1. 天守閣シアターFM
  2. 【十二人の怒れる男】認知のゆ..
2024-06-24 28:40

【十二人の怒れる男】認知のゆがみと偏見、プライドを超えて裁くこと

※このコンテンツはネタバレを含みます。


Amazon primeで十二人の怒れる男を鑑賞しました。

シンプルなストーリーの中にあるメッセージ性の強さに鳥肌がたちました。

・色褪せない脚本や演出

・”疑わしきは罰せず”の難しさ

・有罪だと思い込む認知のゆがみ

・自分から事実への意識の変化

・最初の一人はなぜ生まれるか

・最後の一人の心変わり

・偏見は「聞かない」という演出

・裁かれた少年はどうなるか

・過去も回想もないシンプルなストーリーが減ったのはなぜ?

などについて話しています。


人は物事をゆがんで認知し、偏見を持ち、プライドを守りたくなる生き物です。見えない真実を見極めるためにどれだけ自分を疑えるかが問われている、とても印象的な作品でした。


----

▼感想やリクエストなど、おたよりお待ちしています!

https://forms.gle/x4o4HCgkWGkvy1NU9


▼2人で恋愛観や自己肯定感について話すポッドキャストもやっています!

<ゆる天守閣ラジオ>

https://open.spotify.com/show/6ca5mOMd3MePsz9JRGjmYM


▼note

https://note.com/toshi_miyu

▼X(旧Twitter)

https://x.com/tm_tenshukaku

Summary

「十二人の怒れる男」はワンシチュエーションものの映画で、綿密な議論が展開される中で認知のゆがみや偏見が浮き彫りにされます。鑑賞者は映画を通じて裁判の難しさや個人のプライドなどについて考えさせられます。 プロットドラマ『十二人の怒れる男』は、異なる視点と個々の信念に基づいて行われる議論と審議が中心であり、善悪や真実の探求ではなく、人々の認知のゆがみと偏見、そしてプライドを超えて裁くことをテーマとしています。もともとは1960年に公開された映画「十二人の怒れる男」についてのエピソードです。現代の視聴者が新しいものを求めている傾向があり、興行収入が重要であるため、派手でストーリー性のある作品が人気を集める傾向があることが話されています。

00:13
こんにちは、トシです。
ミユです。
この番組では、自称天守閣に住んでいる同性カップルのトシとミユが、一緒に見た映画の感想を考えることが大好きな僕たちの視点で話しています。
なお、このコンテンツはネタバレを含みます。聴取にはご注意ください。
はい、ご注意ください。
ご注意って言っちゃった。
ご注意。
今回はですね、【十二人の怒れる男】を見ました。
見ましたね。
はい。アマゾンプライムで今月末までの配信なので、ちょっと気になっている方は早めにチェックしてみてください。
ください。
あ、ていうかさ、普段結構今回は60年以上前の映画なんだけど、トシって結構古めの映画見ます?
見るときは見るけど、めっちゃ見るってことでもないかな。
映画の面白さ
さあ、どうでした?【十二人の怒れる男】
いや、すごく面白かったよ。
うん。
なんか、ずっと見てられたね。
うんうん。
うん、面白かった。
なんかさ、ワンシチュエーションものでさ、話してるだけなのに、よくあんなに面白くなるよなっていう。
そうそうそうそう。なんか、感覚的には映画を見ているっていうよりも、なんかこう、演劇を見ているような感じに近かったな。
うんうんうん。
シーン転換とかがない。本当にさ、ずっとその場でずっと議論が重ねられて話が進んでいくみたいな。
その感じが、すごいなんかこう、演劇的な、芸能的な面白さというか、そういうのを感じた。
うん。
編集力で見せるっていうよりも演技力で見せるみたいな。
まあ、編集っていうよりか多分脚本だろうね。
ああ、そうだね。脚本のところ。
議論の進展とメッセージ性
なんか何が面白いかって、何回も何回も投票する、それによってどんどん状況が変わっていく。
うん。
シチュエーションもさ、最初は、みんな好きかっていろんなことを話していったけど、最後の方はさ、もう、これは必要な議論なのか、
これは必要のない、この人の個人的な意見なのかっていうところをみんなが聞き分けられるようになっていて、
そういうところから立ち去るっていう演出が、うおーっと思ってめちゃくちゃ鳥肌立っちゃった。
そうだね、すごいね。なんか最初はさ、みんなはついねとか言ってさ、さっさと終わらせようよみたいな感じでやっててさ、
一人さ、パッて手を挙げたときにさ、出たよみたいな。話長引くじゃん、めんどくせえみたいな感じのところからさ、
どんどんどんどんそういう建設的な議論になっていくというか、その感じがね、最初は話聞いてあげるぐらいの感じだったじゃん、みんな。
一人が何を言わせたらみたいな。明確に有罪でしょうみたいなところから、確かにみたいなところからみんな真面目に会話をし始めるみたいな。
あの感じの流れがさ、要はその区切りなしで進んでいくみたいな、あの感じがすごかったね。
やっぱ会話だけでストーリーを進めていく面白さがあるよね。
あった。
結構、たぶんこの辺が元祖だと思うんだけど、他にはやっぱ、クエンティン・タランティーノのレザーボードックスとかも結構会話劇だったりとかするから、
そういう映画も思い出しながら。それはもっとずっと後の話なんだけどね。レザーボードックスは90年代の映画なので。
あとは、いろんなメッセージ性っていうのも包含してるなって思っていて。
そうだね、いろいろあったね。
バイシーンっていう人の仕事がどういうものなのかを改めてこの映画を見て、なんとなくわかった気がした、まず。
なるほどね。
バイシーンってさ、僕のイメージで言うと、それぞれが意見を言って、それを参考に裁判官の人が最終的に決定をするみたいなイメージがあったの。
そもそもシステム的なところは全然知らなかったんだけど。
ここまで本人たちが決めていくっていうのと、あと疑わしきや罰せずを実践することの難しさというか、みたいなのを感じた。
だってさ、要は今回10人いて一人手を挙げてなかったら、もう普通に有罪なわけじゃないよね。あの人がいなかったら。
その疑問点はいっぱいさ、その後どんどんどんどん出てくるのにさ、そこを無視して、やっぱ印象で決めようとしちゃうみたいな。
で、それの責任とか意味がどういうものなのかっていうのが、改めて今回の映画を見て、なるほどなーってすごい思った感じだった。
なんかある意味ではさ、その話聞いてると、なんかある意味では無関心、関心領域みたいなところにも繋がってきそうな感じがしたね。
なんか自分、そうやってさ、いろんな情報をさ、6日間って言ってたけど、6日間こう摂取されてさ、なんか、あ、強いものの話に耳を傾けて、
あ、じゃあこの人有罪なんだなーって、なんとなく思い込んじゃうみたいなところがあったと思うの。
で、でもさ、一人反対している人がいるじゃない。で、その人の話を聞いてみると、まあ無罪、まあその事実上っていうか、便宜上無罪になってるだけではあるけど、
一つ、こういうところ疑問じゃないですか?っていうところが出てくると、他の人がそれを挙げてくれるようになるじゃん。
だから、認知のさ、歪みがもう働いちゃってるんだよね、既に最初の時点で。
だから、いかにその、自分が何か一つの立場に立った時に、なんかそれを、それだけを考えてしまうっていうのをやめて、
どこかなんか疑う視点っていうのを持たないと、なんか自分たちってこう人間の脳の仕組みによって、
なんとなくそれが一度いいと思うと偏見になってしまったりとか、強い認知につながってしまうなっていうところをすごく伝えてくれる作品だったと思う。
そうだね、そんな感じだった。
有罪と無罪の決定
要は結構みんなさ、最初はさ、僕の感覚で言うと、最初手を挙げた人たちは、この人をもう有罪にしたいと思って手を挙げてるみたいな感覚だったんだけど、感覚で手を挙げてるような気がしてて。
ただやっぱりそういうこう、誰かを裁く仕事っていうのは、自分がどうしたいかではなくて、事実としてどうかっていうところがやっぱりすごい重要じゃない?
そのさ、その事実としてどうなのかっていうところにどんどんどんどんこう、みんなの意識が変わっていくみたいな。
それがまさにその認知のバイアスを取り除いていくみたいなステップに感じて、ああ面白いなってすごい思った。
面白かった。
私やっぱそれをさ、要は最初一人でやり始めるわけじゃん。
うん。
一人でやり始める勇気すごいなって思った。
いやでもそれは誰かがこの自分たちの判断のせいで死ぬからでしょ。
うん。
なんか責任感で、なんとなくじゃあみんなが有罪にしてるから私も有罪って、そのできないほどの重たみが多分彼は感じたんだと思う。
逆に言うとなんで一人が感じたのかっていうところがあるよね、あの中で。
うん。
でも最初の状況をこう、話から見て裁判がどういう風に進んでったのかっていうのは推測できるけど、やっぱそれは圧倒的にもう有罪なんだなーっていう雰囲気で。
うん。
言ってたからでしょ。だからみんな。
うん。
ね、最初の方のシーンは自分の仕事の話とかさ、なんかそういうことばっかり考えてる人たちばっかりだったじゃん。
うん。
野球に見に行く話とか。
うん。
だから、なんかきちんとその自分の頭の中心で考えてなかったんだよね。
うん。
逆にその中でなんで一人が考えていたのかっていうのが気になるっていう。
そういう人?
え?そういう人?
だからその人は、最初から無罪なんじゃないかっていう気持ちで見てたんじゃない?どうなのかなーっていう気持ちで見ないで。
なるほどね。
なるほどね。
大体そういう風に考える人が、12人ぐらいいると1人ぐらいしかいないよって話?
かもしれないし。
うん。
ストーリー的に、まず最初に1人が立ち上がるだけの方が面白いからかもしれないし。
あー、なるほどね。
なんかさ、最初にそのNOって言ってる、あの主人公、主人公じゃないのかな?
8番。
8番の人がさ、いろいろ話の中でさ、どういう人かが出てくるじゃない?子供が何人いて仕事は何をしててみたいな。
そういうの聞けば聞くほど普通の人じゃない?別になんか過去にさ、何か大きいバックグラウンドがあるみたいなのも特に語られないしさ。
うん。
むしろ他の人の方がさ、そういうのがあるみたいな。スラム育ちでとか、例えばね。息子とはもう2年会ってないみたいな。
うん。
主人公、8番が特別何かすごい経験をしているから無駄を主張しているっていうよりも、なんかやっぱりその最初から自分のスタンスはこうだから、この命を扱うっていうところに対して、やっぱりそのすぐ決めないって決め、自分の中で多分そういう自信を持ってやっているって感じじゃない?
うん。なんとなくの違和感を感じる、これには。
そうですね。
だから、自分はちょっと話し合いたいみたいなね。
じゃあ、それを言える勇気が、なんであの人にあったのかっていうところかな。
まあ、そこはどうしても他で語られてないからね。
そこが気になった。なんかさ、要は優柔不断なタイプの人たちもいるわけじゃない?
うん。
なんかそういうのとはまた違う感じというか。
3種類の人が、4種類くらいかな?4種類くらいの人がいるよね。
いっぱい。
無罪を主張している8番と、あとなんとなくどっちでもいい早く終わらせたいみたいに思っている、特に関心を持っていない人たち。
で、3人目は印象で有罪にしたいって思っている人たち。
で、もう1つはその、色々聞いた結果、有罪だと思っているっていう人たち。
4種類がいたよね。
なんか個人的にはもっと細分化されると思っていて、なんか1人1人の個性がどんどん出てきてるじゃん。
なんかなんとなく人に今までこびへつらって生きてきたんだなーっていう人とか、
自分の主張を、自分の感情で人のことを動かしてきたんだなーみたいな人とか、
1回自分の意見言ったらもうねじ曲げられないくらいプライドが高い人なんだなーとか。
だからなんかいっぱいいたと思う。
ほんと。
みんな違うっていうところを見せてたのかなーっていう感じはするけど。
なるほどね。
まあでも細かいところは気にせずに、なんか大きいところのメッセージ性みたいなところを、
なんか私は一番最後の心が悪いっていうところに結構フォーカスしたかったりするけどね。
あーそうなんだ。
うん。
ていうと?
最後に自分の頭では納得してる。
頭では確かにこの人は本当はやってないかもしれないなーっていうことを思うんだけど、
もう一度自分が言っちゃったし、こんなに主張しちゃったし、なんか今更引っ込めるの?みたいな感じになってさ、
で、もう自分でもさ、わけのわからないっていうかさ、自分でも今までもう話が終わったことについて、
いやこれはだから有罪だっていう風に言うわけじゃん。
そうだね。
で、最後にそのこぼれた自分の写真、自分と息子の写真を見て、
ちぎった後に泣きながらnot guiltyって言うわけよ。
うん、言うね。
それよ。
なるほどね。
でもあそこであれができたあの人は偉いと思う。
偉い。
うん。偉いなーって思った。
あれであと例えば3,4時間粘って結論出ませんでしたりする可能性はあったよ。
うん、あった。
なんかあれだったのかな、もしそれが自分の息子だったらって思ったりしたのかな。
もし自分の息子がそういう権威をかけられて、
で、自分みたいなそういうバイシーンが一人いたら、
そのせいで息子がやっていない罪もしくはやっていないかもしれない罪で有罪になってしまったらっていうことを思ったりするのかな。
ドラムスコだったから。
どうなんだろうな。
議論と審議の展開
僕はどっちかっていうと、あそこでさ、無罪だ、有罪だって言ってるわけじゃない。
で、有罪に決まってるだろうって言ってさ、全部撮ってたんだってバーって出してさ、
で、写真が出てきてさ、え、こんなもの?ってグシャグシャってやるじゃない。
で、やった直後にグシャグシャってしたのが、多分すごいフォンには後悔したと思ってて。
で、なんで後悔するのやっちゃったのかっていうと、やっぱ頭に血が昇ってるからじゃない。
あの瞬間に自分今正気じゃないなって気づいたんじゃないかなと思って。
あー、なるほどね。
そう、だってあんなに自慢というかさ、自分の息子の話とかするわけじゃない。
俺の息子がいるんだって写真一人見せてさ、休憩中も写真見たりしてるわけじゃない。
結構大事なもののはずなのに、あそこで血が昇っちゃってて自分が。
で、ビリビリってやって、それ後悔してる。
それが、自分が今、もうなんかおかしくなっちゃってるって気づかせる起爆剤になったんじゃないかな。
そっちの方がシンプルかもね。で、自分がやったことにふって気づいて急に温度が下がって。
自分今おかしくなってるって思って、あそこで言ったんじゃないかなって思った。
なんでこんなことしちゃったんだろうって思って、周りを見てさ。
自分が今おかしいなってなったんじゃないか。
かもね。
最後のエンディングのところで一人トボトボ歩いてるの見た?あの人が。
見てない。
あの、おじいちゃんに声かけられてさ、二人こう入ってくるじゃん。
あの、階段のところ、手すりのところでさ、トボトボ歩いてるんだけど。
かわいい。
そこも見て、あの時さっきの自分はおかしくなってたなって思ってたんじゃないかなって思った。
冷静なっていうか、話し合いができることが素晴らしいよね。
12人いかれる男マジでみんな怒っててすごかった。
みんなちゃんと怒ってたね。
みんなちゃんと怒ってた。
最初の方とか議論にならないかと思って焦っちゃった。自分の言いたいこといっぱい言ってくるじゃん。
みんなバーってね。
そう、なんか日常生活でもさ、やっぱ3人以上いると黙るタイプだから私は。
だからなんか、絶対に意見を言えてない奴がいそうだし、うるさい奴、声がでかい奴の方が意見が通りそうだし、これ大丈夫かこれと思ったけど。
みんなちゃんとキレてたからね。
ちゃんとキレてた。
みんなちゃんとこうヒートアップしてたからよかったね。ちゃんと議論してたね。ある意味で。
やっぱあとあの、すごい印象だけで語ってたおじいちゃんいたじゃん。
あのところのシーンも結構印象的だったけどね。
大概こういう奴ら嘘つくんだみたいな。知ってるだろうみたいな。
スラムに行ってみればわからないみたいな。
偏見だね。
そうそうそう。偏見で語っているみたいな、そういう印象だけで。
でさ、なんかさ、あそこでみんなさ、立ってさ、なんか話聞かない、何言ってんだこいつみたいな感じで歩いてたけどさ、最初はそうじゃなかったわけじゃない?みんな。
おいおい待ってくれよってなってまた改めてさ、同じようなことをさ、あの人が立って言い始めるとさ、みんなこう離れていくって。
その時になんか自分も我に帰ってさ、あの人はもうなんか違うところの椅子に座ってさ。
自分にはなんかその話す資格はもうないみたいなところをちゃんと後ろ旗あげたよね。
ね。っていうのを理解して端っこの方に座って。
あのシーンもなんかすごい印象的だった。
やっぱ場の雰囲気があそこで結構、あ、変わってるんだ今って思わせるシーンだった気がする。
あれもさ、ある意味では投票だったよね。この人に賛成するかしないかみたいな。
賛成する人は座って、あれは賛成だったのかわかんないけど座ってるし、賛成しない人はもう賛成しないよっていう意思を明確に見せる。
最初からずっと喋ってたじゃない。
あそこでなんかそういう雰囲気に変わっているっていう、こう、ここまでの議論でそこまでみんなの意識が変わっているんだと思わせる印象的なシーンだった気がする。
なんかこっから無罪になったとしてさ、その被告だった少年はどう生きていくんだろうね。
なんか私はちょっとアメリカの司法制度よくわかってないんだけど、上告するかもう一回裁判やり直しになるじゃん多分。
で、ちゃんともうちょっと有能な弁護人がつけられて、本当にその議論されたところってさ、ただのみんなの推測でしかないからさ、
それが本当にそういう科学的根拠に基づくものなのかっていうのをしっかり検証して、その上で有罪になる可能性もあると思うけど。
ただなんかそういう感じだと思う。
そうだね。そこでいうと、今回の作品の中で結局少年がどういう少年なのかとか、真犯人がどうなのかみたいな話って全く語られないじゃん。
それが結構、現代における他の映画と全然違うなと思っていて。
ああ、なるほどね。
最近の作品だとさ、真犯人が出てくるみたいなのがさ、点だったりするよね。起承転結の点でさ、私が真犯人ですとかそうかな、ああいうのとか類とかね。
なんかそういうのが多い気がするんだけど、そこは一切見せない。
本当にその話のところだけにフォーカスして終わるっていうのがすごい結構印象的だったかな。
映画と現代の視聴者
今回のやつって言うと結局さ、善悪とかそういうものについては一切語ってないんだよね。
本当に疑わしいものを認知をこう、認知バイアスをかけて判断していないか。
ただ疑わしいっていうだけのものを自分の位置でこれは有罪だ、事実だっていうふうにねじ曲げていないかっていうところに対してすごいメッセージを与えてくれてる作品だと思っていて。
で、何て言うんだろうな。
なんか結構こういう類の作品だとさ、やっぱりこの子がその後どうなるのかとか、この裁判によって何が起こるのかみたいなところまで見せるパターンの方が多いような気がしててさ。
教訓としてさ、こういうことをやるとこういう議論だったらこうなっちゃうよとか、こういう議論の結果こうなったよみたいなところまで見せるみたいなのが、なんか僕の印象ではメッセージ性としてはわかりやすくなると思うんだけど、今回のってそこまで全く見せないじゃん。
結局疑いの余地がありました。で、それにみんな納得しました。以上じゃん。要は話の流れとしては。
なんかそこでこう抑えて、そこからじゃあ結局どうなるのみたいなところ全く見せてないってところが結構面白い、面白いというか結構印象に残ったなっていう感じ。
とにかくその実況見聞というか、そこでの証拠だけにフォーカスされているという話が。
最近は減ったよね、確かに。
なんかさ、それこそ50、これ50年代の映画じゃん。
50年代の映画とか、あとは例えばスティーブン・スピルバーグの激突とかも無駄な要素一切省いた映画だと思っていて、あれが確か70年代だったりとか。
昔は結構そういうワンシチュエーションものっていうか、犯人とか登場人物の意図みたいなのが描かれずに、起承転結をその場の展開だけでやるっていう映画は結構あったような気がするのね。
なるほどね。
でも今はあんまないような印象があるの。
うん。
それってさ、なんでかなって。
なるほどね。
なんか一個僕が思うところで言うと、なんかある意味でこういう作品って想像力がある程度必要だと思うんだよね。
自分の想像力でいろんなものを保管してみないといけないものだと思っていて。
で、一個僕の仮説で言うと、今の現代のそういうコンテンツを消費している人たちは、そういうところを想像したりすることに耐えられないんじゃないかっていう。
その目に見える、例えばアクションとか、目に見えるストーリー、わかりやすさっていうところが、やっぱそのわかりやすい作品っていうのがいっぱいあるからさ、今コンテンツとして。
そっちの方がやっぱ面白いって感じやすい感じに感覚としてなっているんじゃないかなみたいな。
だってさ、言っちゃうとさ、この前見た感心領域もさ、結構賛否両論ある作品になってるわけじゃない?
なんかめっちゃ面白かったって言ってる人もいれば、結局何の作品なのかよくわからなかったみたいな。
まさに同じような感じだと思っていて、こういうこう、ある意味でハイコンテキストではあるじゃない?
その、なんて言うんだろうな、その被告人になってる少年のバックグラウンドとかも、ちょっとずつ話の中でなんとなく垣間見えるみたいな。
なんとなくスラムに住んでるんだろうなとか、たぶんその殺したのは父親で、その父親と何かしらこう角質があるような、まあそういう感じなんだろうなとかね。
なんか殴られるみたいな話とかも出てきていたじゃん。ずっと殴られ続けてきたんだ。
でも誰に殴られ続けてきたのかとか、あんまり語られてないみたいな。
そういうところをこう想像したり保管していくっていうのが、なんかこう、現代の人たちは苦手になっていってるんじゃね?説。
せつね。
を思う。みゆは?
私は、まあそれは半分同意するけど半分同意しない。
日本人はそうなっていると思うけど、外国人が果たしてそうだとは思わないわ。
そうなんだ。
まあその話はする。私はその説を押すわけではなくて。
その映画ってやっぱりストック型なので、そういうワンシチュエーションものとか、シンプルなストーリーをやってしまうと、次に作る後続の人たちがそれを使えなくなるわけよ。
そのなんとかのバクリだろみたいな感じになっちゃって。
だからどんどん手法を変えていかなきゃいけないし、個性を出していかなきゃいけないってなった時に、その個性を出す、出し方が、例えば被告人の心情だったりバックグラウンドだったり、もしくはなんか新しい展開になるんじゃないかなって思っているのね。
例えばこの作品だったら、売信員がただ話し合うっていうところで、たぶん一番面白いシナリオじゃん。たぶん一番面白い設定だし一番面白いシナリオだと思うの。
一人の人が反対を唱えて、最終的に全員がひるがえるっていう。
で、これ次に売信員のワンシチュエーションでどういうものを作りますかって言われたら結構難しくない?
まあそうね。
ただただ話すだけとか、そこでわかんない殺人事件が起きて何とかとか、新しいそういう要素要素を入れていくならまだわかるけど。
だからこの会話劇だけで何とかするっていう、なかなか難しくなっていくから、どんどん次に来る監督、脚本家はまた新しいストーリーを作っていかなきゃいけないってなると、
またそういうワンシチュエーションものっていうのはとか、他の余分なものを描かない作品っていうのは減っていくのかなって思ったりした。
リメイクと異なるアプローチ
なるほど。
なんかさ、この12人のイカれる男さ、リメイクも何回かされてるっぽいじゃない?
されてるっぽい。
されてる方ではどういう風に書かれてるんだろうね。全く同じ感じの脚本なのかな、イメージ。
国ごとでアレンジとかがかかってると思うけど、どうなんだろうね。
そこを見るとまた、そこら辺のどうなのかっていうのがもうちょっと明らかになってくるかもね。
でもあくまでリメイクはリメイクだからね。
いや、リメイクを見ることで何が僕はわかりそうかなと思ったところで言うと、もしリメイクも全く同じような形で、
本当に現代版としてやる、でそれが実際、見た人たちのレビュー的に面白かったっていう評価になってるんだったら、
ミューの割りかし仮説は合ってるなって思ったんだけど、なんか前作の方が良かったみたいな。
やっぱこういうのは当時の役者さんとかその時の雰囲気増えて面白かったよねみたいな感じになってるんだったとしたら、
やっぱり現代の人たちは新しいものを求めているみたいな。
コンシューマーの方がもっとこう、見た目的に派手なものとかストーリー的に派手なものを求めているみたいな方の仮説が合ってそうだなみたいに思ったっていう感じ。
全員が全員そうではないと思うけどね。
全員が全員そうではないのはその大前提だと思うんだけど、
全体的な結局こういうのってさ、興行収入がすごい重要だからさ、マジョリティがどっちのかっていうのはあるよね。
まあ確かに12人のイカれる男は今上映されるんだったらヒューマントラストシネマでしょうね。
シネコンではないと思う。
分かる?言いたいこと。
分かる分かる分かる。
だからそれぐらいの規模感だったら、もしかしたらここまでのにその歴史に残る名作にはなってなかったかも。
そうだね。僕はその当時じゃあ同時のタイミングで放映されたような映画がどういうものだったのかとか全然知らないから、やっぱり仮説でしか話せないけど、
なんかよく言うじゃない、その週刊少年ジャンプがもう少年じゃなくて青年ジャンプになっているみたいな。
読者層の話でしょ。
そう、実は少年ジャンプを買っているのはほとんどもう20代以上の人がほとんどで、実は中高生とかは人数の割合的にはかなり少なくなっているみたいなね。
そういうのにも近い話かもなーって思ったっていう、その全体的なこう精神年齢みたいな、まあコンテンツに対しての精神年齢みたいなものが対抗しているみたいなのは結構他のコンテンツでもよく言われていることっぽいから、
そういうのが映画でも起こっているとしたら、やっぱりわかりやすい派手で、なんかいろいろこうちゃんとバックグラウンドとかも丁寧にこう書いてくれる作品が人気が出るみたいなのは、
まあ確かにそういうのはあるのかもなー、まあそのマジョリティとしてね、全体。あるのかもなーって思ったっていう感じかな僕は。
まあ別軸の話で言うとさ、今回の作品って60年ぐらい前の作品なわけじゃない?
映画作品の永続性と役割
で、見てる時も話したけど、ほとんど出ている人たちってみんな亡くなっててさ、
多分そうだね、なんか今出演している時点であれ40代ぐらいだと思ったよねみんな。40代からまあ70代ぐらい。
そうだね、ほぼみんな亡くなっている。亡くなっているけど作品は残っていて、今もこうやって見ていろいろ考えたり学びがある。
で、すげーなーって思った。
いやーほんと。
なんて言うんだろうな、なんかあれか、ビッグフィッシュか、ビッグフィッシュの時も話したけど、
やっぱこういうものを残せることができる手段がある現代で、残しておかないのもったいないなーってまた改めて思ったかな。
なんかさ、あれだっけ、ヒカキンだっけ、なんかヒカキンがさ、YouTube始めているのがさ、人生のロゴを残すためみたいな。
自分が死んでも、いろんな孫とか子孫がご先祖さんを恋しさせたっていうのが、YouTubeを見ればわかる状態にしたいから、
とにかく動画を上げてるみたいなのが最初のモチベーションだったみたいなことを言っててさ、
でもそれって結構確かにそうだなーって思った。
そういうのを、要はさ、今現時点でもさ、60年前ぐらいのやつをさ、こうやってコンテンツとして見れるわけだからさ、
今撮ってるものは間違いなくさ、数百年ぐらい先まで残りそうじゃない。
まあね、ニコニコ動画みたいにサイバー攻撃受けなければね。
うん、まあでも大丈夫、僕たちはだって午後ぐらいこのPodcastを配信してるから、どっか1個潰れたぐらいじゃ大丈夫。
みたいなさ、少なくとも今残せるものって、たぶん過去10年、ここ100年ぐらいに比べても
圧倒的に良いクオリティで残し続けることができるって思っているから、
こうやって残していくのって改めてやっぱり大事だなーって思ったかな。
うん、なるほど。
やっぱこう、今自分たちが見て面白いからこそ自分たちも残すと、
後世の人たちにとって、何かこう、何かしらこうせって思っているものになるというか、
たとえ自分たちが死んだとしても、残したものを通して、
未来の人たちとせって持つことができるっていうのはすごい素敵だなって思ったっていう感じ。
それをもう互換で感じることはできないけどさ、死んじゃったら。
僕たちが残した音声が、僕たちの繋がりを作ってくれるからいいなっていう感じ。
今回はこんなもんですかね。
そうですね。
番組の感想や感想を共有した映画などお便りはお待ちしています。
この番組はアマゾンミュージック、アップルポッドキャスト、YouTubeなどでも配信しています。
ぜひフォローバッ…
フォローバッ…
ぜひ。
ぜひ。
フォローボタン。
フォローバッ…
ぜひフォローボタンを押して最新話をチェックしてみてください。
それではまた来週。
また来週。
28:40

Comments

Scroll