この歴史では、一貫して何が起こっていたのかについても、見てみましょう!男脳・女脳の歴史の続きです!




【今回の内容】

ブライヤーの提言/テストで証明しよう/適者生存思考潮流の最中の女性(社会ダーウィニズム)/大切なこと




【参考文献】

アンジェラ・サイニー『科学の女性差別とたたかう 脳科学から人類の進化史まで』東郷えりか訳、作品社、2019年

サイモン・ルベイ『脳が決める男と女 性の起源とジェンダー・アイデンティティ』新井康允訳、文光堂、2000年

ダフナ・ジョエルほか『ジェンダーと脳』鍛原多恵子訳、紀伊国屋書店、2021年

ポーラ・J・カプランほか『認知や行動に性差はあるのか』森永康子訳、北大路書房、2010年

リーズ・エリオット『女の子脳 男の子脳 神経科学から見る子供の育て方』竹田円訳、NHK出版、2010年 新井康允『男脳と女脳 こんなに違う』河出書房、1997年

竹内謙彰「空間能力の性差は生得的か?」『心理科学』第16巻第2号(1994)

田中冨久子『脳の進化学 男女の脳はなぜ違うのか』中公新書ラクレ、2004年




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■三嬉雪蘭(STUDIO Kitsch)

武蔵大学人文学部ヨーロッパ史専攻。好きな科目は世界史。

実は専門はジェンダー研究ではないのだが、好きすぎるがあまりラジオを始めてしまった。




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00:01
おはようございます、STUDIO Kitschの三木裕蘭です。
前回からの続きでございます。
前回はですね、男の女の歴史を途中まで見ていったのかな。
脳の比較研究が始まったよ、ぐらいでのところでしたね。
で、前回からの続きでございます。
前回はですね、男の女の歴史を途中まで見ていったのかな。
脳の比較研究が始まったよ、ぐらいでのところでしたね。
で、なんか赤髄の変な奴の話しましたね。
赤髄の変な話とか、まあまあまあ。
要するに、脳の比較研究が始まったとしても、
男の女の、男脳の方が優れてるよね、みたいな言い方をし始める。
てか、し出す。そんな奴らがいたという歴史でございました。
ということで、今回はですね、時代がですね、20世紀になります。
20世紀、20世紀のもう終わりぐらいですね。
当時の科学の権威であった学術雑誌、サイエンスですね。
今もありますね。
このサイエンスに掲載された論文に意義を唱えた一人の科学者。
これを見ていきたいと思います。
だから当時のですね、間違ってるじゃないかっていう風に言った科学者がいたということですね。
で、その科学者の名前はルース・ブライアーという人です。
ルース・ブライアーの言ったことにはですね、当時の1987年、
ブライアーは全米科学振興協会で、学術雑誌サイエンスに掲載された
デ・ラコステ・ウタムシンらの研究に大きな欠陥を見つけたといって報告を行いました。
デ・ラコステ・ウタムシンっていう人の研究だそうですね。
なんかファッションデザイナーみたいな名前しますよね。
多分晩餐館とかの雑誌に載ってそう。勝手な偏見です。
この研究の内容、ウタムシンらの研究の内容っていうのは、
人間の両方の半球を繋ぐ部分、能量って言ったりするんですけど、
この能量が男性より女性の方が大きい。
で、この能量が女性の方が大きいから空間能力が劣っているんだっていうことを示唆する。
そんな内容の研究でした。
で、ブライアーはどのように言ったかというと、
どのように意義を申し立てたかというと、
この研究はですね、男性9人、女性5人の能しか見ていない。
さらにブライアー自身が自分でですね、この能量っていうのの精査を調べてみたんですけど、
実際にはブライアー自身が調べたら、精査を見つけることができなかったんですよね。
で、この報告の発表の際も、能量の写真を男女で比較するスライドを作って見してみたんですけど、
やっぱりそこのスライドで見ても、男女の能量に差があるかと言われたら、そうは見えなかったんですよね。
03:07
つまり、このデ・ラコステ・ウタムシンラの研究というのは、
いわゆる再現性のない研究だったというやつです。
ほら、例えばあるじゃないですか。
雪にいい言葉を吹きかけると、雪が綺麗な結晶になって、
雪に悪口を言い続けると、雪が汚い結晶になり上がりますよ、みたいな、
ああいう衛星科学ですね。
そういう研究だったということです。
この異議をサイエンスに投稿しようとしたんですけど、
サイエンスからは政治的すぎるという理由で却下されたんですよ。
このブライアーの提言、異議というのは、最近になっては支持されるようになってきていますが、
当時は全く支持されていなくて、
というのも、現代では男女の差があまりないような認識を持っている人が多いし、
そういうバイアスを抱いている人がほとんどじゃないかなと思うんですけど、
だからこういうブライアーの異議も受け入れられるんだけれども、
当時の社会では、ブライアーの言っていることと俗世の世論、俗論みたいなものが
あまりにも違いすぎる。やっぱり男性と女性は違うよみたいな認識が一般理解だったので、当時は。
だから許容されることはなかったんだろうということですね。
つまりですね、ブライアーの提言が世間の認識と同じタイプになったから今は支持されているだけなんだ。
というふうにも言うことができるし、
当時はブライアーの提言と世間の認識が同じタイプではなかった。
っていうこの構造によって彼女の異議は認められなかっただけです。
だから私たちが今このブライアーの言っていることが比較的正しいよねって思ったり、
そう発言したりするのも結局は時代がそういう時代に生きているだけだからというふうにも思えるわけです。
悲しいけどね。
私たちが何か千里眼のようなものを使って社会を見て、
そこにあるこのラコステ・ウタム神羅の研究とか、ブライアーの提言を見て、
こいつの方が正しい、こいつは間違ってるねみたいな言ってるのも、
それは私たちがこの現代に生きているだけだからなのかもしれない。
本当の真実は見えていないのかもしれないというふうにも捉えることができるということです。
ここでは何が起こっていたのかというと、
19世紀だろうが20世紀だろうが、現代だろうが、いわゆる権力を持った人を支持する、
そういった研究っていうのは正当なものとして受け入れられやすく、
06:01
これらの信念に対して疑問をもたらす可能性がある研究っていうのは、
政治的な目的に動機づけられているとかいう理由で知り遂げられてしまうということですね。
とはいえ現状を肯定するような研究にも政治的な理由があるんじゃないかと言われたら、
そうも捉えることができるわけで、ここはあまり認識されないところですよね。
政治や科学の現場を管理している人にとっては、
そういった歌無心とかの研究によって、
自分たちがすでに信じているものが真実だと確証されたに感じるにすぎないんです。
だから何も疑問に思うこともなく、それ以外のものを、
例えばそれこそブライアンの提言とかを跳ねのけたくなるのも当たり前普通の感覚だということですね。
ここで僕が言いたいのは、だから科学者ってダメだよねとか、
権力者ってダメだよねっていうことを言っているわけでもなくて、
どうしてもこういう構造ができてしまうということですね。
こういうその当時権力がある人を支持するような考え方っていうのが、
政治的なものだと見られないということ。
こういう構造に陥る、そういう構造ができてしまうっていう話です。
もちろんね、私もこういう構造に陥ることだって必ずあるだろうし、
現状すでに陥ってるかもしれない。
で、こういう時に科学者とか権力者が愚かな奴らだよねみたいに批判したり悪口言ったりしたり、
なんかわかんないツイッターでコメント書いたりしたり、
インスタのリールとかにコメント書いたりするのは正直って意味がなくって。
で、最も大切なのはこういう構造が生まれてしまうんだっていうことを認知することです。
まず私たちの社会と過去の社会とか、それこそ自分たちのいる場所と、
その当人がいる場所では社会が違うんです。
社会が違えば、私たちの一般認識も異なります。
私たちの持っている一般認識っていうのは、何か真実を捉えているようで、
それが何か確証というか、ちゃんとした理論とか理屈をもとに、
私たちの一般認識が出来上がっているわけではなくって、
その社会、その時代に生まれて、生まれ育って、勝手に染み付いているものなので、
そこに絶対的なものみたいなものは存在しないんですよ。
だから批判は意味ないということですね。
そして結局ね、我々はその時代と文化の産物に過ぎないんですよ。
私が今こうやって歌無心の研究が間違っていて、
ブライアーはいい意義を唱えたみたいな感じで言いましたけど、
そういうふうに言っているのは、私が真実を言っているわけではなくって、
私がこういういわゆるジェンダーレス、ジェンダーフリー、
そしてこういう研究が比較的盛んになった時代に生きて、
09:00
その時代を育ってきたから、
だからこれが正しいものだろうと思って言っているだけかもしれないというお話でしたね。
ではですね、男性の女性の歴史の方にちょっと戻りたいと思います。
ここまで言ってきたのは、それまでの歴史は脳構造に着目した歴史でしたね。
これからは脳機能の話です。
いわゆる言語能力とか空間能力、これは脳機能と言うんですけど、
脳機能に男女差を見出して、そこから男性優位の社会を肯定するような主張を出しまくる、
そんな研究者たちを見ていきたいと思います。
この体の部位の測定だけでなく、脳機能に精査を見出すということなので、
男女に様々なテストを行うようになっていきます。
そのテストで男性の方が優れたスコアを出せば、
それはほとんどの場合、男性の優越性として解釈されるんですね。
例えば、文章を読むスピードを測定するテストがありました。
このテストの内容でですね、文章を読むスピードを測って、
結果としては男性の方が早かったそうです。
じゃあこのテストをどう解釈したのか。
男性の方が文章を早く読むことができる。
よって女性は道徳的に劣っている。
よって?
これ実際に行われた解釈だそうで、意味というか筋通ってないように思いますけど、
当時の著名な科学者であった人たちはこの結果から、
読みの能力っていうのは嘘をつく能力と一体だと。
よって女性は男性よりも嘘が上手いとかね。
というヘンテコな解釈まで生まれてしまうんですね。
そしてですね、もう一つのテスト。
空間能力の精査についてですね、
2つの奇妙な相反する解釈が生まれていたという話です。
これは前回の冒頭で紹介したやつですね。
もう一回簡単に説明してみると、
一つ目の解釈っていうのは、
女性っていうのが脳半球をこれ両方とも使うから空間能力が劣っているのだという考えと、
2つ目は女性が片方の脳半球のみ使うから空間能力が劣っているんだという2つの解釈があったと。
これは言いたいことが、いわゆる女性の空間能力が劣っているということで、
それに対する説明とか解釈の仕方として、
両半球が使っているからだとか、脳半球片方しか使ってないからだよみたいな理論が生まれているんですね。
これって女性の空間能力が男性より劣っていることの説明にすぎないんです。
12:06
これは証明された事実でもなく、普遍的でもない、再現性もない、ただの説明にすぎないんです。
こういうのが実際に生まれていたんですね。
ちなみに脳半球の研究に対して、
それこそ今言った空間能力、脳半球がどっちも使わなきゃとか、
どっちも使っているからだみたいないい加減な研究が乱立していたのかというと、
これは脳画像技術っていうのが当時未発達でまだ、
死んだ人の脳しか研究することができなかったんですよね。
なので脳を切開したり、解剖ワーク的なMRIを使って検出することが不可能だったんで、
死んだ人の脳しか見れない。
つまり重層のある人とか脳卒中で死んだ人とかが研究対象の脳になってしまうんです。
とすると、男女で重層の跡とか脳卒中の酷さとかを統一する、
均一にすることはできないので、正確な結果は出るはずがないですよね。
こういう理由もあったということですね。
そしてここまで見てきたのは、
全部いわゆる女性差別みたいなものを正当化するために科学的な根拠を持ってきているとか、
それを念出しているような歴史でしたよね。
こういうことって実は他にも行われていて、
いわゆる女性の知的劣等性とか、女性の社会的な圧力、
女性に対する社会的差別っていうのを、
あたかもそれに生物学的な証拠があるかのように正当化するような主張が登場していきます。
これを3つ面白いので紹介していきたいと思います。
実際にはまず前提だけど、
知的劣等性、女性の知的劣等性、女性が知的に優れていないみたいな言説があるけれども、
これは当時女性が学校に行かせてもらえなかったとか、
科学者に男性が多いとか、そういうことが関わってきます。
そして社会的な圧力っていうのがそこに加わっていくわけです。
例えば一つ目ですね、
当時女性に対して自動的に振る舞うようにする社会的な圧力があったんですが、
これは生物学的な女性の性質だというふうに言って、
この女性のいわゆる性的需要性のおかげで、
女性は妊娠し、種の存続に役に立つっていうですね、
エセ科学が登場します。
何を言ってるんでしょうかね。
ポイントとしてはさっき言ったようにこの言説っていうのが、
当時社会にあった女性に対する社会的圧力とか差別っていうものを
正当化するために使われてきた、
年出されたということですね。
もう一個だと母性本能っていうものについてですね。
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母性本能っていうのはこれは子供の世話をしたい欲だ。
この母性本能は女性にはあって男性にはない。
そのため男性は知性や他の能力を身につけることができ、
女性は育児に集中できるんだと。
ある種の知的能力は、
ある種の知的能力とかはですね、
子供を養育するための養育者とか保護者になるために、
子孫の肺のために必要な知的能力もあるので、
正しい言説ではないですよね。
3つ目、携帯的幼児性という考え方です。
語は覚えなくていいですよ。
こんな言葉は覚えなくていいんですけど、
いわゆる女性の方が身体的に子供に近い。
だから大人の男性よりは知的ではないんだ。
子供よりは知的だけどね。
みたいな考え方が登場します。
これはですね乱暴に言ってしまえば、
女性よりも男性の方が毛深いのだからゴリラに似ている。
と言っているのと同じ。
こういう身体が子供に似ているからみたいな、
そういう考えを女性に当てはめて、
こういう言説を作るということ自体は、
女性から法的、経済的、さらに政治的な権力を奪い取ること、
これをあたかも正当化するために利用されたということですね。
似たような話、似たような言説が当時、
同時期に登場していて、
白人より黒人は類人に似ているのだから知的ではない、
という言説も登場しています。
この言説は黒人差別を正当化するために利用されています。
やってること同じですよね。
女性の差別も黒人に対する差別も、
それを正当化するためにあたかも性別学的な根拠を
そこに絶対的な根拠があるかのように見せかけて、
差別を正当化しているということです。
だからやってることは変わらないですよ。
面白いですよね。
すごく人間味を感じる。
人間ってこうだよなって本当に思いますね。
まとめです。
これまで男性の女性の歴史を見てきましたが、
ずっと女性の知的劣等性を説明するということの
やってることは変わっていませんでしたよね。
その根拠が変わったりしてましたけど、
例えば脳の大きさとか、
体に対する脳の大きさとか、
脊髄とかね、
そんなやつもいましたけど、
やってること自体変わってないんです。
女性が知的に劣っている、男性より劣っている
というのを証明したい、
ということをやっているには変わりはないということです。
そしてそれは、当時社会にあった社会的な女性差別
っていうのを正当化するため
っていう目的のために
18:00
利用されてきた。
そういう側面が強いということですね。
ここまでで、
抑えておくべきことというか、
大事なこととしては、
今まで僕が
これまでの過去の研究を
少し小バカにするように話してしまいましたが、
今までは
過去に行われた研究の
いくつかが
的外れであることっていうのは明らかです。
けども、
次の2つのことを抑えておいてください。
この研究が行われた
時代と
場所に暮らしている人にとっては、
その研究が的外れに
つながっているということは
本当に
本当に
人にとっては、その研究が
的外れには思えなかったということ。
そして、
後に欠陥があるものだと
わかったとしても、
それについて検証し
異議を申し立てることで
研究は進歩する可能性がある
ということです。
つまり無駄な研究と
言っているわけではないということですね。
本当に問題なこと、
本当に問題なのは、
いわゆるジェンダー間の不平等を
起こすために、いまだに
生物学的な精査、
それこそ脳の精査というのが
念出され、使われてしまう、
利用されてしまうということ。
ちなみにね、
このシーヴィンガーという研究者の人がいるんですけど、
この人を曰く、
女性の脳の欠陥
というものを
いろんな時代で
説明され続けているんですけど、
この説明というのは
ずっと時代によって変わってきているんです。
つまり、女性の脳が
劣っているという結論は変わらないんだけど、
その根拠がどんどん変わってきている
ということです。
つまり、18世紀には
女性の頭蓋骨というのは
優秀な脳が生えるには小さすぎる
と言われたり、19世紀には
女性が脳を使うと
卵巣が縮むとかね、
20世紀には、女性は脳の
右半球の特質により
空間把握能力に劣るとかね。
結局、言いたいことが
その言いたいことのために
根拠を作っているような
そんな気がする。
そういう歴史を辿っている
ということです。
ですが、ここに
男性の女性脳の歴史に
革新が走る
研究が発表されます。
それは、2010年代
中期頃ですね。
神経学者、ダフナ・ジョエルという人が
膨大な数の
人間の脳を研究し
男の女脳は
存在しない。脳は
男らしさと女らしさの
パッチワークだという風に発表します。
これが
このシリーズの第一回
冒頭で言った、男の女脳は
存在しない。
全員が女性的な
21:00
そして男性的な特徴を
持ち合わせているという
考え方のゆえんでございます。
ということで、次回からは
ようやくですね
この脳のパッチワークについて
見ていきたいと思います。
ということで今回はここまでです。
次回の配信を楽しみに。
21:28

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