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2024-03-03 35:34

#193 【正義 雑談】正義と善/子供のゲーム時間の決め方/共同体と個人の正義

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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Summary

正義の概念と善悪の区別が難しいという話から、個人の善悪と共同体の正義を考え、言葉の解像度を上げて話し合っています。 価値観と子供の教育についての議論が行われ、個人の正義と社会の正義がぶつかる話になっています。子供の興味や可能性を最大限に伸ばすべきか、親の価値観に従って遊び時間や教育を決めるべきかについて考えられています。 正義と善の意味を混同する話をしながら、世の中の人生の意味と個人の生きる意味の違いについて考察しています。また、確率と偶然の関係を哲学的な視点から考えています。

正義と善悪の関係
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、正義編も終了ということで、今回は雑談会ということでやっていきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
はい、どうでした?作ってみて、今回。
面白いなあと思っていたのは、正しい正しくないとか、それこそ良い悪いみたいな話って、すごく概念的に近いじゃないですか、やっぱり。
近いというか、混同してるというか、正義と良いが違うとか、前回さらっと出てきたけど、結構意外と難しいなと思ったんだけどさ。
そうね、だから結構その辺はちゃんと解像度を上げていくっていうのはすごく大事だし、哲学の専門領域だなと思って。
いわゆる善みたいなものも、個人の善と共通善とみたいな話も多分分けれるし、平等もさ、いわゆる世界の平等と結果の平等みたいな感じで分けてたりしたじゃない。
っていう風に、これね、いつも言葉の問題だよねって話もすると思うんだけど、やっぱり実は言葉ってすごく曖昧だし、何を言ってるか分からんっていうのがあるから、
ちゃんとそこの解像度を上げて考えていくとか、こうやって何かと話していくっていうことをしたいのがすごく大事だな。
正義みたいな大きな話だし、正義って、それこそ正義だからさ、批判しづらいじゃん。
正義っていうものを自分は何か所にしますとか疑ってますとかって、そもそもそれって悪だみたいな話になっちゃいがちだから。
危ない感じするもんね。
普段はあんまり考えないんだけど、こうやっていろいろ調べたりとか、こうやって兄貴と話してると、
正義っていうものもどちらでもちろん言ってないし、いろんな発想がその中に含まれてるような、自由とか平等とか言いましたけど、
共同体とかね、そういうものを組んでて面白いなって思ってね。
ちなみに良いとか善っていうのは、個人で言うと個人個人の価値観みたいな話だと思うんだけど、
例えばこれが共同体とか国とかにとっての良いとかっていうのは、ほぼイコール正義なの?
それは共同体の中における正義に多分なってきて、
例えばさ、今からすると野蛮だけど、いわゆる人身悟空的なさ、
集団の中をある種神の行けに捧げて殺すみたいな儀式があったときに、
それはその共同体の中では正義なわけだよね。
良いこと。
良いことだよね。
それにとって良いこと。
それにとって良いことだよね。
でも例えば自分の子供が、自分の奥さんが、旦那さんが、
例えば人質というかさ、そういう人身悟空の対象、生贄になるっていうのが個人にとっては悪いことだよね。
もちろんそれをある種良いとするというか、名誉の断るとかさ、
そんな風に選ばれるなんてすごいっていう風な価値観がその共同体にはあるとは思うんだけど、
っていう風に個人の善悪とか良い悪いと、
個人の善と共同体の正義
共同体の正義っていうものはやっぱり対することはあるよね。
そういう意味で正義と良いみたいなのは違う概念になったかもしれないね。
そうだと思う。
分けて考えないといけない。
分けて考えないといけないし、
集団のものなのかっていうところも本当は多分分かれるよね。
こういう話として言ってパッと整理があって、良いとか善があるとか言われると、
あれ同じじゃないっけとかさ、何が違うんだっけってついていけない瞬間が結構あったりする。
確かにね。
だから例えば健康的な生活は正義だとかって言うときに、
でも自分にとってはやっぱり美味しいものを腹いっぱい食べる方が良いみたいな話とかあるわけだよね、日常生活でも。
だからやっぱりそこに罪悪感が生まれるよね。
要はこんな風に決めてしまって健康的じゃない生活をしてしまったっていう罪悪感が生まれるみたいな話って。
要はその正義とか正しいことと良いことと悪いことっていうのがまさに絡まってるよね、日常の生活だけでも。
僕の解決策は別にそんな正しいとかとはとらわれずに、
まさにロール的かもしれないけど、一定その世界集団の中で許される限りにおいては自分にとっての善、良いことを追求しようと。
これは快楽主義というか法理主義的な話だけど、自分一人の中においては全然それでいいんじゃないって結構思っちゃってるな。
なるほど。
でも難しいのは子育てとかだよね。子育てにおいて、例えば子供が欲しいと思うものを買い与えることが良いことであると。
無人像に与えるのは悪いことであるみたいな話を持ったときに、
その良いと悪いの違いってなんだとか、
あとは子供がある種欲しいものを全て手に入るということを与えたときに、
もちろん経済的には無理なんだけど、
そういうことしたときに例えば学校とか行って、自分の思い通りにならない場面に出会ったときに、
それに対応できない子供になるんじゃないか、それは悪いことなんじゃないかとか、
そういう風な自分以外の人との良い悪いとか、正しい正しくないみたいなことを考えると、
すごく難しくなってくるなぁとは思うよね。
はいはいはい、なるほど。確かに。家庭の中でもね、家庭ごとにもね、
あと何なら母親と父親でも違うみたいなね。
そうそうそう。やっぱり家族って一番小さいコミュニティと共同体だと思うから。
あー、確かにそういう話を本編で聞きたかったね、確かに。
それは面白いよね、確かに。個人レベルでの善と正義みたいな。
うん。
確かにな。二人集まればそういう話が生まれるんだね、本当に。
そうそうそう。だからやっぱり他者の問題ときっていうのを受け入れなさいっていうのはそこだよね。
やっぱり他人っていうものをどう捉えるかによって、やっぱりこの正義とかでも当然変わってくる。
要はある共同体、カルト的な共同体だったらもう他人っていうのはむしろ全体の一部だから、
個人の自由など認めんみたいな話も当然あるし。
親と子供の関係と子供のゲーム時間
うん、なるほど。あー、確かに。
今、子育ての話が出てきたから、ちょっと雑談的な話だけど、
こういう話をしてくれるハヤトが子育てをする場面において、
やっぱりそういう子供にどうしようっていう場面って、それこそ無限にあると思うんだけど、
例えばテレビを見るとか、ゲームを通じたのを制限しますとか、
それも多分一個の親の判断だと思うんだけど、
それってどう考えてる?
すごい原石な話をすると、何時まで約束は守ろうねっていう風にしてますと。
ほうほうほう。
だから別に何時間やらなきゃ、以上やっちゃダメとか決めてなくって、
例えば今日は夜8時半までやっていいよと。
8時半をこうやってやるのは良くないことだよっていう風なことをその時々でやってるかな。
なるほどね。絶対1時間前だよとかっていう風にしてないってことか。
してない。
なるほどなるほど。
それはやりたいことはあるだろう。
今うちマインクラフトが大ブームなんだけど、
マインクラフトやってたらやっぱり作るものを作ってて、1時間超えることもあるよねと。
大きいものを作ろうと思ったらそれは大変だから、
でもこの時間までに作れるものを作ろうねとか、
この時間までにできることで一旦今日おしまいにしようねっていう風にするって感じだね。
ほうほうほう。
僕らがちっちゃい頃って後じゃセーブポイント見つからなくて1時間じゃ収まりませんでしょ。
コストにテレビは消してみたいな。
そうそう後でやっちゃうみたいなね。後と思うんだけど。
だからあんまりそれは意味がない制限だなというか、
時間ってことに意味はないと僕は思うから。
そういう状況に応じて約束をするって感じかな。
ほうほうほう。確かにね。
確かに親があれだよね。
これ親の立場になると難しいなとは思うんだけど、
セーブしなきゃダメじゃんみたいなそういう子供側の都合に対してのルール作りって結構難しいし。
そうなんだよね。
ゲームも何時間前とか無かったからね。
我が家は緩かったからね。
子供からするんじゃ良かったかなと思うけどね。
家は非常に緩かったですね。何時以降はやっちゃダメぐらいのルールしかなかったよね。
逆に奥さんと最近話してるのは、
学校に行くと東映こうチャイムがあって、その時間はこれをやらねばならぬとか、
そこまではこれについて集中せよみたいな話じゃないですか。
はいはいはい。
それが良いとも思わないけれども、
だからといって日本で生きていく中で、
その価値観を全く知らない子供に育つのもどうなんだみたいな、
そこまで自由を尊重するっていうのもちょっと違うねみたいな話をしていて。
はいはいはい。
だからある種本人がやりたいっていうことと、
東映社会は一定こういうルールがある中で、
そこに適応できるっていう柔軟性というか。
そういうものをどうやったら両立できるんだろうねみたいな話は結構出るかな。
社内じゃないや。
社内じゃなかった。
えらいね。でもやっぱりそういう話ちゃんとしてるんだね。
まあそうね。
そっちは子供の過ごし方というか、
生死方的に結構ルールを作ろうって感じだと思う。
兄貴はそんな風じゃないと思うけど。
いやいや。
近いというかそこまでちゃんと考えてはいないけれども、
そうだね。
うちはよくテレビでYouTube動画をずっと見てるから、
テレビを見る時間みたいなところで言うと、
確かにある程度寝る時間は決まってるからね。
8時半とか8時45分までだよみたいな話はしてるけれども、
個人的にありだなと思ってるのが、
周りとか見ててもあるんだけど、
ちっちゃい頃にちょっと抑圧されすぎちゃった人が、
大人になったら爆発しちゃうケースってあると思うんだよね。
言ってあるよね。
例えばゲーム1日1時間しかダメですよっていうのを
厳守させられた人が、
例えば大学生とか大人だったら死ぬほどゲームやってるみたいな、
あるある。
難しさを埋めるかのようにゲームにはまりまくってるみたいなのもあると思うんだけど、
それは怖いかなと思ってて。
なるほどね。
ハヤトもたぶん1時間とかそういう締め付けみたいなのはしてないと思うんだけど、
むしろ飽きるまで見せたらどうなるのかなみたいな。
なるほどね。
のはちょっとやってて、やっててというか、
でも面白いもんで、
YouTubeなんて無限に見れると思うんだけど、
現状たまに飽きてるもんね。
やっぱそうなんだ、見るのにね。
無限に見ようかなみたいな。
4歳にしてね。
ただね、興味が増えれば見るものが無限に増えちゃうだろうってことは、
もちろんなんじゃないかっていうのは必要だと思うんだけど、
もう一生、もう一生分見たとか、
一生遊んだと言わせるようにしたらどうなんだろうみたいなのを
思ってるかな。
それはそれで一方であるよね。
あとさ、現実の話で難しいのはさ、
とはいえ、またそこに別の正義が忍び込んでくるじゃない。
なんかテレビばっかり見せずに大人と遊ぶべきであるとかさ。
一般論的な話。
風景観の相違ではなく一般論の話。
風景観でもいいし、
一般的な正しいものとして、
要は家の中だけだと体が良くなるから外で遊ばせるべきであるみたいな。
そうするべき論っていうのは異論とかが出てくるじゃん。
結構ちっちゃい頃とかはうちは、
こんなにテレビ見せていいのだろうかとかさ、
スマホにご無理をさせていいのだろうかとかさ、
そういうことはそういうことだと考えたよね。
ああ、はいはい。
そここそは、そういうのはもう本当すごいよね。
親から受け継がれる子供への価値観なんだろうね。
そうそう。とか世の中的にね、これが正しいとされるとかさ。
世の中ってのは、Xとか、
インスタのことかもしれないけど。
本じゃなくて。
本じゃなくてね。
世の中にはね、いろんなこれが正しいぜみたいな言葉があふれてるから、
その中でね、逆に苦しめられてる人も多いよね、そういう意味で言うと。
まあ、まあね。
ことあるって言うとね、
基本姿勢としては子供の可能性を潰さないっていうね、
親の都合でっていうのは思ってるけどね。
ああ、だからそれまでの価値観だね。
個人の正義と社会の正義
そうだね、価値観これは。
子供が興味を示したことはなるべくやらせてあげたいし。
とはいえ、親の価値観で言うと、さっきハヤトも言った、
親と遊んだほうがいいみたいな。
そこは子供と遊びたいからね。
公園に行ったりとか。
今は全然してるけどね。
ここで難しいのが、自分はそう思っていますみたいな話と、
逆にそれを人にも伝え始めて、
だから親はそうやって子供の可能性を最大限に伸ばすべきだ、みたいな。
潰さないってことを伸ばすべきは違う話なんだけど、
そこを根拠としちゃって、
ということを主張していますか、となると厄介な話になってくるんだよね。
まあ、それこそ正義同士がぶつかる話になりかねないからね。
そういうことです。
うちはこうやってるだけなんだけどね。
消えてるうちは良いんだけど。
確かにね。
例えばね、サッカー選手の子供に生まれたら、
それはサッカーを早いうちからやらせたいだろうしとかね。
やらせたい人もいるだろうしみたいな。
いるだろうし。
それをじゃあね、子供に無理、可能性を奪ってるっていうのか。
そうそうそう。そうなんだ。
そういう英才教育みたいなものもね。
だから、子供とかはそういうのが出やすいよね。
ある種、子供の側にはさ、やっぱりいろんな…
正義とかってまだないというか、
大人が言うことが正義ってなりがちだから。
ロールズの言う現象状態に近いんじゃない?
やっぱりアナちゃんって言うと。
まあね、確かに確かに。
だから、そういう場面がやっぱり現実的には見やすいかもね。
その何が正しいかとか、良い悪いと大切さをどうぶつけるかみたいな。
あとは、子供だけじゃなくて、例えば新入社員とかもそうかもしれないけどさ、
やっぱり会社に入って始めた後は、やっぱり会社のルールに従えっていうことも一方で正しいけど、
やっぱり自分で考えないと、ルールのことしかできない人間になってしまうみたいなことも正しいみたいな。
そういう話をやる中で、じゃあ一体俺は何をしたらいいんだみたいなさ。
そういうのとかは日々いろんなところで起きてる気がするな。
まあ確かにね。
やれって言われたからやったのに、怒られて無所属性できなかったみたいなね。
そうそうそうそう。
お前は言われたことしかできないとか言われて、
そこまではドラマの話なんだけど。
すごい説明があるけど。
まあでも絶対あると思うんだよね。
僕もよく言うけど、正解を求めてる人間だったからさ。
やっぱり唯一の正解が正しさがあって、その正しさをすればOKだみたいな。
仕事においてもある種の正しさっていうものを上司は知っていて、
その正しいことをすればOKだみたいなさ。
やっぱり価値観というのは結構やっぱり二重仲間化まであったからさ。
でもそれで言うと、あれなのか、
例えば学校のルールであるじゃん。
まあ教制、子供とか学校みたいな話じゃないから。
そういうのって結構守る方だった?
むしろ守らせてたよ。
ああー。
うん。復旧委員長タイプだったから。
あの真面目なね。
真面目な復旧委員タイプだったから、
はい、5分前には座りましょうとか、
はい、授業中に雑談したらいけませんとか。
本当?
それ結構小中高通じて割とそういう感覚はあった?
高校だとちょっと緩かったかもしれないけど。
小学校がやっぱり一番強かったかな。
中学校でそれがなくなった感じ?
ああ、そうなんだ。
例えば時間守らずにサボるとか、
そういうのは基本やってない?
ないないない。
兄貴みたいに抜け出したりしないのよ、学校。
そっか。
兄貴だってあれでしょ、窓から飛び降りてたでしょ。
それ多分変な人でしょ。
だって授業中脱出しなかったっけお兄さんは。
脱出っていうかいなかったとかはあるけどね。
別にだってこの先生の授業は面白くないから、
行かなくていいかなとか。
ああ、そうそう。
そういうのはすごい、そこは徹底して。
徹底って言うとあれだけど、
自分の無駄な正義。
だから、子供に我慢を教えないと、
ちゃんと守るべきものがあると教えないといけないみたいな話があって。
そこは緩かったのかもしれないね、自分の場合は。
僕からしたらちょっとありえない価値観なのよ。
そういう兄貴を見て、母親だから嘆いてるわけよ。
自由に育っちゃってみたいなね。
自分、子供にはそこはちゃんと反省できる子供に育てたいと思ってる。
自分は?
自分勝手なもんだよね。
僕は逆に兄貴を見ては自由でいいなとか、
反面、ちゃんとしなきゃいけないのかなって思う。
間違いなく影響としてはあったよ。
なるほど。
本当に親の心配こしらず的な話だね。
そうね、そうね。
だから面白いよね。
僕はもともとそういうキリストが守りたがってたし、守らせる。
守るのが正しいって思ってたんだよね。
真逆だな。
自分の頭でちゃんと考えるタイプではなかったな。
でも考えてるんじゃない?逆に。
子供の教育と親の価値観
やっぱり自分の正しいと思うことをやるとか、それが何が正しいかっていうのは
考えたかどうかはわかんないけど、直感的にそういうのがいいって。
影響はそう。そういう価値観ではあったのかもね。
全部反抗する時でもなかったし、好きな先生の方が出てたし、嫌いな先生の方がとことん出てなかったし。
なるほどね。
だから先生からの覚えはすごい良かったのよ。
先生側からしたらすごい強力な生徒なわけで。
逆に言うと僕も自分の頭で考えてなかった。
なぜ5分前に座らせばいけないのかとか、
なぜ授業中に静かにしなきゃいけないのかっていうのは別に考えずに、それが正しいからみたいな感じだったよね。
なるほど。
自分の方、確かに優先してたかな、隣とかどうでもいいっていうのもいたから。
なるほどね。面白い。
そういう違いは絶対人それぞれあるよね。
それをある種、小学校6年生のときか、ある種、ちょっと悪ガキみたいな子たちの方が、実は先生から好かれてたみたいなことに気づいたというか、
そういうのをちょっと目撃して、この先生の記憶に残るのはもしかしたら、このちょっと悪ガキとして固めちゃだった子たちの方かもしれないみたいなことを思って、
自分は優等生ではあったけど、人の記憶には残らない子供だったかもっていうのを思って、
ちょっとそこから人生が迷走し始めるのが中学生のときね。
すごいね。小6でそんなこと、ちょっと衝撃ではあったのか。
小6だったね。むしろそういう人たちの方が、お前らには本当に手を焼かれたけど、授業してくるのが寂しいよみたいな話になってて。
なるほど。
俺がいなかったら別に第2の俺が生まれて、学級委員長が生まれて、学校は回っていくだろうから。
あれ果たして自分がやってきたと同じだっけみたいな。
なるほど。確かにな。それは子供にとっては結構承認的な風景かもしれないね。
そうそう。結構当時は割とショックだった。
人生の意味と哲学的議論
ショックっていうか、正しいことを正しくやるだけでは、人の記憶には残らないのかもしれないっていう感覚。
そうだよね。いろんな先生がいるから、その先生がいいか悪いかは知らないけれども、子供が受ける印象っていうのは一つだからね。
しかも担当だったんだよね、その先生がね。担任の先生だったから。
はいはいはい。
だから結構あるじゃん。親の期待に応え続けてたみたいな子供がさ、いざ何かあった時に自分じゃなくてもよかったとか、
例えば弟か下が生まれた時に、下の方が優秀だった瞬間に自分の価値を全部失っちゃうみたいなさ。
うーん。
やっぱりそれはすごい不幸だなと思うんだよね。
うんうん。ヒロアカの轟き期みたいなね。
なになに?ヒロアカの轟きね。はいはい。炎と氷の男の子でしょ?
そうそうそうそう。
知ってる知ってる。
お兄ちゃんたち大変みたいなね。
そうですね。分かんない方からするとヒーロー一家に生まれて、将来を期待されてるやっぱりね。
むしろ親の中でエゴに育てられちゃった子たちだよね。すごい抽象的に言うと。
さっきのプロサッカーの息子がプロサッカー選手にならなければならないという重圧みたいな話に近いよね。
うんうん。だからやっぱりそこが難しい。
そういう主義主張があった方がその子の才能が伸びるっていう可能性はもちろんあるだろうし、
でもやっぱり今の時代はもうちょっと伸び伸びとというか、そんなに一方的な親の決めつけで子供の道を敷くというよりは、
やっぱり子供がやりたいこととか、子供が興味があることをやらせてあげましょうという方が良いという風に言われてるけど、
これもやっぱり一個のね、その方がなんか良さそうだよねっていう、
日本社会というか僕らが所属している社会の空気感でしかないから。
まあそうね。お前の価値観による弊害をただ潰そうとしたモグラ叩きみたいなとこもあるだろうし。
そうそう。結局ね、揺らぎの中だね。
だからそういう意味で言うと、なんだろうな、本当の意味で自分がどうかとか子供がどうか、やっぱりそこに向き合わなきゃいけないっていう、
結構実存主義っぽくなっちゃうけど、やっぱり世の中のルールはルールで一方ある中ね、
果たして目の前のこの子はどんな人間なんだろうとか、どういうことを大事にしてるんだろうっていうのはちゃんと見てあげる。
それですごい贅沢なことというか、なかなか余裕がないとできないことだけど、
やっぱりそれができることが今の自分にとって大事だなっていうところに落ち着くんですっていう話かな。
やっぱりちょっとそうはね、こういう倫理とか正義の話はあまりにレイヤー数漏らし、視点漏らしみたいな感じで、
今回なかったかもしれないけど、個人の正義と社会の正義がぶつかるみたいなもんね、全然それはあるわって話だよね。
全然あるよね。全然あるというか、そんなのは日常茶飯で、学問的には社会のほうからマクロード系に問われることのほうが多分多いし、
個人的にどっちかというと、いわゆる幸福とか、すぎていわゆるウェルビーイングとは何かみたいな話のほうが、やっぱり正義とかよりは議論がされやすいよね。
まあ確かにね、ぶつかり合う感じはあんまりしないかな、多様性みたいなものをね。
それはね、根底には幸せになることが良いことみたいな、ある種強力な哲学が前提があるよね、そこには。
確かに、そこにも配慮した言葉がウェルビーイングなんだろうけどね、今のところ。
そうそうそう。だから、これも少し話が広がってたし、いつかまた問い上げたいと思ってるんだけど、最近人生の意味の哲学っていうものが結構広まってきてるっていう話があって。
広まってきてるね。
広まってきてるとか、そういう風な議論がそれこそ、ロールズが正義について語ったみたいに、人生の意味とか何かっていうのを哲学的に考えるっていうような流れが生まれてきて、
それが結構日本でも最近そういう本が出てきたりとか、特集が、その哲学雑誌を組まれたりとかっていう風になってるんだけど。
はいはいはい。あ、ハヤトのなんかあれだね、お疑問点っていうかさ、興味の結構ど真ん中みたいに。
そうなのよ、そうなのよ。で、めっちゃいいじゃんと思ってこれ読んだら、もしかしたら答えが入ってるかもって読んだんだけど、全然やっぱり自分の関心とは違うのよ。
あ、そもそもの論点っていうか内容が違うの?
内容が違う、そう。面白いのは、もちろん議論の流れとかこういうことを考えようねみたいな話はすごく参考になるし、いいんだけど、いわゆる大元の結論としては人生の意味っていうのはあるんだけど、
それが例えば、世の中によっても価値の方が決まってる。要は、例えば、アインシュタインの人生っていうのは意味がある、より意味があるんだけど、
一生貴様主義をして生きる人の人生には意味が低いみたいな話になっちゃってるんだよね。
正義と善の意味を混同する話
っていう風に、要は価値基準がそこに含まれちゃってて、こういう人生はいいものだ、こういう人生はより悪いみたいなものっていうのは、僕の感覚からすると受け入れがたいんだよね。
そういうタイトルで価値の話をしちゃってるでしょ、混同してるでしょみたいなのがあると。
僕は思う。意味と価値を混同してるなっていう風にまさに思ってて。
僕は別に草むしりしてる人の人生でも、その人が満足してたらいいじゃないって思うし、そこにまさに意味を見出してその人生を豊かにすることもできると思ってるから。
実際にそういう風な話で、例えばちょっと反論というか疑問を経営してる人とか、もっとそういう方向性を深めなきゃいけないねって言ってる人はもちろんいるんだけど、
まだ深まりきってないなーっていう感じでいる。何を知ってるんだって話なんだけど。
まあね、どの立場から言ってるんだって話だけど。
でもやっぱり僕は意味っていうものを大事にしたいと思って生きてるから、その観点からするとまだちょっと物足りんだみたいな。
やっぱりこれもいわゆる世の中の人間においての人生の意味とか生きる意味と、この私っていう人の生きる意味っていうのは、やっぱり実は近いようで違う問いなんだなっていう感じなんだよね。
さっき言ったような、読んだとか最近言われてるのは、これ哲学の領域なの?それとも自己提発的なそっちの領域なの?
哲学、哲学。
ああ、その中でもそういう混同みたいなものが見られるようだと。
まあ僕からはそう見えちゃうんですよね。読んだ限りでは。
なるほど。
面白くって、そういうふうになってくると、いわゆる反出生主義みたいな、そもそも生まれない方がいいんじゃないかみたいな議論とかも哲学で扱われたりするし。
仏教みたいなね。
そうそう、仏教的な話。現実的なんだけどね。
子供を産むっていう親の立場からしたときに、認められないっていうのが反出生主義っていう立場だから。
結構ね、強力なんだよ。
実はね、次回やろうとしてる確率とか偶然っていう話はまさにそうで、
今は、このサイコロを振ったときに、1が出る確率はもちろん6分の1じゃないですか。
だからそうなんだけど、今この私がこのサイコロを振ったときに1が出る確率はもちろん6分の1なんだけど、
でもなんか、果たしてそれって自分にとってどういう意味なのか。
例えばじゃあ何か欠けてるとか、それこそサイコロの1が出ないと何かまずいことが起きるっていうときに、
ずっとこれまた次回ちゃんと話そうと思ってるんですけど、
その確率6分の1っていうのは自分の人生ってどんな意味を持つのかっていうことってやっぱりちょっと変わってくるんですよね。
変わってくるというか、あとはギャンブルだよね。
ギャンブルもオッズとかがあるからもちろん確率的に出るものは決まってるんだけど、
やっぱり人っていうのは自分が選んだものが出そうだっていう気がするとか、
あとはコインがね、5回表が出たら次は表が出そうだとか裏が出そうだとかってやっぱり勝手に思っちゃうじゃない。
それとは絶対変わんないんだよね、独立の事象だから。
なんとなく5回コイン、表が出たコインは次も表が出そうな気がするとか、
さすがに5回も出たんだったら次は裏が出そうな気がするとか。
で、なんで人間と思っちゃうんだろうねみたいな。
へー、面白そう。それが哲学的な話からあるっていうのはどういう話なんだろうっていう興味はあるね。
みたいなことをちょっとね、テーマとしての根本としては思って、
そういうやっぱり世の中全体の話と自分っていう存在の話とか、
一人一人の存在っていう話。
やっぱりちょっと違うレイヤーで当てさなきゃいけないよねっていうところをちょっと今思いながら話そうとしてっていう感じですね。
はいはい。
わー面白そう。
あー嬉しい。
ちょっとどうなるかは想像つかないもんね。
そうねそうね。確かにその辺りの問題意識というか何を僕は考えてテーマにするのかというところは
次回丁寧にお伝えしながらテーマに入っていく方がいいのかなと話しながらも思ったんで。
はいはい。確かにリンギンと違ってあーだこうだ言えるような話じゃないもんね。
確率にしてどう思いますかって言われても知らんわって話だから。
確かに確かに。
一気に黙るよ。
黙っちゃうか。
はい。
なのでその辺はまた次回お話ししながらぜひ皆さんともテーマとしては触れていきたいと思っていますという感じでございました。
はい。
わかりました。
ちょっとリンギンではわちゃわちゃと好き放題話してきたんですけれども、
次はまた哲学に関わる部分が大きいというところですね。確率偶然というところを楽しんでいきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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