかね、
お前その人嫌いなんでしょっていう話ですよ。
こういう話、ドイツ語ではなんかこの、
しかもこの部分の言い間違いがいかにも起こりそうなくらい
単語が似てたりするらしい、そういう話がよく出てくるんですけど、
本当に失策行為って言うんですね。
私はだからタスクがタスクじゃない、
ライフハックとか仕事術とかと精神分析は
大いに関係があると思うんですね。
あの、失策じゃないですか、ある意味。
それをしたくないっていうのがある意味ライフハックじゃないですか。
だからミスをしないとか忘れ物をしないとか、
全部そのことと精神分析には関係があると思うんですね。
まあ、それは今日はいいんだけど、
第二領域、つまり第二領域というのは
私の中には無くても構わないということと、
どうせ入れないということがあるんです。
第一領域しかできる暇がないんですよ。
で、問題なのはこうなんですよ。
それでは人生はダメになるはず。
確信がどのくらい強いかなんですね。
だからもし私の人生がダメになっていないように見える人には
絶対そんなことはあるはずがないということになっちゃうんですよ。
だから第二領域が無くてもいいよって言うために
僕が冗談を言ってるか、何かを励ましてるか、
本当あるのに無いふりをしているっていう、
そういうふうに見えることがあるんですね。
そんなことはないんですよ。
ノープランも第二領域も僕から見ると同じなんですけど、
つまりプランと第二領域は同じなんですけどね。
一つ乗ってもいいんじゃないかってまず言いたいわけです。
100日ぐらい。
09:00
だって、立てつけですけどあくまでも、
これは一応タスクシュートクラウドに何回か乗ってもいいんじゃないかって
第二領域からトップダウンで落とし込むとか、
そういった言い回しで代表される方法論で
挫折したって話から始まったわけじゃないですか。
だから全く同じことをもう一回やりましょうっていうのは
僕はおいしくないと思うんですね。
私の方法論が受け入れがたいというのは
ある意味いいことだと思うんですよ。
受け入れがたいというのは、
なかなか腹落ちしませんね。
それはいいことなんですよ。
もやっとします。それもいいことなんですよ。
いや、すごい腹落ちするし、全然スッキリしましたって言うんだと
また挫折する恐れがあるじゃないですか。
これ、おかしなことは言ってないと僕は思いますよ。
私、現にスキーが一番、僕はこういう時は思い浮かぶんだけど、
スキーでですね、
スキーでね、
いわゆるウェーデルンっていう、
ウェーデルンっていうのもちょっと古臭い感じがするんだけど、
ウェーデルン、何でしょうかね、モーグルスキーみたいに
ポンポンポンポンってやるやつ、
あれできない時に全く同じように滑ろうとしていたら
永遠にできないわけですね。
だからいろんなことを試すんですよ、
ああいうのの練習する時って。
そういうのを練習する時って、
そういうのを練習する時って、
だからいろんなことを試すんですよ、
ああいうのの練習する時って。
つまり、絶対受け入れがたいようなことをやってみないと
滑れるようになったらなんもないんですよね、ある意味では。
いくら練習しても。
なんかね、それと似てると思うんですよ。
例えば、コブの斜面で最初の人はみんなやるんだけど、
ほんのちょっと、いわゆる暴言みたいにカノジにしていたら
完全にスキーを片方持ってかれるから無理なんですけど、
ほんのちょっと開いて、後ろを開き気味にして、
谷間を滑るっていうことです。
絶対失敗するんですよ、それは。
その話は詳しくしませんけど、
それをやれば必ず片方、
どっちか足の力が足りない方が流れていって
壊滅的に転ぶはずなんですよね。
私はそれをしょっちゅうやってるわけです。
だからこの方法を何度試しても無駄なわけですね。
こういう風にやって上手くいかなかったことを
もう一回やるというのは、
よっぽどその方法が絶対的に正しければいいんでしょうけど、
方法なんていうのは、
かなりよく練られているケースもあるにしても、
ある種の思い込みの産物なので、
前にうまくいかなかったのを何度も何度もやるっていうのはですね、
いわゆるシュハリみたいに何度も何度もやるのは、
よっぽど伝統的なケースに限られると私は思います。
これが、なんていうんですかね、
バイオリンの練習とか、
それこそ尺八とか言うんだったら、
多分どんなにうまくいかなくても、
偉い人の言う通りやるべきなんでしょうけど、
ことタスクシュートとなってくるとですね、
12:01
そうじゃないと思うんですよね。
だから、
腹落ちしなくてもやっとしてすっきりしなくて、
到底受け入れられないのは試す価値あると思いますね。
そうしないと、
多分同じことが起こる気がするんですよ。
で、
二つの相入れない方法を、
いろんな人が喋るのはいかがなものかって考え方もあると思うんですけど、
でもそれはやっぱりさっき言ったように、
尺八じゃないってことが大事なんですよね。
尺八じゃないから、
まだそんなにパチッと確立していないし、
歴史は浅いじゃないですか。
ものでですね、
そんなにこうある人の方法を、
絶対的に固着するっていうのは、
あんまり上手くないなって感じが私はするわけです。
好きなんて結構カチッとしてそうなもんじゃないですか。
でも、好きは怖いってことがあるんですけどね。
だから、
前の自分の方法に固執しちゃうんだけれども、
まずそれだと何度も何度もただ転ぶり続ける羽目になっちゃうんですよ。
だから、
これは尺八チャレンジで喋ればいいんですけど、
これは百日チャレンジで喋ればいいことなんですけどね。
そういったわけで、
腹落ちしなくても、
ちょっと百日ぐらいはいいじゃないですか。
百日が長いなら、
十日とかでもいいと思うんですよね。
私が思うに、
私の言ってることが冗談に聞こえるぐらいな人にしてみると、
一日でもそんなことはダメだっていう感じがするんですよ。
でも、だからといって、
毎日絶対第二領域主義で頑張ってみても、
第二領域のことは一つもできませんでした。
って話になっているじゃないですか。
しばしば。
それはそれで結構、
つらいと思うんですよね。
転びまくってるモーグルみたいなもんで、
あれつらいですからね。
で、えっとですね。
とはいえ、
ふたさんがよく言うっていうふうに、
ふたさんという人が先日言ってたんですけど、
とはいえ、
全然納得いかないだけではやりにくいでしょうから、
なんでノープランで、
なんで第二領域なのか、
第一領域じゃないのかっていうか、
第一領域しかできないのかって話。
それで構わないのかという話を、
なんともしてるんですけども、
もう一回しますが、
先日ちょっと思い出したんですね。
思いついたっていうよりは思い出したんですが、
多くの方が第二って言ってる時に、
ピックアップするもののまず、
大きな問題としてですね、
自分に向かいすぎるっていうやつがあるんですね。
それは自分のためにやっていることで、
しかも翌日の影響はほとんどないんです。
私これ何度も100日チャレンジの中で
コメントとして出してるんですけれども、
まさに今言った通りなんですよ。
で、例えば典型的なのが掃除ですね。
掃除って言っても掃除と整理と
いろいろあるんだろうと思うんですけど、
でも掃除ですよ。
15:00
まずそれ自分のためにやることですよね。
そして、
別にそれがいけないんですけど、
いけないって話ではないんですよ。
これはグッドバイブスの話とか
倉園さんの話してるわけではないので、
それでいいですが、
自分のためにやるのはいいんですが、
翌日それをやらなくても
深刻な影響はないでしょう。
そこが、この二つが揃っちゃうと、
まあ今日はしないですよ。
だって掃除っていうのをしなくても
怒る人もいないでしょう。
掃除っていうのをしても
自分以外に喜ぶ人もいないわけですよね。
しかもですよ、
ほとんど今日と変わらないわけじゃないですか。
光景として。
しないんですよね。
だって今日のままでも生活できてるわけだから。
忙しくて今までずっとできなかったそれが、
この条件が揃っていて、
僕はする日が早々来るとは思えない。
これがまず大きな問題ですね。
で、何領域にこの品物ばかりって人がいるんですよ。
これは確認してみてほしいんですよね。
この掃除なり、筋トレなり、
なんとかノートをつけるなり、
あと何があるかな、典型的に。
英語の勉強とかがありますよね。
あと、エヴァノートの整理みたいな、
それに付随するもの全部。
ログシークを学ぶとかそういうやつも全部。
確認してみてほしいんですよ。
それは自分以外の誰かが喜んだり、
やらないことによって悲しんだり、
腹を立てたりするかどうか。
自分、他人だってことですよ。
家族でも構いませんよ。
そして、今日やらないということによって、
明日致命的なダメージを自分が受けるかどうか。
もし自分にしかやらないってことで、
自分だけが喜ぶ人で、
自分だけが残念だと思う人だった場合ですね。
この2つが揃っていたら、
多分それは非常に難しい。
今回、百日チャレンジではJさんが
3つだけピックアップしましょうっていう、
非常に刺さっているアドバイスがありましたよね。
3つともこの条件が揃っていると、
百日続けるのは大変だと思います。
私だったら、それが3日続くとは信じられないです。
自分に関してはですね。
で、プラスですね。
ここが大きなカラクエですよ。
でもJさんとかできるじゃんとか、
例えば大橋玲藤さんとかだったら、
毎日掛け帆をきっちり付けてるじゃないですか。
なんで私にはできないって言うんですかっていう話になるんですよ。
理由がこれはあるんです。
この理由はあんまりポッドキャストでしゃべる
グッドバイブスとは関係なかったからかな。
これはですね。
でもグッドバイブスとは関係はあるんですよね。
なぜ、僕も一応掃除とかできますからね。
僕とかがJさんとか大橋さんとかが簡単にやれて、
何なら小丸さんとかね、
そういうのが得意な人がいて、
私にできないと言うのかというとですね。
18:01
非常に簡単な理由があるんですよ。
これを得意だと思えているか、
これは苦手だと思っているか、
その差なんですよ。
しかもそれはですね。
ジャッジする人がいないっていうことがあるんですよ。
これが最初に言った、
自分だけに向かっているかどうかの深く感覚。
代謝の者がいないじゃないですか。
だからジャッジする人もいないんですよ。
ジャッジする人がいないのに
苦手だとか得意だと言うのって
思い込みじゃないですか。
本当に得意か本当に苦手かは
誰にもわからんわけですよ。
絶対そんなことはないと思うんですけど、
実は大橋裕三さんは
家計簿とか全然つけられないかもしれないんですよ。
誰もそんなこと言っても信じないぐらい
彼は得意そうですけれども、
でも実はわかんないじゃないですか。
見たことないんですよね、多分。
家計簿をつけているところ、
つぶさに見たこととかはないと思うんですよ。
ただ得意じゃないと言えないことを言えたり
得意そうだというイメージがあるから
得意だとみんな思っているし
ご本人も得意だと思っていると思うんですね。
ここ大事なんですよ。
多分ですね、第二領域に
終始をきちっとやるって書いている方は
苦手意識があるんですね。
苦手意識がある理由は
親御さんの責任だと僕は思うんだけど
とにかく苦手意識があるわけですよ。
そうすると、つけたとしてもですね、
いや、つける前に
終始をつけるっていう項目を
タスクシュートクラウド中で見た瞬間に
とても嫌な気分になると思うんですね。
やっぱりこれは
倉野さんもよくお話しする話になってますね。
ここで罪悪感という言葉を
倉野さんはよく口にされますよね。
罪悪感とも言えるだろうし
同じことですが、羞恥心かな。
苦手意識でもいいです。
とにかく嫌な気分になって
いるんですよ。
これはどういうことかというと
つけられたらどんなにいいだろうという
気持ちの裏側に来ているわけです。
なんでそんなことになっているかというと
ここでさっき言った私の親御さんが
乗ってきたんですけど
そういうことでケチをつけた人が
親とは限りませんけどいるはずなんですよね。
いたと思うんですよ。
ケチをつけられたということが。
私絵が下手なんですね。
この絵が下手で
何かにつけて幼稚園の先生まで
なんて下手なんだって言わんばかりのこと
事実この通り言われたことも
嫌な気持ちになるわけですよ。
絵を描くということが
私の中ではもうすでに
プレッシャーになっちゃうわけですよね。
絵を機器として描いている人は
自分の絵は上手いと思ってるんですよ。
子供は絶対そうですよね。
それをですね
例えば美術の先生なりが見て
本当にそんなに差があるかといったら
たぶんそんな差はないんだけど
自分の中では
ジャッジでは
絶大な差があるんですよね。
で、この上手いと思っている人たちの
話なんですよ。
第二領域っていうのは
21:01
なんとかノートをつけましょうって言ってるのも
ノートをつけるのが上手だ。
あるいは自分はノートをつけるのが上手いぞ
って思ってるんですよ。
だってそのノートを開発しているぐらいなんですから。
で、それを見て
そうか、なるほどな。
ドライハッカーとかを読んで
朝にこうなんとかノートをつけて
夢を描くと
ノートを買ってくるんだけど
買うときはいいんですけど
ノート綺麗だから
それをつけるときになると
プレッシャーがかかるんですよ。
昔々たぶんですね
なんでそんな汚い字しか書けないのとか
言われたことがあるんですよ。
そのことを思い出さないんだけど
その気持ちは残ってるんで
なんとかノートをつけるって
朝一に書いてあるのを
あさっぱらから実行する気が
全然ならないと思うんですよね。
しかもそれは
誰もしか見ないものなんですよ。
やる前から
嫌な気持ちになっている上に
たぶんうまくいかないだろうな
という予想が立っていて
しかもそれをやるのは
それを見るのは自分だけで
で、書かなくても
誰も本当のところを
なんとも言わないし
気づきもしない。
これはやらないですよ。
一方でこういうノートをつけるのが
上手な人とか
出出とか
そういう人は
これから終始
バッチリ合わせられるわと思って
やってるんですよ。
全然このやる前の
自分に対する期待度が
全く違うんですよね。
しかもそれは
自己肯定感とか言い出すんでしょうけれども
要はこれ
褒められた経験がたぶんあるんですよね。
たったそれだけのことですよ。
本人は特にそれが
難しいことだとは思ってないから
他の人にできないなんて
もちろん自分には
十分上手にやれるし
現にやってみたら
ほら上手くいったじゃんってことになって
とてもスッキリするし
非常に自分の生活の役にも立っているような
感情を抱くことができるんですよね。
これが第二領域が
自分にだけ向かっていても
上手くいく人と
上手くいかない人の間を分けているんだと思うんですね。
それはもう
入り口のところにあるんですよ。
この言葉から連想する行動に
ポジティブな
意識が強いか
ネガティブな意識が強いか
中間ってあんまりないんですよね。
私は実際そうです。
書類整理とか
部屋の掃除とか
今そういうのはほとんど
タスク種とかは思い出していますけど
あったら危機としてやります。
得意ですからね。
上手くいくに決まっていると思っているし
人に見せませんけれども
褒められると信じています。
こういう感覚があるんですよ。
最初から。
それ多分けがされたという
残念な経験が少ないんですよね。
これ絵を描くだったら
一気に重荷になるし
非常に構えてしまうと思いますね。
24:02
こういうことが起きているに違いないと思います。
それが3つの日にあったら
大変ですよね。
これは一種の競争にさらされているわけです。
ジャッジする人いない競争なんですよ。
ここが非常に
割りが
反義だなって思うんですよね。
ジャッジしているのは自分じゃないですか。
人がジャッジするなら
まだ本当はいいんだけど
人には絶対にジャッジさせたくないですよね。
きっと。
苦手意識があるんだから。
結局それは
これはうまくいかないだろうと思っていて
しかも自分も考えず
それをネガティブにジャッジするんですよ。
そういうことをこれからやろうとしている。
それを続けると
自分は生まれ変われるっていう構造って
つまりそれが
自分で
いいとジャッジできるようになったら
自分は幸せになれるって話をしているんで
そしてこれは実は全然
大入域の話ではなくて
メンタルの話以外の
何者でもない感じがするんですね。
ほとんど臨床心理だなって感じが
私はするんです。
だから私はこの
ライフハック系の話って
いくつかはこっちの問題解決が先でしょう
という感じを持って
第2領域に
いくらやったとしても
というかたぶんいくらも
やれないんじゃないかなって思うし
この問題解決しちゃえば
いくらでもやれるようになりますからね
この種のことって。
で、こっから先はもう
割と
グッドバイオスなんですよ。
クラゾーの三竜なんですよね。
つまり
自分に向かうことだけやるのは
よしといた方がいいってことです。
自分でジャッジするやつだけに
しない方がいいと
僕は思うんですよね。
3つあるなら最低1つは
他人を介在させるものを
そこに含ませた方がいいと思います。
そうしないと
今言ったような罠にたぶん
はまってしまうケースが
結構あるんだろうなという風に
思うんですよ。
他人にジャッジされるのが
嫌だというのは当然なんですけれども
仕事って結局他人しか
ジャッジできないじゃないですか。
最終的には他人が
ジャッジするものですよね。
本当はジャッジじゃない方が
いいんだけど
たぶんそういう人にしてみると
ジャッジされるってことは
意識せずにはいられないでしょうから。
そんなに
そんなに厳しくジャッジされて
こなかったものを
一つ折りまぜておいた方が
いいと思いますね。
それは関係ないと思うんですよ。
つまり
他人のためにやることっていうのは
100%絶対計画できないじゃないですか。
これがノープランの
誤答にあると思うんですけど
どんなに計画しようと
どんなに緊急性がなくても
27:01
重要だという理由だけで始めようと
結局緊急かどうかも
重要かどうかも
全部100%自分で決めるわけにはいかないんですよね。
必ず相手が決める部分がある。
ここは計画できないですよね。
相手が決めるんだから。
しかも
受け入れたということは
完全否定されたはずはないんですよね。
このようなことを
自分が
今回のように
特別扱いしたものの中に
入れ込むことができれば
自分を特別扱いするという
意味が
頭では釈然としなくても
実感されるだろうなって思うんですよ。
私はこれがあるべき
あるべきっていうのは
本当はいけないんだけど
ここではあえて言いますが
あるべき母子関係って
ものだと思うんですよね。
つまり結局
トラウマがあるってことは
必然なんですよ。
ある意味では。
お母さんにはお母さんの事情って
絶対あるから。
たとえ私のように
ほぼ問題なく育てられたような
人間にあってもあるにはあるんですよ。
例えばミルクが熱すぎたとか
あるんですよ。しょうがないですよね。
吹きこぼしたミルクを直接与えて
すげえ熱かったと。
それは一つのトラウマになるんですよ。
赤ちゃんとかにはね。
環境は自分都合ではできていない。
ジャッジされるのが嫌って
そういうことですよね。
究極的にはね。
誰だってジャッジされるのは
自分のことを込めて
世の中自分を傷つけに
かかっているんじゃない
っていう体験に
つながればいいと思うんですね。
全部をそうしなくてもいいんですよ。
3つのうち2つは
別にモーニングノートでも
いいんですよ。
1個だけでも他人向けのものが
あったほうが
自分の感覚が
変わり得ると思うんですよね。
最終的に
これでですね。
3日経ったらでもいいし
10日経ったらでもいいですけど
他人絡みのものばかりが
進んでいるっていう状態が
発生した場合に
私はそうなるんじゃないかな
と思ってるんだけど
発生した場合に
こう考えてみてほしいんですよ。
それは他人に自分が
振り回されているからではない
という違う理由があるはずなんですよね。
ここに持ってってほしい
という風に私は思うんですよ。
もうちょっと言うと
例えばこれを聞いていらっしゃるじゃないですか。
あるいはインターネットに
つないでいるじゃないですか。
あるいはもっと簡単に言うと
電気のスイッチひねれば電気点くじゃないですか。
全部これは人が
仕事をしてくれている
その成果を享受しているわけです。
もちろんお金は払ってますけどね。
でも
ジャッジっていうことだけじゃない
30:00
ってことなんですよね。
ジャッジだけが問題になってしまうと
他人につまり
自分が他人のために
貸しづいているからな
なんかこう
召使いか奴隷にさせられることならできるけど
自分のためのことはできないんだ
っていうような感じを抱かれるんだと思うんですよ。
だから
全部が全部
三つとも自分に向けて置かなきゃダメだ
ってむしろ思われているという
そういう風に私は
なんとなく感じているんだけれども
だから一個でも他人の
を含ませておくとですね
意識的には自分のほうが大切で
それでやっていってほしいんですが
結果として
他人に
他人が介在しているもののほうが
進んだという場合ですね。
そこをまた罪悪感で
塗りつぶすとですね
元に戻っちゃうので
そこに罪悪感じゃなかったものが
なんていうんですかね
あるかどうかをよくよく
観察しに行ってもらいたい
って感じなんですね。
何があるかわからないです。
私が事前に言うことはできないんですが
そういう場合
なんかあると思うんですよね。
他人に貸し付く以外の理由が
だって
なんていうのかな
強制的にさせられたわけじゃない話なので
これはどう考えても
第二領域ですよね、一応。
緊急じゃないやつをやったってことになると
他人に
コントロールされたわけじゃない
でも他人のために何かをした
っていう
そういう
部分か
その中にそういう要素が
入ってくるはずなんですよね。
そこを
やってみると
そこを意識してみると
そうするときっとですね
セルフジャッジ
だけのほうが
きついっていう理由が
自分なりに見えてくるという
ふうに思うんですよね。
その他人は
今度は親じゃないんでね
その人その人で分からないんだけれども
大事なのはそこに
いつもいつもやってるような
感じで
つまりセルフジャッジをするときには
いつもこれじゃダメだっていうふうに
自分を責めている感覚とは違う感覚が
そこに芽生えてくるんじゃないかな
っていうふうに
期待しているわけですね、私は。
この感覚が私がノープランで
物事に取り組んでいるときには
常にある
という話をしたかったんですよ。
それは冗談ごとではないんだよ
っていうことなんですよ。
これは全部冗談です
ってことになってしまうと
私は実は全部
自分のためにある時間のほうを
大切にしていて
第二領域ばっかりやっているんだけど
それをひた隠しに隠して
第一ばっかりやってるんですよ
って話になっちゃってるんだけれども
そうじゃないんですよ。
いろんなことはあるにせよ
33:01
ノープランでやっていて
その人と
オンラインではありますが
対面して
その人のためにやると
視聴者の皆さんのためにやると
今回で言えば
百チャレの人たちのために
やっているという感覚の中には
百チャレの人たちに
かしずいている感じはしないんですよ
私は。
例えばJさんが主催したものだから
という話で
Jさんの家来みたいになっていて
あるいは奴隷みたいになっていて
言われるから
本当に恐ろしくて
これをやらされていて
本当は心の中では
筋トレがしたいんだけど
百チャレのコメント
一生懸命つけさせられているんですよ
っていう風にも見えるかもしれない
あるいは
よほどギャラがいいんだろう
って思われるのかもしれません
先日タスク管理の本を出した時にも
面白いなと思った
コメントではないんだな
あれは
直接コメントいただいたわけではないんだけど
そういう風にも見えるんだろうな
というこの話も
初めてされたわけではなくて
何度も聞いているんですよ
私がタスク
佐々木がタスク管理みたいな本を出して
こんな面倒そうな
タスクシュートみたいな
たぶん1日に5時間ぐらい
タスク管理やっているんだろうぐらい
そういう風に
Amazonレビューでももらったことがあるんですね
こんなことをやっていられるのは
一理はありますよ
一理は
つまり
世の人々は
タスク管理のために
タスク管理やっているわけではないんだから
こんなにタスク管理に
時間やエネルギーを
費やせないんだよってことが
本当はそれだけのことなんですけど
でも要は
人のためにやっているというか
仕事をしているんじゃなくて
要するに
全部自己完結的なんでしょう
でも私は
タスクシュートをいじっているのは
せいぜい10分ぐらいなんですけどね
でもここがあれですよ
信じてもらえないってやつなんですよ
佐々木は冗談言って
ひた隠しに隠しているけど
実は10時間ぐらいやっているに違いないと
そういうことだと思うんですよね
それで
これはどういう話かというと
つまり本を書いて
整形を立てるために
タスク管理をやっているのだって
本をやっていないはずだ
っていう意味なんですよ
これはきっと
そういうふうにも
思える部分はあるんだと思います
本を書いているし
印税ももらってますからね
でも
僕が正しくはないのかもしれないけど
僕はですね
1日どんな人でも
30分かけずに
セミがうるさい
30分かけずに
タスクシュートは使えるはずだし
36:00
しかも
それは30分かける以上の
価値があると思うんですよ
ダメだなセミ
ここから動けないんですよね私ね
セミで分からなくなってきたな
だから
100チャレでもですね
閉めちゃいましたけどね
100チャレでもですね
対面して初めて
見えてくる
皆さんの顔みたいなのがあってですね
なんて言うんですかね
ギャラだけじゃやれないってことなんですね
ああいうことって
コメントつけるにも
何もするにも
ギャラだけでは
多分続かないと思うんです
最初に言った通りなんですよ
自分のためにだけ向いていて
ギャラって自分のためですからね
かつコメントをつけなくったって
翌日みんなが大会したり
しないじゃないですか
そうですよね
つまり最初に言った通りなんですよ
緊急ではないが
重要なことという位置づけとして
自分だけにベクトルが向いていて
しかも翌日
だって翌日コメントつければ
いいじゃないですか
翌日には
直接重大な被害が与えられない
という条件が揃ってしまったら
それはやれなくなるはずです
皆さんそれを少なくとも
何パーセントの方は間違いなく
これを体験しているから
分かると思うんですよね
つまりこのコメントは
100%ではないけれども
他人にベクトルが向かっている上に
無理やりやらされているわけでは
ないんですよ
こういうことをですね
お伝えしたいわけですよね
ベクトルが
自分のために
自分のために
良い話を伝えたいわけですよね
良い話を伝えたいわけじゃない
ということです
構造上
人の目にはですよ
むしろ
他人の動機なんていうものは
エゴイスティックなものに
見えるんだと思うんです
それはそれでいいんですよ
本当に
他人が見れば
タスク管理なんていうのは
つまらんものであって
タスク管理の本が書けるという
ことは知れないんですよ
他人が見れば
だけれども
やっぱり人にはですね
これは一つ意識って
言うべきなんでしょうね
他人のために動くということは
やっぱり自分が
相当程度求めている部分にある
ここを信じられないと
お金のため以外にやることは
全部無理やりやるか
無理やりやらされるか
嘘をついているって話
思うんですよね
39:02
計画ってのは
一見すごく他人のためっぽく
見えるんだと思うんです
だからノープランというのは
受け入れられないのかも
しれないんだけれども
計画ってのはしかし
100日チャレンジに来る人は
こういう人に違いないっていう風な
想定をまずしちゃうんですよね
人間ですから
むしろエゴイスティックであれば
あるほどその来る人たちは
都合のいい人たちばっかり
イメージするようになるじゃないですか
結局そこで立てられる計画なり
事前準備といったものは
きっとこういう人が来るに違いない
俺のお話をすごく喜んで
聞いてくれる人ばっかりに違いない
なんなら私が
グッドバイブス的な話も含めて
それによってすごく
新しい何かに目覚めて
どんどんどんどん人が
入ってきてくれるに違いないとか
都合のいいこと考えるなら
こういう風になるじゃないですか
そういう想定の下で
スライドを作れば
ものすごく僕のエゴを丸出しなものが
出来上がるはずなんですよね
これをやりたくないんですよ
実際はそうはならないはずだから
実際はそうはならなくったって
リアルな人が来てくれないと
来るじゃないですか結局
リアルじゃない人が来るってことは
つまりビジネスになってない
ってことになっちゃうんで
だから人のためなんですよ
何らかの理由で
そういう風に思える部分が
全くない活動っていうのは
出来ないんですよ要するに
多分だから事前準備を
すごいするっていうのは
大変なことじゃないですか
この大変さが何かもう
他人のためにやってるような
錯覚を覚えさせるんでしょうねきっとね
そうではないんですよ
大変さが他人のために
やってるような錯覚っていうのは
まさにタスクシュートに
10時間ぐらいかけているんだろう
っていうのと同じなんですよ
あれ本当は大変なんでしょう
っていう話をしてるわけじゃないですか
そうじゃないんですよ
あれは簡単なんです
簡単だけれども
Jさんも言ってましたよね
簡単ならやれるってもんじゃないんですよ
意味がないとやれないんですよね
本一冊丸々書くなんていうのは
タスクシュートやってれば
簡単なもんだと思われるかもしれないけど
そうは言っても半年がかかりますからね
楽じゃないんですよ全然
割も決して良くはないです
そういう考え方をしてしまえばね
今だったらば書摺の印税で
60万ちょいです
時によっては40万ちょい
6ヶ月で40万だったら
皆さんやらないでしょう
本が書けることが嬉しいってことを除くと
多分僕はお金のためだけなら
これはやらないと思うんですよね
月7万のバイトは他にいっぱいあるじゃないですか
多くったって月10万だと思っていただいて
いいぐらいなわけですよ
しかも絶対出るとは限らない
こういうことをいろいろ考えてみるとですね
やっぱり自分のためだけに
42:00
やってるのではないから
続けられるんですよねむしろ
42:12

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